MONUMENTO FOR NOTHING / 会田誠

MONUMENT FOR NOTHING

MONUMENT FOR NOTHING

会田誠の描く美少女はどれもアイドルタレントの顔をしている。アイドルとは大量消費材として消費されてゆくイコンの一つに過ぎない。人々の性的欲求と性的願望がコンビニエンスストアのPOSシステムによって最大公約数的に集約された如き存在、それがアイドルでありタレントなのだろう。そしてイメージは大量生産されあらゆる消費物に性的イメージは付加され、それを購買するもののリビドーをいつまでもどこまでも刺激するけれども、イメージと性交することは決して出来はしない。
数千人とも思われる少女がミキサー機の中で磨り潰される「ジューサーミキサー」、フライにされ海苔巻きにされ開いて網で焼かれる少女達を描く「食用人造少女・美味ちゃんシリーズ」、渋谷駅前をそぞろ歩いているような女子高生が血塗れの切腹を演じる「切腹女子高生」、両手首足首を切断され犬のような姿で首輪を掛けられあどけなく微笑む少女達を描く「雪月花シリーズ」、これらに共通する性的嗜虐性は全て、作者の”量産される性的イメージ”への復讐である。要するに「ヤらせてくれるわけでもねえのにニコニコ笑って媚売りやがって」というわけである。そういった10代20代の男に有りがちな鬱屈した性的怨念を超絶的なデッサン力と画力でアートにまで昇華した男、それが会田誠である。
その他の会田作品もどれも権威と化し形骸化したアートへの挑発的で破壊的な作品に満ち満ちている。会田の持つシニシズムとはこれら好事家の手慰みとなったアートへの反逆なのだ。会田の作品の基本形とは「馬鹿」「無意味」「下品」である。それは、それらとの対立項にある事象を、即ち”敵”を良く知っていなければ出来ることではない。小利口で意味有りげで上品ぶってはいるが、結局は閉鎖的で閉塞したものでしかない現代美術に「うんこちんこまんこ」と罵声を浴びせてせせら笑う、そしてそれを現代美術が獲得したあらゆる技法を駆使して表現する、それが会田誠の作品のアートへの態度なのであり、会田作品の存在理由なのである。