獣(けだもの)どもの街/ジェイムズ・エルロイ

獣どもの街 (文春文庫)

獣どもの街 (文春文庫)

ノワールの帝王”と呼ばれているジェイムズ・エルロイの小説は『ブラック・ダリア』あたりしか読んでいないんだが、濃密な文体や漆黒に彩られた小説テーマは惹かれこそすれ、これを大部な長編で読むのはちと疲れるだろうなあと思い、他の長編にはなかなか手の出ない作家の一人ではあった。その点でいうとこの『獣(けだもの)どもの街』はボリューム的になんとかなりそうかな、と思い読んでみたわけだ。

獣どもの街、それは欲望と絶望と陰謀が蠢く虚飾の街ハリウッド。主人公はハリウッド署殺人課の刑事リック・ジェンソン、そして彼が切なく恋焦がれる美貌のハリウッド女優ドナ・ドナヒュー。くっついたり離れたりのこの二人が、汚濁の街で凶悪犯罪を繰り返すホモやホモ殺人者やパンティ泥棒やストーカーや強姦魔やアラブ人テロリストやスナッフムービー撮影者を追い詰めてゆく。物語は3作の連作短篇の形を取っており、それぞれのタイトルは「ハリウッドのファック小屋」「押し込み強姦魔」「ジャングルタウンのジハード」。

そしてその物語は、噂に聞くエルロイ節というやつか、あからさまな男根主義に満ち満ちた暴力的/差別的/偶像崇拝的なヒーローが、この世の全てが性風俗店かのような猥雑/下劣/低劣な世界で、コミック雑誌の如き/B級映画の如きタガの外れた活劇を演じるというもの。さらにその語り口は、火を噴きそうなギンギンな/悪臭がしそうなお下品な口調と、全編に渡る頭韻を踏んだ文章で、どこまでも過剰にねっとり/こってり/べっとりと、読む者の頭蓋に貼り付いて離れない。しかしこのあたかも毛むくじゃらのゴリラがイチモツをおっ立てながら街中を破壊しまくっているかのような低脳すぎる物語展開は、実はハードボイルド/クライム・ノベルのカリカチュアとして成立しているのだろう。

だからエルロイのコワモテ振りを予想して戦々恐々と読み始めたこの物語が、実はかなりコミカルなものを内包しているのを発見したのは嬉しい誤算だった。しかしコミカルとは言っても、そこはエルロイ、ヤクザに後ろから羽交い絞めにされ、そのヤクザに耳元でオヤジギャグを連発されているような、顔が引き攣ったまま笑う事すらできないようなコミカルさではあるが。物語では同性愛者や有色人種に対する徹底的な差別用語が並べられるが、そのあまりの時代錯誤的で身も蓋も無い言葉の数々に、逆に不謹慎ながら爽快感さえ覚えてしまった。暴力と、暴力的な言葉というのは、それがいかに不遜であろうと、ある意味麻薬的に気持ちの良い危険さを孕んでいる。

なにより特筆すべきは、先に挙げた文章全編に渡って使用される頭韻だろう。これを音楽的と取るか単に鬱陶しいだけと取るかは読者にもよるだろうが、訳文でこれを再現するには翻訳者の並々ならぬ苦労があったと察せられる。英文であればそれは韻律があろうからすらすらと読めるだろうが、直訳しては意味が通じないだろうし、意味が通じるように翻訳するとなると翻訳者の創作が相当入り込まなければ成立し得ない。その点で言うとこの翻訳は実に頑張った、と評価するべきだと思う。意味を通じさせる為に逆に語感的なリズムは損なわれてしまうだろうが、それは致し方ないというものだろう。