シー・ノー・イーヴル/肉鉤のいけにえ

軽犯罪で服役しているワカモノ達が、減刑の為に廃ビルになったホテルの清掃ボランティアに行くんだが、そこには肉鉤を巧みに操る技巧派の殺人鬼がいて、ワカモノたちはお約束のように一人また一人と血塗れの肉塊へと変えられていく、というホラー映画である。この殺人鬼と軽犯罪者の監視員とはある因縁があり、さらにこのホテルに来たこともある計略によるものだった…という、割と練られたシナリオであるが、どうもイマイチ盛り上がりに欠ける映画ではあった。
まず、軽犯罪者のワカモノというのが、ドスケベそうな女とバカそうな男という、別にキャンプで来たワカモノでも全然構わなかったじゃないかと思わせるキャラばかりで、設定がたいして生かされていない。殺人鬼が早い時期に顔も全身も見せちゃって、これがまた単なる図体のデカイだけのおっさんで、どうにも禍々しさに欠ける。それと殺人鬼が殺人を犯すきっかけとなったのが幼少時のトラウマが云々、キリスト教原理主義の親が云々、という実に陳腐な説明が付いている。これらがこの映画をつまらなくしている要因だと思われる。
例えばもっと凶悪な犯罪者が殺され役で、殺人鬼とタイマン張りながらもやっぱり惨たらしく殺されてゆくとか、殺人鬼も動機だの理由なんぞ無くていいから最後まで得体の知れない化物みたいなヤツだったほうが良かったんじゃないか。だいたいトラウマを物事の理由にするっていう俗流心理分析みたいなのがオレはどうも嫌いなんだよ。どんな過去持ってても立派になる奴は立派になるし、駄目になる奴は駄目になるんだ。理由、なんかじゃなくてそいつの持っている意思の問題だよ。そしてその意思さえ無効にされてしまう、というのが”運命”というやつで、ドラマというのはそのままならない”運命”を描くから人の心を打つんじゃないのか。なんか話が逸れたけど。
結局昨今のホラー映画もプロットで見せるか残虐度を上げるかどっちかしかなくなってきている状態で、その点この映画は、どちらも中途半端に仕上がってしまっているな。細かな部分で物語の帳尻を合わせる努力はしているが、逆にその破綻の無さが無難なだけの作りにしてしまったのかもしれない。