産霊山秘録(むすびのやまひろく)/半村良

産霊山秘録 (集英社文庫)

産霊山秘録 (集英社文庫)

日本古代より朝廷や時の権力者の陰に存在し歴史の裏で世を平定し国の危機を救ってきた〈ヒ〉一族なる集団が存在していた。彼らは念話や瞬間移送、思考操作などの特殊な能力を持つ謎に満ちた一族であったが、もう一つ、「全ての願いを叶える」とされる”産霊山”の”芯の山”を発見することが代々の悲願であった。物語は戦国時代、織田信長による比叡山焼き討ちに始まり、明智光秀本能寺の変武田信玄豊臣秀吉徳川家康関ヶ原の合戦が登場、猿飛佐助や鼠小僧次郎吉、真田一族、江戸時代には水野忠邦、垂井了軒、安政の大獄、そして幕末に坂本竜馬近藤勇池田屋事変を描き、さらに太平洋戦争における東京大空襲をクライマックスとして、ラストでは月面探査船による月着陸までが描かれるという、重厚な歴史の流れとその中で泡のように現れては消えてゆく人々の運命を描いた伝奇大作である。半村良といえば大河巨編『妖星伝』においてSFファンから絶大な支持を受けていた作家であり、同時に直木賞、紫田錬三郎賞、この『産霊山秘録』では泉鏡花文学賞を受賞する文学者でもある。あと『戦国自衛隊』 の原作者だと言うのが一番判り易いか。2002年没。


ところでオレはコーコー生の頃日本史と世界史をまるでサボっていた学生で、テストはいつも赤点、全くよくコーコー卒業できたもんだと今更ながらに思う落第生だったもんだから、実はこの作品を読むまで本能寺の変とか関ヶ原の合戦とか誰が誰と戦っていたか全く知らず、あまつさえ武田信玄豊臣秀吉徳川家康が同時代に生きていたなんていうことを生まれて初めて知ったという体たらくである。スマン。取り合えず謝っておく。本当にスマン。坂本竜馬近藤勇池田屋事変は知っていた。水木しげるの漫画で読んでたの。だから許して。さてそんな無知蒙昧・頑迷固陋・軽佻浮薄・絶体絶命なオレなもんだから今回は読むの苦労しました…。五百ページぐらいなのに1ヶ月掛かってるなあ読むのに。でも面白かったよ。


この小説の本当の主題はひとつだといってもいい。「人は何故生まれて、そして死んでゆくのだろう。」人は何故救われないのだろう。人は何故人を救わないのだろう。生命は何の為に存在しているのだろう。そしてどうして生きねばならないのだろう。長大な歴史を扱った本作だから、例えどのような歴史的な人物であろうと雑民であろうと誰もがあっけなく死んでゆく。戦の描写ともなると数ページで何千何万という人たちが死んでゆく。そのなかで人は願いや望みを抱くけれども、死はそれを待たず、ただただ歴史の車輪が動くのみであり、データは更新され、人は砂時計の砂の様に消え去っていくだけだ。この無常観。


そしてその無常観の中でそれまで歴史の傍観者のように描かれていた作者の筆致は、地獄のような東京大空襲と廃墟と化した焼け跡を描く「時空四百歳」の章に変わると一気に情念を爆発させるのだ。国家も天皇も結局は自分や自分の家族を救うことなどしなかった。天皇の為に生きそして死んでいった<ヒ>一族の祈願は全て無意味だった。ここではこれまでの章のような歴史的な人物は登場しない。市井の人々こそがまさに主人公であり、その声が物語を進めてゆく。これは戦後焼け跡派の作家として自らも悲惨な戦争体験を持つ半村の生の声であり、この作品全体の主軸ともなる部分だ。むしろこの作品自体が、この章を描く為に存在していたのだと言っていい。半村は瓦礫と化したかつてのわが町を眺めながらこう思ったのだろう、「なぜこんなことが起こらねばならなかったのか」と。そして半村の奔放な想像力は400年の時を遡り、日本の歴史に存在するあらゆる戦を描きながら、その陰で蠢く<ヒ>という架空の一族の目を通してもう一度歴史というものを見つめ直そうとしていたのだ。


これと似た作家にアメリカのカート・ヴォネガットがいる。彼もまた第2次世界大戦においてドレスデン大空襲を体験した作家である。このドレスデン大空襲は東京大空襲の被害をさらに上回るという説もありヴォネガットの小説では東京大空襲での死者10万人あまりに対しドレスデンでは13万人の死者が出たとしている。*1このドレスデン大空襲は「ヨーロッパのヒロシマ」とまで呼ばれており、第2次世界大戦中のヨーロッパにおける最悪の爆撃作戦であったと記録されている。ヴォネガットもまたその瓦礫の中で、徹底的な虚無感を味わったのに違いない。この体験は問題作『スローターハウス5』を書かせているが、これは戦争小説ではなく半村のようにSFなのである。SFという架空の話にしなければ超えられないほどの悲しみと痛み。これは半村も共通して持った感情だったのではないだろうか。そしてこのドレスデン大空襲と東京大空襲を指揮したのはアメリカの同じ指揮官であった*2ことを半村のこの小説でオレは初めて知った。戦争の悲惨さと人間の持つ愚かさを改めて考えさせられた小説であった。

*1:ただこれには諸説あり3万人という説が多い。これは当時のドレスデンに大量の難民が流入しており、正確な数が把握できていないということと、戦勝国である連合国側が非難を避ける為数字を隠匿しているからだという話がある。しかしどちらにしても非戦闘員を対象にした悲惨な爆撃作戦であった。
概要:『ドレスデン爆撃』Wikipediahttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%87%E3%83%B3%E7%88%86%E6%92%83

*2:カーティス・E・ルメイ将軍。ネットで調べるとルメイはドレスデン爆撃を”参考にして”東京大空襲を行ったと言う記述もある。彼はその後キューバ空爆ベトナム北爆をも当時の大統領に進言していた。
概要:『カーチス・ルメイWikipediahttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%A4