燃えよ!ピンポン (監督:ロバート・ベン・ガラント 2007年アメリカ映画)

■『燃えよ!ピンポン』の唄 (フモさんとその辺のガキ合唱団)
”おバカだ!おバカだ!
お前はおバカになるのだぁあぁ〜〜〜ッ!!”
ネットで 仕切った ジャングルに
今日も おバカが 吹き荒れる
いや〜んイケズゥな 悪党に
あこぎなサーブをぶちかませ!
行け 行け ピンポン ピンポン
燃えよ!ピンポ〜ン

最近おバカ要素が足りないとお悩みではないですか。WEBを見たってインチキ臭い儲け話と余計なお世話のスキルアップ商売だらけ、ブログを読んでも説教臭い青二才がなんとか論をがなり立てているばっかりでちっとも面白くありません。もうちょっと力を抜きませんか。というか脱力しませんか。もうヘロヘロのヘラヘラのペーになってしまいたくありませんか。そう。おバカになるのです。おバカ映画を観て、あなたもおバカの甘美な世界へと足を踏み入れるのです!

■おバカ映画を観るために
・おバカに意味を求めてはいけない。無意味だからおバカなのである。
・おバカに理由を求めてはいけない。理由があろうが無かろうがおバカはおバカなのである。
・おバカに意義を求めてはいけない。おバカはただそこにあるだけのものだからである。
・おバカに整合感を求めてはいけない。グズグズのユルユルだからおバカなのである。
・おバカに現世利益を求めてはいけない。役立たずで腰抜けだからおバカなのである。
・おバカに期待してはいけない。期待されないからおバカなのである。

おバカとはこのようにストイックで無私なものなのである。おバカは般若心経における色即是空と似ている。この世にあるものには、全て意味など無いのである、というのがおバカの真髄なのだ。

とまあ以上は詭弁である。書いている人間がおバカなので適当なことを言っているだけである。ここで問題:「おバカの言うことを信じるな、とおバカに言われたらそれは信じるべきなのか否か?」

さて映画『燃えよ!ピンポン』である。えーっと、かつては天才少年と呼ばれながらすっかり落ちぶれていたランディ(ダン・フォグラー)は場末のカジノで卓球ショーをやって糊口をしのいでいたが、その腕を買われFBIから裏社会で行われる謎の卓球大会への潜入捜査を依頼される。盲目のカンフーピンポンマスター・ワン師匠(ジェームズ・ホン)、その姪であるマギー(マギー・Q)の特訓により出場権を獲得したランディだが、実はその大会は負けると死が待っている過酷なトーナメントだった!?という物語。

燃えよドラゴン』の世界観に『俺たちフィギュアスケーター』のようなおバカを持ち込んだような映画である。別の言い方をすると『モータル・コンバット』の世界観に『ナチョ・リブレ』な主人公が『ドッジボール』のようなおバカを繰り広げる映画だといってもいい。まあどっちでもいいんだが。おバカさでは『俺たちフィギュアスケーター』『ドッジボール』には及ばないが、そのヌルさ・ユルさ・ダメさ・グズグズ加減が観ていて心地よい。要はいかにしょーもないか、ということであり、しょーもない映画であることには太鼓判を押していい。

主人公ランディを演じるダン・フォグラーのバカでデブでダメなところがいい。ハードロック好きなのが既に駄目押しだ。FBIに見込まれた割に最初の大会で惨敗するという(だったら優勝者スカウトしろよ!)ダメさがいい。彼と絡む『ダイハード3.0』の好演も記憶に新しいマギー・Q姐さんが色っぽくてこれまたいい。何の伏線もなくお約束のように主人公の恋人になるインチキな脚本がナイスだ。出場権を獲得するきっかけとなった闇卓球世界の王者ドラゴンが何の見せ場もない弱さだったという適当さもいい。謎の基地に入ると『燃えよドラゴン』の如くカンフーな人たちがオリャオリャ言いながら特訓を繰り広げているところもいい。卓球のだけど。裏社会の帝王フェンは元中国代表のくせにどこからどう見たって白人でしかない。だって演じてるのクリストファー・ウォーケンだし。

もうホント、書けば書くほどヌルくユルくダメでグズグズだ!ああなんておバカなんだ!そうしてそんなおバカ映画を頭カラッポにして観る。しょーもねーなー、とか思いながら観る。この脱力感、痴呆感。これこそがおバカ映画の醍醐味である。傑作というほどのものでもないが、愛すべきおバカ映画であることは確かだ。

■balls of fury trailer