BROTHER、そして”北野武”という男の映画

BROTHER [DVD]

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タナトス。「死への欲求」と訳されるこの言葉ほど北野武の映画に似合う言葉はない。そして北野の描く死はただ”死”そのものであって悲劇でも喜劇でもない。”死”にドラマを持ち込むのは生への執着があるからだ。蝿やゴキブリのように死んでゆく北野の映画の登場人物は生に対して一片の執着も持たない。いつどのように死んでも誰も省みないし自らも問題にしない。ただひたすら無意味な死。それは生自体に意味など存在しないから。


映画『BROTHER』は最初に観た時はそのラストに凡庸な悲壮感で間に合わせたような演出を感じ白けたものだが、再見してみてこれは後半から延々と続く無意味で虫けらのような死に様の一つでしかないということに気付き、評価を改めた。この映画のタイトル『BROTHER』は一見、肉親との兄弟愛やヤクザ同士の義侠心に絡めたものとして読めるし、実際物語りもそのように進行してゆくのだが、映画後半はそのようなテーマなどはなから存在しなかったように殺戮に次ぐ殺戮がひたすら暴走するという恐るべき破綻を見せる。たけし演じるヤクザの義理の弟は犬死し、たけしの元舎弟のヤクザも無意味な意地を張った上に切腹を遂げる。


それは”兄弟”であることの絆や心情などなにも関係ない単なる矮小な”死”であり、この時点で『BROTHER』という看板は有名無実と化してしまう。死を賭けるのでも死を回避するでもなく、「みんな死んじゃうね」とケラケラ笑う後半のたけしには既に兄弟愛も義理人情も存在しない。仲間達の命を守るそぶりすら見せない。彼は死を呼び寄せる死神だ。死神だから死に頓着しない。勿論、自らの死さえ。だから後半はドラマですらない。ここまで破綻しながらも、しかしたけしの描く死は気持ちいいぐらい甘やかだ。誰もが死ぬ。みんな死ぬ。死には意味は無く、そして生にも意味は無い。何も無い。


この巨大な”虚無”こそが北野武がその映画作品で取り付かれたように執拗に描くテーマだ。だから北野の映画はどれも同じだといっていい。ゾンビ映画のように、ポルノビデオのように、同工異音ながら、やっていることは皆同じだ。しかしそれをオレは貪るように見る、なぜなら死と性はこの世界の神であり信仰であり本質なのだから、そして我々はそれに恭しくかしずくのみなのだから。それ以外のお喋りは単なる戯言であり暇つぶしに過ぎない。好きなことを言うがいい、笑うがいい、楽しむがいい。死までの猶予を、その虚無の中の刹那を。
これが、北野武の映画である。