ポップ1280 / ジム・トンプスン

ポップ1280 (扶桑社ミステリー)

ポップ1280 (扶桑社ミステリー)

人口1280人の糞田舎ポッツヴィルは下品で下劣で胡乱で魯鈍な薄馬鹿どもの住む愉快な町だ。主人公ニック・コーリーはこの町で保安官を務めているが、町民達に輪をかけてうすのろでぼんくらな男だった。保安官としての仕事は”何もしないこと”であると言い切って憚らないニックだが、そんな彼は悩みだらけだった。ヒステリーの妻、頭の足りないその弟、臭くて堪らない便所、彼を馬鹿にする淫売宿の黒んぼ、保安官選挙、彼のイチモツを取りっこする淫乱な女達。ああ駄目だ、そろそろどうにかしなきゃ。そういう訳でニックは取りあえず行動する事にした。まず、ヒモの黒んぼどもをぶち殺して魚の餌にしちまおう!こうしてポッツヴィルの新しい朝が始まった。

ゲッタウェイ』『グリフターズ』の原作者、ジム・トンプスンノワール小説『ポップ1280』である。冒頭から主人公ニックの弛緩した日常が弛緩した文体で語られ始め、こいつの頭は大丈夫なのか?そもそもこの物語自体大丈夫なのか?といきなり不安にさせられる。それからの展開も主人公の行き当たりばったりで思いつきだけの行動と、他人に合わせるばかりで自分の考えなんか何も無い言動が描かれ、さらによく見ると周りの連中も五十歩百歩のインチキで適当な人間ばかりで、ここは人間の社会というよりは畜舎に近い世界なのだと気づかされる。要するに、物語の中にはまともな頭を持っていてまともな行動ができる人間が一人も出て来ない。♪お馬鹿の住んでるこの町は 楽しい楽しい馬鹿の町〜などとこちらも投げやりになって歌っちゃいそうになる、そんな世界なのだ。

そんな中でまず最初の殺人が起こる。主人公ニックが、いつも自分を間抜け扱いしてからかう淫売宿のヒモのニガーどもを闇討ちにして射殺するのだ。しかしこの殺人とて先輩保安官の入れ知恵で言われるままにやったようなもので、ニックがこの時逆上していたとか殺意に漲っていたとかいうわけでは全く無い。チャーハンに入った嫌いなグリーンピースを退けるような感覚で、気軽にパンパンッ!と撃っちまったのである。考え無しなのである。猟奇でも狂気でも悪魔的な知性で行った殺人でもなく、単に馬鹿だから行われた殺人なのである。しかし考えてみると、巷で実際に起こっている殺人なんて、計画無計画に関わらず殆どやった人間が馬鹿だから起こっちまったもんばかりだろう。そして人が殺人を恐ろしいものだと思うのは、人というものがそれほどまでに馬鹿で愚かなもんだと認めたくないから恐ろしいと思うのだろう。

しかしうすのろでぼんくらなだけだと思っていたニック保安官、ここから巧妙に他人に罪を擦り付けたり隠蔽工作を始めたりする。実は狡猾なヤツなのだ。しかし狡知ではない。周りが愚鈍な連中ばかりだから単に騙し易いだけなのだ。そしてまた目クソをこそげ落とす感覚で気に食わないやつをブチ殺し、合間に人妻たちとヨロシクやってるニック保安官だ。物語はこんな風に、豚小屋の世界でちょっとだけずる賢い豚が他の豚を出し抜いてゆく様が描かれるが、どうしたって所詮豚は豚である。倫理なき世界だの善悪の彼岸だの心の闇だの魂の業だの偏在する狂気だのといった高級な含蓄のあるオハナシなんかではないのだ。なにしろ豚だし。ああでもどうにも不思議なんだがこの豚どもの世界はオレの見知っているこの下らない世界ととてもよく似ている。そして困った事に豚は糞を食うから「糞食らえ」と罵倒しても誰もなんとも思わないのだ。

そうして物語は浅はかで最低の人間がその最低さゆえに当然到るべき様な索漠としたラストへと帰結する。そこにあるのは冷笑と虚無だけだ。ジム・トンプスンの『ポップ1280』は人に薦めたくなるような物語ではないが、どこまでもねじくれた心象しか持たない者たちが織り成す荒涼としたドラマは、澱のようにじっとりと心にこびり付いて離れない奇妙な読書体験だった事は確かだ。