アポカリプト (監督:メル・ギブソン 2006年アメリカ映画)

オス!おらマヤ文明!神殿に日夜生贄を捧げて平和と繁栄を保っているんだよ!今日も明日も首チョンパ!人間から引っこ抜いたばかりの心臓が神様の大好物!猫大好きフリスキー!だからって決して野蛮だなんて言っちゃいけないな!少数の人間の死や貧困という犠牲の上に社会と世界のシステムが成り立ってるなんて現代だって一緒だからね!マヤ文明が野蛮なら現代だって十分野蛮だってこった!これは人間のサガであり業なのさ!ビバ野蛮!という訳で生贄探しに森に入り、森林生活している土人どもの村を見つけては焼き払い、男は叩きのめして半殺しにし、女は殴り倒して犯しまくり、みんな家畜みたいに首に縄くくりつけて神殿へと連れて来る鬼畜な日々なんだよ!
♪ババンババンバンバン ババンババンバンバン
鬼畜だな 鬼畜だな
生首神殿から コロリと地べたに
野蛮だな 野蛮だな
ここは南米 マヤ族神殿

…という訳で『アポカリプト』です。森の中で石器時代を楽しく愉快に謳歌していた土人の皆さんの村が、ある日マヤ神殿の奴隷徴収部隊に焼き討ちに掛けられ阿鼻叫喚の虐殺と蹂躙の後、奴隷や生贄としてマヤ神殿へと連れて行かれるが、主人公である土人はそこから逃げ出し、そしてそれを追う奴隷徴収部隊との追跡劇が物語のメインとなっています。基本的に”土人””生贄””野蛮”がキーワードになっていればマヤ文明じゃなくてもなんでも良かったんじゃないかという作りで、「とにかく土人がいっぱい出てきて血腥い事いっぱい繰り広げる鬼畜な映画が撮りたかったんだよおおお」という監督メル・ギブスンの変態趣味がよく現れている映画に仕上がっています。おかげで、血!臓物!肉体切断!屍累々!痛いシーン満載!と、もうエグさ全開!おおい誰か次のマスターズ・オブ・ホラーの監督にメル・ギブソンを推薦してやってくれ!

マヤ文明の描写は勝手放題やりたい放題です。もうね、顔白塗りして変な髪形して変な服着て白目剥いた変な顔して変な音楽で変な踊り踊ってる女たちとかね、お前見たのかよ、と。本当にこんなのがいたという証拠があるのかよ、と。ねーだろ、と。お前何でもありかよ、と。そのぐらい滅茶苦茶やってるんですが、資料なんか殆ど存在しない文明だし、なにより、面白いから許す、ってことでOK!そのぐらいメル・ギブソンの頭にある”野蛮極まりない低級な土人たちの文明”のイメージをそのまま絵にしたような悪意に満ちたトンでも文明に仕上げられていますね。メル・ギブソンって本当にいけ好かない想像力してますねえ。やっぱ骨の髄まで変態ですねえ。実は追っかけっこのシーンよりもこのグチャグチャに描かれたマヤ文明描写をずっと見ていたかったですね。もうね、たちの悪いとしか言いようの無い悪夢的な描写なの。おっかけっこも楽しかったけど、マヤの神官と皇族、それと軍部と奴隷とのどろどろの政治抗争劇とかやったら面白かったのになあ。というかオレそういうの期待してたんだけど。この映画には基本的に政治的な暗喩は無いとは思ってるんですが、爛熟し退廃した王国ということではローマ帝国や虐殺に血道上げすぎて戦争負けちゃったドイツ第3帝国などのイメージがちょっと被りますね。

”超伝統主義カトリック教徒”であるというメル・ギブソンにとっては、マヤ文明などは邪教邪神の類を信奉するよこしまな文明に他ならないんでしょう。つまりギブソンにとっての「ソドムとゴモラ」がマヤ文明だったというわけです。ただ、この映画でギブソンは邪教批判をしたかったのではなくて、キリスト教文化圏で育った彼にとっての理解しがたい風習習俗を、自らのアイデンティティとかけ離れた”忌むべきもの”を、あえて映像化することで自分自身の”怖いもの見たさ”という下世話な興味を実現したかったんじゃないでしょうか。「うあっ、土人の神殿?なにそれ。生贄?信じらんねー。マヤめっちゃキメエ。…でもどうなってんのそれ?」なんていうのが案外今回これをギブソンが映画化した理由なのかもしれません。それにしても、タトゥーや土人な小物で身を飾った戦士の皆さんのルックス、そしてそんな彼らとの追跡劇は、なんだかギブソン主演作『マッドマックス』と被って見えちゃうんですが。案外この映画はギブソンにとっての『マッドマックス4』だったのかもしれません。

Apocalypto Trailer