ダーウィン・アワード (監督:フィン・タイラー 2006年 アメリカ映画)

■みんなバカだった
は〜いみんな〜!バカやってるか〜い!?バカすぎて最近リアルでもネットでも友達を次々と減らしているバカブログ書きのオレ様フモが今回紹介する映画は『ダーウィン・アワード』だYO!ダーウィン・アワード。それは「今年最もバカな死に方をした人に対し、人類に無駄なDNAを減らしてくれたことを感謝して送る賞」という実在の賞の事である*1。バカは死ななきゃ治らない、とはよく言うが、全くとんでもない賞である。それはサベツですよ!バカだからってバカにするな!とオレは言いたい。だいたいオレなんか生きている今でさえ賞を取りそうな勢いだしな。いいのかそれ。そのダーウィン賞、どんなもんかというと、『ダーウィン賞!―究極におろかな人たちが人類を進化させる』という本では、次のような例が報告されている。

サマータイムのときに設定した時限爆弾を、スタンダードタイムに切り替わったあと運んだために爆死したテロリスト。ベンガル虎の首に花輪をかけた人々。バーに持ち込んだ地雷を順番に踏みつけたカンボジア人の男たち。井戸に落ちた鶏を救おうとして溺死した6人のエジプト人(ちなみに鶏は助かった)。夫婦喧嘩の最中、妻を6階の窓から放り投げたものの、彼女が途中で電線にひっかかっているのに気づいて、「彼女を完全に落とそうと思ったのか、はたまた後悔して助けようと思ったのか」窓から飛び降りたブエノスアイレスの男。結果、男はぺしゃんこにつぶれ、妻は無傷のまま助かった。
Amazon.co.jpによる商品説明より)

ま、みんなバカばっかりである。

■バカ遺伝子を探せ!
この映画『ダーウィン・アワード』はしかし、ダーウィン賞を受賞した人たちのドキュメンタリー映画というわけではない。ダーウィン賞マニアの警察プロファイラー、マイケル(ジョセフ・ファインズ)が連続殺人事件捜査の失敗からクビにされるが、自らのプロファイリング能力を生かし、「バカ遺伝子を持ったものを見つけ出せば保険金支払いを免責できるはず」と保険会社へ売り込みにいくことから物語は始まる。そして保険調査員のシリ(ウィノナ・ライダー)とパートナーを組み、様々な死亡事故から「当事者がいかにバカな真似をしたから事故が起こったのか」を調査してゆき、そこから、バカ遺伝子を持ったものの呆れ返るような事件の顛末が明らかにされてゆく、というちょっぴりブラックなコメディなのである。そんな中、以前マイケルが取り逃がした連続殺人犯が再び事件を起こし、マイケルとシリにその魔の手が迫ってくる…。

登場人物はそれぞれ好感度が高い。主人公マイケルはスクエアと言っていいぐらい品行方正で実直な男だが、研究対象のバカどもとは違う、とばかり事故を回避する為のありとあらゆる注意を払っているにも拘らず、これが裏目に出て結局はおバカ、という男だし、相棒のシリを演じるウィノナ・ライダーは表情豊かでキュートの一言に尽きる。感情を表に現さないマイケルとシリの対比がこの映画を面白くしている。だがマイケルの「血液恐怖症」という設定は少々安直過ぎたように思う。どんなシチュエーションでも簡単に作り出せてしまうからだ。それと変わっているのが、もう一人の登場人物、卒業論文用にドキュメンタリーを撮ると称して、画面の外でいつも主人公達の行動を撮影している男である。彼は「ドキュメンタリーなんだからボクの存在は無視して」と言っているのだが、主人公たちは当然これを意識してしまい、時々一騒動起こったりする。コメディは生まれるものの、この設定は物語とは何の関係も無く、脚本としてシェイプする必要があったのかもしれないが、映画を観終わってみると、画面に殆ど姿を現さなかったこの男が結構好きになっているから不思議なもんである。あと、ロック・グループのメタリカが本人役でコンサート会場で演奏、物語にもちょっと絡んでくるのが面白かった。

■そしてバカが行く
主人公二人のドラマ、バカ遺伝子を持つ者達の事故再現フィルム、連続殺人犯の追跡、前出のドキュメンタリー男、と、全体的にとっちらかった演出なのに、出来上がった作品はとても愛すべきものになっている。それは監督、製作者の登場人物たちへの視線の暖かさから来るものなのだろう。ダーウィン賞を受賞してしまうほどのバカな死に方をする人間たちではあるけれど、しかしそれは、彼らがあまりに人間的であったからなのだ、ということを監督は知っている。バカ遺伝子を持つものは、決して人類の遺伝子プールに不必要な負け犬なのではない。彼らはある種の多様性に過ぎない。それはサイコロの目がどちらに転んだかの問題でしかない。人間というのは、愚かなところはあるけれども、その愚かさゆえにいじらしく、そしていとおしいものなのであり、その愚かさも含めて人間というものなのだ。そんなメッセージがこの映画にはあるような気がする。

そしてバカの半分は好奇心から生まれる。好奇心は猫をも殺すということわざがあるが、好奇心無しには人類は進歩しなかったのである。とりあえず理屈はいいから今やりたい!という初期衝動というのは、無謀であるとはいえ、その勢いこそが命なのであり、逆に理論なんか後から付いてくればいいのだ。要はやる気があるかどうかという根性なのである。そこには失敗を恐れない単細胞さと、失敗してもあんまり痛手を受けない単純さが必要になってくるのである。つまり、バカにしか出来ないことなのである。だからこそ、バカは(時として)偉大なのである。問題は、バカのやることの殆どは、無駄なことが多すぎ、実を結ぶことが無いと言うことなのだが。しかし、無駄が多いからこそ、様々な結果をも得られるのである。この、堅実さよりも無謀さを、保身よりも捨て身を選ぶ、という態度こそがバカの清々しさなのである。全てのバカに誉れあれ。あなたのバカに神の祝福を。

ダーウィン・アワード【予告編】

ダーウィン賞!―究極におろかな人たちが人類を進化させる

ダーウィン賞!―究極におろかな人たちが人類を進化させる