ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習 (監督・ラリー・チャールズ 2006年アメリカ)

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カザフスタンより馬鹿をこめて
ボラット・サカディエフさんはカザフスタン国営放送のTVリポーターだよ!ボラットさんはこのたび文化交流の為にアメリカに出かけることになったんだ!でも中央アジアの僻地から来たボラットさんにはアメリカの文化は判らない事だらけ!ええっ!アメリカの皆は障害者馬鹿にしたり犬を撃ち殺して遊んだりはしないの?女の脳ミソって男より小さいんじゃなかったっけ?アメリカは常識の通用しないとんでもない場所だね!

サシャ・バロン・コーエン主演、最低バカ映画『ボラット』である。カザフスタン国営放送云々は勿論嘘八百で、「なんだかよくわかんない国から来たよく判んないヤツ」というコンセプトなのだろう。だいたいオレもカザフスタンなんて言われてもよく判らない。アフガニスタンとかウズベキスタンとか、なにしろ「スタン」系の国は全部一緒だと思っていた。他にもトルクメニスタンとかクルグズスタンとかがあるらしい。全部一緒でも構わないような気がするが、当のお国の人たちにとったらとんでもないことだろう。しかし日本だって欧米に行けば朝鮮や中国とごっちゃになってるからな。考えてみれば北欧も東欧も東南アジアもアフリカも細かい国まで知らないと言う意味ではオレにはどれも一緒で、世界地図を持ち出されて「○○という国はどこですか」などと質問されたら殆ど不正解ばかりだろう。でもインドは判るぞ。あそこはカレーが美味いらしい。イタリアもなんとなく判る。あそこはピザが美味いという話だな。…日頃偉そうな事を言っているオレの教養なんてこんなものである。しかし!今回この映画を観たお陰でオレはカザフスタンという国がよく判った!というか、オレは初日の1回目を渋谷のシネ・アミューズで観たのだけれど、駐日カザフスタン共和国大使館発行のカザフスタン概要小冊子を映画館で配ってたぞ。映画ではメチャクチャなことを言っていたが、あれはシャレだってことは誰だって判る事だし、こうやって興味を持って接すると、結構美しい国だっていうのが判るぞ。ま、映画はカザフスタンから相当怒られているらしいが!

■そしてみんな馬鹿だった
映画はというと、サシャ・バロン・コーエンボラットという架空の田舎外人TVリポーターに扮して善良なアメリカ市民の皆さんに近づき、下劣際まりない言動と行動を連発してリアクションを見る、という畜生にも劣るクズ人間振りを楽しむ映画だ!周りの皆さんには迷惑かけまくりだ!だいたい皆、映画の撮影だなんて知らずに騙されて出演しちゃった人ばかりだ!そして基本テーマはやっぱり差別だ!人種も国籍も性別も職業もなにもかも差別しまくりだ!そしてシモネタも豊富!一番楽しかったのはボラットとその相棒のコキタネエ全裸を晒した男同士の掴み合い喧嘩シーン!あんなにコキタナイ裸体はそうそう見られるもんじゃないぞ!他にも沢山楽しいシーンはあったが、これから観る人の興をそぐからやめておこう。オレはかなり楽しんだし、実に面白い映画だと思うが、取り合えず差別ネタとシモネタに嫌悪感を抱くような人はダメだろうな。ただ差別ネタとはいっても、よく観るとギリギリの所で言っちゃいけないこととやっちゃいけないことは抑えてあるし、きちんとシャレとして落としてあるんだよな。これは差別する側であるボラットが、”田舎もんのバカ外人”という逆に差別される立場を装っているからだな。冒頭ではユダヤ人に関するとてもオソロシイ差別映像が流されるが、これも主演のサシャ・バロン・コーエン自身がユダヤ人だから実は差別にならなくなってしまうという、引っ繰り返った構造があったりするんだよな。確信犯なんだよ。

■偉大なる馬鹿
差別は良くない、勿論やっちゃいけないのだけれども、どこかで民主主義の名の下にあえて言及は控えるとか見て見ぬ振りするとか、要するに臭いものには蓋をするような、相手を透明人間のように扱う無視の仕方で差別を回避している状態だってあるんだよな。例えば日本ではホームレスとは透明人間だ。いるけれどもいない。でも最近オレはネットのブログなんぞでホームレスに関する空恐ろしい憎悪に満ちた文章を読んでかなり萎えた記憶がある。具体的な差別行為はされていなくても、憎悪や侮蔑の感情というのはどこか暗い場所に隠された大鍋でグツグツ煮えているのかもしれない。ボラットでやっていることは「お前ら本当にしょうもないよな」と面と向かって言うことにより、相手との距離を縮める、というやり方なんだと思う。隠されてしまった憎悪の本質と取っ組み合ってみよう、というのだ。つまり憎悪のガス抜きなんだ。ここで必要なのは上からものを見ているような”理解”や”攻撃”ではなくて、同じ目線に立てる”共感”だ。まあ危険だから素人にはお勧めできないが。ボラットは馬鹿映画だが、自分も馬鹿だからあえて他人にもあんたも馬鹿と言える。さらに自分はあんたよりもっと馬鹿!とさえ言ってしまっている。罵倒すればいいってもんじゃない。言いたい事を言ってるだけの偉そうな連中とは”馬鹿”という意味で格が違う。馬鹿とは偉大なのだ。そして偉大な馬鹿とはソフィスティケイテッドされた知性だ。だからボラットは面白い。