ハッピー フィート (監督:ジョージ・ミラー、ジュディ・モリス 2006年 オーストラリア・アメリカ映画)

「歌で心を表現する」ことが常識の皇帝ペンギンの世界に歌えないペンギン・マンブルが生まれる。しかし彼にはタップ・ダンスという得意技があった!折りしも南極大陸の動物達の間では深刻な魚不足が囁かれていた。ペンギン社会から追われたマンブルは魚不足の原因とみられる「エイリアン」達に会いに、おかしな仲間達と一緒に大陸横断の旅に出る。

可愛いペンギン達が歌って踊って、「他と違っていたって構わない、これは自分の個性だからさ!」と実にアメリカ的なポジティブシンキングを披露しまくるアニメなんだろうな、と軽い気持ちで見に行ったのだが、それだけの映画では決してなかった。この映画、南極の自然とそこに住む動物達との一大スペクタクルではないか!極寒の南極の厳しく美しい自然の光景をCGで余す所なく再現し、その中で生存競争を繰り返す生き物達の逞しさをリアルに表現した『野生の王国・南極篇』である。崩れ落ちる巨大な氷壁、氷原に吹き荒ぶ真横から来る暴風、海と空の青さ。どれもが美しい。この映画を作るに当たり実際に南極にリサーチしに行ったらしい。さすがである。

映画『マッドマックス』でその名を馳せた監督ジョージ・ミラーのスピード感溢れる描写も楽しい。海の中をジェット編隊のように隊列を組み高速で泳ぐペンギン達の優美さ、歯を剥き出し食い付こうと迫るアザラシとの水中チェイス氷壁をあっちをぶつけこっちをぶつけ、どこまでも真っ逆さまに滑り落ちてゆくコミカルなシーンなど、サービス満点である。確かに水の中のペンギンは砲弾のように泳ぐから、このスピード感も決して誇張ではないだろう。

ミュージカルシーンは賛否両論らしいがオレは逆にとても楽しめた。スタンダードナンバーからソウル、ロック、ポップソング、ラップミュージックまで、欧米の音楽産業が保有する音楽ソフトの豊富さを思い知らされるような様々なジャンルを網羅したセレクトになっており、それらの音楽のフレーズがあたかも会話をしているかのように応酬しあうのだ。洋楽ファンならどんな音楽が使われているのかを当てながら観るのも楽しいだろう。オーロラの舞う空の下、ペンギン達がクイーンの『Somebody to Love』をゴスペルチックに大合唱するシーンには感動させられた。また主題として使われる曲がプリンスの『Kiss』で、この曲が好きだったオレとしては嬉しかった。なにしろ何千何万というペンギン達が歌い舞う映像は圧倒的な迫力に満ちていて、これはもうCGの勝利としか言いようがない。

登場人物ならぬ登場ペンギンも個性的で楽しい。ペンギン達はデフォルメされていないリアルな造型なので、見た目はそれぞれあまり変わらなかったりするが、仕草や声の質でそれとなく区別をさせているのは演出の勝利だろう。しかし人間の女性のような色気を振りまくヒロインのペンギン、というのも見た目がリアルだけに考えてみると可笑しい。主人公の旅の仲間となるアデリー・ペンギン達がラテン系の陽気な奴らで、しかし南極で陽気、というのもこれまた可笑しいが、主人公の決死な面持ちと対比的な彼等の存在が物語に膨らみを持たせている。蛇足だが主人公マンブルの声を演じているのはイライジャ・ウッド。やはり旅に仲間は付き物らしい!

主人公が他のペンギンとちょっと違う原因となったのは、彼が卵の頃、卵を暖めていたパパがその卵を落っことしてしまったからだ、ということになっている。皇帝ペンギンはオスが120日間絶食状態で子育てをするのらしい。それも-60℃にもなる地吹雪の吹きすさぶ氷原でである。場合によってはそれで命を落とす事もあるという。南極という極寒の地で卵を”温める”といういわば自然に逆らった行為が命を生む。エントロピーの法則によれば全ての物は拡散し乱雑化し熱的死を迎えるというが、生命というものはそのエントロピーを押し戻すという曲芸のような形で存在しているものなのだなあ、だから凄いもんなんだなあ、などと少しだけ神妙になって考えたオレであった。(これをネゲントロピーと呼ぶらしい。*1)それと同時に、動物って食う事と身を守ることと生殖だけ考えていりゃあいいんだからいいもんだよなあ、とも思ってしまったオレであるが、いくら面倒臭い事を言ったりやったり思ってたりしていても、人間だって基本的にはそんなもんじゃないのか?とちょっと考えてしまったオレでもあった。

参考:コウテイペンギン(Wikipedia)

■Happy Feet Trailer

*1:量子論創始者の一人であるエルビン・シュレディンガー(1887〜1961)が生命学の分野に踏み込んだ「生命とはなにか」はその後の物理学、生命学に大きな橋渡しをした。いまでは古典となってしまったが、生命はエントロピーの法則に逆らう未知のエネルギーによって動いているとしておりこれをネゲントロピーと名づけた。http://kamakura.ryoma.co.jp/~aoki/paradigm/negentoropy.htm