ああでもなくこうでもなく このストレスな社会 / 橋本治

このストレスな社会! (ああでもなくこうでもなく (5))

このストレスな社会! (ああでもなくこうでもなく (5))

現実に起こる事件や事故には殆ど興味が無い。その多くは考えてもどうしようもないことだからである。しかしもしも考えるのだとしたら、その背景を突き詰めなければ考えた事にはならない。起こった事件事故に瑣末に直対応してゆくことは徒労だし、実は本質的なものが何も見えていないという事だってありうるからだ。
橋本治は一応作家なのだが、その時評は彼の並外れた洞察力でもって時代を喝破し、独自で鋭利なその切り口は他の追従を許さないほどの圧倒的な説得力を見せる。橋本の評論の強みは地に足が着いているという事、それは自分の生い立ちや考え方の基盤から説明し、自分の立脚点は何処にあるのかをしっかり説明していると言う所だろう。オレは時々人様の文章を読んで「この人はいったいどういう生活をしていてどういう立場でモノを言ってるんだろう?」と疑問に思う事があるが、そう思ったときは相手がどのような口当たりのいい正論を言っていたとしても用心するようにしている。その点、橋本にはそれが無い。また、物事を評論する時にはそれを大きく俯瞰し広く捉える事が肝心だが、橋本の場合は時に時空さえ超える所が実にユニーク。もともと国文学を専門にやっているからなのだろうが、突然数百年も時を遡って現在と対比させてしまうのが面白い。
そのような視点から書かれた今回の著作は、広告批評に連載されているこの本と同じタイトルの時評、「ああでもなくこうでもなく」をまとめたものの第5巻目となる。年代で言うと2004年から2006年までの2年半余りの日本社会の事件や政治を扱ったものだ。扱ったものではあるが、ここで橋本はTVや雑誌などに溢れかえる陳腐で大衆迎合的なモラルに則った「世相を斬る!」方式の時評などは決して行わない。ここで橋本はその当時起こった事件や政治問題をバブル期や高度成長期、さらには終戦当時の経済のあり方にまで遡り、その中で一見関係の無いように見える事例を対比させながら、実は事象の根源にあるものが同一である事を突きつけ、本当の問題とは何処にあるのかを説明しようとする。掛け違ったボタンの一番最初のボタンホールを探し出すかのように。そのような考察の中から橋本は”豊かさ”とは何か、何を持って”豊か”というのかを問いかける。また経済を取り上げるにしても、学者のように「経済とは何か」といった構造を述べるのではなく、「経済は何のためにあるのか」から説こうとする。視点が根本的に違うのだ。そこが新鮮だし、信用できる。