オレ式アミューズメント人生 (前編)

(1)
巷には”理系””文系”がどうとかという議論があるのらしい。進学進路の違いということなのだろうか、進路というより退路ばかりを選び、まともな教育を受けておらず人間の文化や社会やマナーというものがあまりよく判っていない、いわゆる”地果て海落ち文明尽きる所の狼少年*1”であるオレは、そのどちらにも属しているわけではない。しかしあえて表現するならオレの進路は”アミューズメント系”と言う事ができるだろう。今日と明日はこのオレ様の華麗なる”アミューズメント人生”について自分語りしまくり、自分語り嫌いの方には顰蹙と冷笑を、好きな方には失望と落胆を与えてやろうと思うがいかがなものであろうか。今回も呆れるほど長いぜ!ざまあみやがれ!んじゃいってみよう!

…我が半生を振り返るなら、幼少時を厳寒の北海道でヒグマやニホンオオカミら血に飢えた野生動物相手にお手製の毒吹き矢で戦うという熾烈な日々を過ごし、15を過ぎた頃には集団就職で東京は荒川区のメッキ工場に丁稚奉公するために夜行列車と今は無き青函連絡船を乗り継いで上京、大部屋に住み込みで寝泊りし週100時間の辛く苦しい労働に勤しんだ。そこで社長の娘花子に横恋慕するが、ある日隅田川の土手を二人で歩いている時にいきなり花子に手を握られ、これは脈ありかと逆上気味のオレに花子が言った「へえ、北海道の人って血が冷たいから手も冷たいって訊いたけど違うんだね」の一言に内地の人間との越えられない壁を思い知らされて破戒と青春の蹉跌に枕を涙で濡らす夜が続いた。

(2)
やさぐれたオレは仕事をさぼり上野不忍池名画座へと「飛び出せクレイジーキャッツ・大作戦フェスティバル」のオールナイトを観に行くが、実はそこが都内有数の男色家どものハッテンバだったということを知る由も無かった。当時まだ紅顔の美少年だったオレに迫る男色家どもの魔の手。「いや〜んやめてやめて!」薄暗い映画館で恐怖の叫びを上げる美少年フモ。しかしその美少年フモ(くどい)が下賤な男色家どもの餌食と化そうとしていたまさにその時、「止めるんだこの下郎めら!」と響く声があった。声の主は痴れ者どもに電光石火の如く掴みかかるとこれを千切っては投げ千切っては投げ、たちまち伸されたホモの山を築き上げた。そしてその英雄こそが後の我が師となるオクレ大サーカスの団長・尾暮又市氏だったのである。

オレはその場で尾暮氏に弟子入りを志願、ど腐れメッキ工場を退職して氏の率いるオクレ大サーカスに入団し全国を回った。最初は何も芸の出来なかったオレだが血の滲む様な努力の結果「扇風機舌止め」 「三歳児の服を着る」 「高速1分間梅干し30個食い」などの超絶テクニックを身に付け一躍サーカスの人気スターに。さらに《ザ・フモップス》の名前でバンド・デビュー、「辿り着いたらいつも霜降り」などのヒット曲を飛ばしさらに独特の貧乏臭いジャージルックが若者に受け、渋谷や原宿には安物ジャージを着た”フモラー”なるフモファンが闊歩した。その後人気は海外へ飛び火し、北朝鮮における《ザ・フモップス&オクレ大サーカス》の公演では怪獣プルガサリの飛び入りや金正日主席直々の御観覧まであり、その歓迎の熱烈ぶりは現在も北朝鮮の歴史書に残されているという。なおその時オレと喜び組の麗しき婦女子との間には秘めやかなる恋情もあったのだけれども、それを紹介するのはまた別の機会に譲ることとしよう。

しかしそんな幸福も長くは続かなかった。
(続く)

*1:もう老年だが。しかし”狼老年”というのも別の意味で壮絶なものがあるな。