遺す言葉、その他の短篇 / アイリーン・ガン

遺す言葉、その他の短篇 (海外SFノヴェルズ)

遺す言葉、その他の短篇 (海外SFノヴェルズ)

SF作家アイリーン・ガンは馴染みの薄い名前だが、ウィリアム・ギブソンブルース・スターリング共著のサイバーパンクSF『ディファレンス・エンジン』に詳細な補遺『差分事典』を付け、当時のSF翻訳者達に「これはいったい誰だ?」と注目を集めた作家らしい。彼女のその補遺は邦訳版『ディファレンス・エンジン』に附録として収録されているので、持っている方は確かめてみるといいだろう。そして当のギブソンと親交も深いということで、サイバーパンク前後のSFが一つのパラダイム・シフトを起こした時期の作家と見てもいいだろう。この短篇集に収められた『コンピューター・フレンドリー』はまさにそのものズバリのサイバーパンクSFで、コンピューターネットワークに適応できない児童を間引きするというディストピア社会での冒険を描いたものだが、ギブソン風の情報の洪水を模倣するのではなく、どことなくファンタジックな味わいがあるのはこの作家の持ち味なのだろうか。


全体的に見渡すとアイリーン・ガンは良くも悪くも”ファン作家”ということが出来るのではないかと思う。恐るべき遅筆、寡作なのらしいが、これは商業作家としての成功を特に望んでおらず、また、小説で家計を成り立たせる必要がない、ということなのだろう。そんな彼女の作品は、整頓されソツのない完成度ではあるけれども、訴求力に若干欠けるきらいがある。強烈なヴィジョンが希薄だったり落ちが弱かったりするのだ。ただその丁寧な筆致には好感が持てるし、SF小説を書くという欲求や喜びは十分伝わってくると思う。だからごく親しい友人が書いた作品をそっと渡された時のように、これらの物語を読み進めていくといいのだと思う。


もうひとつ、アイリーン・ガンは”寓意の作家”であるという事が出来る。例えば『中間管理職への出世戦略』は強烈な競争社会のなかでビジネスの為にグロテスクに肉体改変する人々の物語だが、これは”肉体”を”人間性”と読み替えると判りやすかったりする。『ライカンと岩』は異星人に支配された奇妙な未来世界の学校に通う少女の物語であり、『ニルヴァーナ・ハイ』は超能力を持つ子供達の通うハイスクールの物語であるが、これは思春期の少女が大人になる過程でどのように社会を受け止めるのかというお話なのだろう。そしてニクソンが人気TVパーソナリティーとして活躍するもう一つの歴史を描いた『アメリカ国民のみなさん』は政治的なジョークとして読めばいいのだと思う。


最もSFらしいのは『スロポ日和』。これも異星人に支配された地球の物語だが、地球文明をリサーチし、人類は滅ぼしたほうがいいという結論に達した異星人を思いとどまらせる為の方法が実にユニーク。ジェイムズ・ティプトリーが書いていてもおかしくないような傑作。『春の悪夢』はS・キングが選者を勤めるホラー賞への投稿作品だが、キング的なグロテスクなホラーを巧くものにしている。合作である『緑の炎』はSF界のベテラン作家、ハインラインアシモフ、そしてニコラ・テスラの登場する時空を超えたスラップスティックで、これも悪くない。


しかし一番心に残るのは表題作でもある『遺す言葉』だろう。故人である実際のSF作家、アヴラム・ディビッドソンの半生にインスパイアされたというこの物語は、鬼籍に入った父の遺品を整理する娘が、死して初めて父の魂の本質と作家としての情熱に触れる、という感動的なドラマである。そしてこれは作家は何故物語を書き記すのか、という物語でもあり、アイリーン・ガンのSF小説を生み出すものへの敬愛の情を感じることが出来る、静かで余韻に満ちた掌編である。