刑務所の前(3) / 花輪和一

刑務所の前 第3集 (ビッグコミックススペシャル)

刑務所の前 第3集 (ビッグコミックススペシャル)

作者花輪和一銃砲刀剣類所持等取締法違反で懲役3年の実刑判決を言い渡され、その服役中の体験を描いた漫画『刑務所の中』で一躍注目を浴びた漫画家だが、逮捕・拘留される直前までの”刑務所に行く前”が描かれたのが本作であり、この第3巻が完結篇となる。

拳銃マニアである作者はモデルガンだけでは飽き足らず、モデルガン改造や本物の銃の入手に手を染めてしまう。そしてこの漫画で特に凄いのは、錆びだらけで部品も欠損している鉄屑の様な拳銃を自宅の工作室で見事復元し、その工程を全て精緻な絵で描いている事である。これはガンマニアの方が見たら相当感心されるのではないか。銃に疎いオレでさえ、作者の行った細かな作業の様子や銃に対する知識、その偏愛ぶりは驚嘆するものがあった。そして、刑法に触れる危険な行為ではあったにせよ、この細かさこそが、実はマニアのマニアたる所以なのかもしれない。

しかし、この物語はただそれだけに留まらない。拳銃所有・逮捕の実話と同時に、何故か同時進行として日本の中世に住むある娘と少女との、茨を踏むかのような不幸と因縁に満ちた物語が語られてゆくのである。物語内物語であるこの中世の物語は、現実の物語と一見何一つリンクしていない。そしてこの特殊な構造が、『刑務所の前』という作品を、単なる実話体験談ではない奇妙に深みのある漫画にしている。

娘は格式だけを重んじ、自分という存在を圧殺しようとしていた両親との軋轢に苦しんでいた。彼女はその苦しみを仏に帰依する事によって昇華しようとしていたが、それは更に周囲の嘲笑と無理解を生むだけだった。一方少女は、妻に逃げられた父親の苦渋に満ちた表情に萎縮し、天真爛漫に生きられるはずの子供時代を、息を潜めて過ごさなければならなかった。娘と少女は、お互いのその孤独さゆえに知り合い、それぞれの心の支えとなってゆく。そして物語は、この二人を通し、真の幸福とは何か、また、人はそもそも幸福になるに値する存在なのか、ということを問いかけてゆく。

物語の現実のパートは銃器の改造の様子を淡々と描き、登場する作者本人もコミカルに立ち振る舞っているが、中世のパートは陰惨で重苦しく、貧困、虐待、精神崩壊、一家離散、そして時には仏の姿まで現れる異様な世界なのである。読み始めはこのセパレートされた二つのパートに何の関わりがあるのか不思議に思ったが、読み進めていくと、現実ではお調子者のように描かれている作者本人の、その内面の葛藤と苦渋が、フィクションである娘と少女の物語となって立ち現れているのだろうということが分かって来る。そして本作の終章は、作者の逮捕と、娘たちが自らの幸福のあり方を見つけることが重なり合って終わるのだ。

つまり、一見現実とは関わりのないように見えるこの中世の物語は、娘と少女の魂の遍歴に仮託された、作者花輪和一自身の、その贖罪と救済の物語だった、ということが、最後の最後になって明らかにされる仕組みになっているのである。しかも現実と中世の物語の融合が、作者花輪にとって、どうしてもそうで在らねばならなかった、という必然性に満ちた非常に有機的な話の結びつき方をしており、現実世界から空想の中世へ何の前置きも無く話が飛ぶとしても、読むものは少しも戸惑う事がないぐらいに自然なのだ。これは恐るべき構成力と言わざるを得ない。花輪和一は一種カルトな作家ではあるが、その異能さはまさにオンリーワンであり、高い評価を得るべき作家の一人であろうことは間違いない。

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刑務所の中

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