ゴリガン一発 生き抜こう

ストレス社会である。仕事や家庭や学業でストレスが溜まり、ウツ病などになられる方も増えていると聞く。由々しき事である。さて、かく言うこの自分はどうなのかと思い、とある雑誌の【あなたのウツ病度テスト】なるものをやってみたのである。果たしてフモさん45歳(パン工場勤務:ピクルス担当)のメンタルなヘルスはいかほどのものとなっているのであろうか。…そして結果、該当項目ゼロ。ウツ病のウの字もないお気楽太平楽な人間であるのが判明したのである。ああよかった…とは言ってみたもののこれは単純に喜ぶべき事なのか。いや、ストレスや心配事ならオレにもある。ゲームですぐ死んじゃうストレス。クリアしていないゲームが溜まってしまうという心配。終わっていないゲームが沢山あるというのに新作ゲームを買うべきかどうかという葛藤。このような悩みはあるにはあるのだが、いい年こいた社会人がこのようなことを”悩み”だなどとほざいたものなら虫けらを見るような目で見られ「死にやがれこのばか。おまえのかあちゃんでべそ」と吐き捨てられるのが関の山である。一般社会ではゲーム如きの”悩み”では深刻さが足りないと思われても致し方ない、ということなのである。

即ち”悩み”とは深刻である事が必須なのである。つまりラーメン屋に入ったはいいが今日はチャーシューメンとザーサイ入りピリカラチャーハンのどちらを注文しようか、そしてそれにさらに紫蘇入りギョーザを付けるべきなのかどうか、などという問題に対して眉間に皺寄せ目から涙し頭を抱え身を掻き毟りじだんだ踏みながら口をパクパクさせて悶絶しているというのは”悩み”とは呼ばないということなのである。というか定食屋で実際にこんなヤツが隣にいたら果てしなく不気味だがな。もしもこのような場面を見かけたらすかさず頭からカルキの臭いのしまくったお冷をぶっ掛けて「うぜえ。やめろ」と言ってあげるであろう。しかしこれが人生だの自己存在だの貧困だの報われない愛だの人より濃すぎる体毛だののせいで眉間に皺寄せ目から涙し(中略)悶絶しているというのならこれはもうお天道様になんら恥ずべきところの無い立派かつ堂々たる市民権を得た”悩み”ということになるのである。つまり”悩み”というのはいかにその解決に困難性を伴うかによって真正さが変わってくるのである。そしてさらにどれだけ他者の共感を得られるか、ということでも”悩み”の真正度は違ってくるのだ。

つまり先の例で挙げたゲームだの定食屋のメニューなんぞは実に即物的でありまた個人的であり他者の共感を得にくい悩みという意味で真正度が低いのだ。しかしこれが人の生き死にや生活が関わってくると”悩み”の真正度はいきなり上がるのである。つまり抽象的で他者の共感が得られやすいということである。抽象とは”ムツカシイ”という意味である。そして”ムツカシイ”悩みを抱える人というのは一般的に賢いからこそ”ムツカシイ”悩みを抱えてしまうのである。逆に言えば、賢くない人間は同じ状況下における同一問題を全く問題であると見なさないということもできるのである。砕いて言うと「バカは悩まない」ということである。そういった面で見るとオレには深刻な事態というのがあまりない。というか、客観的に観れば深刻であるはずの状況に気付いていない、という愚鈍な頭をしているようなのである。だいたいが考えるのが苦手な人間なのであまり考えない上に考えてもよく判らない事はそれ以上考えない、いやむしろそれは考える事すら出来ていないとも言える訳でつまりは何も考えていない、という恐るべき頭脳をしているというのが真実なのである。思考回路という言葉があるがこの場合思考でも回路でもなく、「なんだか知らないけどこうなっちゃいました」という状態ということも出来るであろう。そう、つまりオレの行動というのは万事が万事《やっつけ仕事》なのである。

このような胡乱な人間の得意技は「ケセラセラ〜なるようになるさ〜」という言葉を連呼することである。本来ならなるようにならないからこそそこに葛藤があるはずなのだが、胡乱な人間はなるようになる、でごり押ししてしまうのである。ここにはかのクレイジーキャッツの歌『何が何だか分からないのよ』の一節「ゴリガン一発 生き抜こう」に通じる思考停止と現状放棄の実態が見え隠れしているといえよう。ここでいう”ゴリガン”とは「ゴリ押しでガンガン行こう」ということである。要するに戦略も方法論も何も無く突撃ラッパの鳴るがまま後先考えずに突っ走ってゆくという、知的レベルの低い方法のことである。大体『何が何だか分からないのよ』ってタイトルいったいなんなんだよ。何が何だかホントに分かんないじゃねえかよ。そしてこのようにゴリガン一発生き抜こうと誓った、というか適当にやることにした人間(=オレ)にとって、もはやシチメンドクサイことを考えるなどということは到底有り得ないのである。思考停止と現状放棄。かくも見事に出任せと駄法螺と思いつきと詭弁とインチキと三段論法と同義反復だけで乗り切るふざけた人生である。人生は軽いフットワークさ。