三連休無頼派篇

三連休である。全宇宙的に三連休なのである。古来より「三」というのは収まりのいい数字だ。三種の神器、三大美人、三連音符、三連星、三寒四温、三角関係など、「三」が付くと何故か安心してしまう言葉ばかりではないか。そういった意味で三連休というのは長からず短からずという実に安定性のある連休なのである。
さてそのような三連休に無頼派のこのオレ様がどのようにワイルドでアーバンでゴージャスでマジカルワンダーな休日を過ごしているのか興味津々な読者の方も多々おられる事だろう。…まあ読者の数自体が多々ではなく寧ろ微々なのだがそこん所は愛無き人生を寂しく生きる中年ブロガーのなけなしの見栄だと思って、砂浜に打ち上げられ干からびて行くばかりのクラゲを哀れむ程度の視線で見守ってあげておくれなさいな。
一般の方々であればそこそこの休みが取れたなら、己を高める為に勉学に勤しんだり運動に精を出したり、またはどこぞに出掛けて美しいものを眺めるなり美味しいものを食べるなり、はたまた気の置けない友人恋人家族不倫相手と一緒に豊かな時間を過ごしていたりされているのであろう。だがこう言っては失礼かもしれないが、そんなことはフツーなんである。このオレ様のように生来の高い資質と鋭い感性と孤高のメンタリティを備えた無頼派の人間にとって、今挙げた様な休日の過ごし方は退屈の2文字、ひらがなでたいくつと書くと4文字なんである。そのような休日の過ごし方などやって堪るか、であり、誰がやるもんか、であり、そしてはっきり言うならば、スイマセンオレには無理です許して下さいこの通りです土下座だってします御免なさい御免なさい、といった所なのである。
そう。無頼派の魂のその核となるもの、それは《やさぐれ》。やさぐれに生まれ、やさぐれに生き、そしてやさぐれに死す事こそが無頼派の生き様であり宿命であり運命なのである。《やさぐれの烙印》を胸に秘め、顔で笑って心で泣いて、世に暮らす一般市民の皆様が幸福について模索しながら明日に生きる毎日を、地の果ての陽炎や天に輝く一番星を眺めるような眼差しで、なんだかそんなことに憧れた頃もありましたけど、もはやあっしには関係ねえことでございますと誰に言うとも無く呟く、そのあたかも雨上がりの濡れた草木の葉先から一滴零れる水滴のようにちいちゃな言葉こそが、無頼派の人生全てを集約しているのである。…う〜ん自己陶酔入りまくった文章ですな!
まあ要するにこの休日にやることなんかなーんにもない、というただそれだけのことを言いたいが為に益体の無い文章をグダグダ書いている難儀なオレである。あーそうだよいつも通りピザ食ってビール飲んでゲームしてるんだよッ!ケッ!もうゲームやってやってやってやってやりまくってやるよッ!ケッ!ケッ!そしてこれからのオレ様のニックネームは《やりまくりフモ》、略して《やりフモ》となるであろうことは想像に難くないであろう。そのような訳であるから関係者各位には御理解と御協力の程をお願い致したいと切に切に願う所存である。