レベル3 / ジャック・フィニイ

レベル3 (異色作家短篇集)

レベル3 (異色作家短篇集)

早川異色作家短編集第13巻。ジャック・フィニイは映画化もされている地球侵略SF『盗まれた街』が有名だが、むしろ時間SFを得意とする作家として定評があるのではないだろうか。それも、失くしてしまった過去をもう一度取り戻したい、そしてこの今をもう一度やり直したい、といった後悔や逡巡を扱った物語だ。だからジャック・フィニイの物語にはどこか物悲しさが付きまとう。この短編集『レベル3』でも様々な時間と人間を巡る物語が語られる。


例えば『レベル3』は地下鉄駅に存在しない地下3階を見つけ、『おかしな隣人』は未来から逃れてきたかのような隣人のお話だ。『第2のチャンス』はクラシックカーを愛する青年が紛れ込んだ奇妙な世界の物語。そしてこれら全てに共通するのは慰めと救済を過去にしか見出せないやるせない心情と感傷だ。『ニュースの陰に』は未来を改変出来る活字を手に入れた新聞記者、『こわい』は時間の流れがおかしくなった世界が描かれるが、これは作者の「時間を意のままに操ってみたい」という願望なのだろう。一方、『世界最初のパイロット』も時間旅行の話だが、これは南北戦争に飛行機が登場したら?という内容の軽妙な御伽噺。


そんなジャック・フィニイの心の内は『失踪人名簿』で最も語られているように思う。辛い現実を逃れ、理想郷のような世界への旅を秘密に斡旋する旅行会社の存在を知った主人公の到る顛末。ここで登場する理想郷の世界は、これまで語られてきた「美しく何もかもが豊かだった過去」と同義だ。ジャック・フィニイの物語は、この現実を徹底的に否定し、理想化された過去へ、異郷へ、確信犯的に逃避する。彼の物語には現実の世界に生きるということのいたたまれなさがあたかも叫び声をあげているかのように描かれる。そしてSFの手法を借りながら、彼の願いはこの世界から逃れここではないどこかに消え去りたい、という《失踪願望》がその根底にあるような気がする。


過去が過去というだけで素晴らしい世界であるわけは無い。回顧の中の過去は美化されたものに過ぎず、どこに生きようと現実の生き難さは変わらない。しかし、ジャック・フィニイはそんな苦い現実を知った上であえて有り得るはずのない世界を夢想する。小説という装置が現実逃避の為のものでしかないと知った上で、理想化された過去の世界へと歩み去る。


しかし、逃避的な物語を書く彼は実はリアリストなのではないかと思う。『雲の中にいるもの』『青春を少々』での微笑ましいラブコメディは、理想と空想で頭でっかちになった男女が現実に目覚めお互いの真実と向き合いそして初めてお互いと出会うという話だ。ここではハーレクインロマンスのような甘い夢想から抜け出し、ちょっとかっこ悪いかもしれないが捨てたもんじゃない現実を肯定するという物語なのだ。このモチーフは彼の描く逃避的な時間SFとは真逆のアプローチなのである。彼がこのようなリアリストであるからこそ、時間旅行の物語を、この世界からの逃避を、不可能であり空想でしかないと知った上で描かせるのだと思う。


そしてジャック・フィニイの物語はやるせなく切ない。『潮時』では人生の岐路でひとつの選択をしなければならなかった主人公が、同じ選択を過去に迫られた男の生霊を見る。彼の選択は何を生み何を失わせたか。そして、どう生きることが正しいことなのか。ここでも現実的に生きることとはどういうことなのかが語られるのだ。だからやはりジャック・フィニイの物語はリアリストの物語なのだと思う。そして彼の作品は全編を通して後口がいい。登場人物を物語の駒のようにないがしろにしない。きっとそれは物語の中で悩みうなだれる登場人物が彼自身の似姿だったからなのだろう。そして彼は現実でもきっと善良な人物だったのに違いない。


ちなみに『死人のポケットの中には』は高層アパートの窓の外へ閉め出された男の話。普通に怖いです。