キョンシー映画観まくり!

またもやムキになってキョンシー映画を観まくりました。キョンシー・ブームを生んだ「霊幻道士」は今回初めて観たと思ったのですが、どうも以前観ていたらしい。忘れている…。そんな有様なので当時ブームだった時期に大量に製作されたであろうキョンシー映画は全く判らないんですが、「霊幻道士」の再見と、あとレンタル屋にあった怪しいタイトル2作を観てみました。
基本的に作りは一緒で、死者があり霊魂が迷っており道士はそれを鎮める、と。その主題の中にいろいろなドラマをからめていく訳です。これはゾンビやドラキュラの映画と同じ手法なんでしょうね。バケモノの成り立ちとそれを倒すためのルールは決まっていて、観客には暗黙の了解になっている訳なんですね。あとはそれを様々な変奏曲として見せる、ということです。そしてホラーというよりもファンタジーに近いような気がした。術があり、気があり、精霊があり、という部分で。


霊幻道士

ブームの火付け役となったこの作品は娯楽作としての様々な要素をどれもバランス良く盛り込まれており、破綻の多くなりがちな香港映画としては今観ても構成のしっかりした良作として仕上がっていますね。キョンシーが登場した映画はこれが初めてではないのでしょうが、このバランスのよさがヒットの原因だったのでしょう。顔にお札を貼ったキョンシーの出で立ちやや道士の衣装、そして術、どれも公開当時は日本では非常に目新しく新鮮なものとして目に映ったのだと思います。そしてキョンシーがどこと無くコミカルなものとして描かれたことも親しみをもって受けいられた要因だったのでしょう。物語りもキョンシー討伐の物語と同時に女幽霊と人間との恋も描かれ、話に膨らみが持たされています。中国文化圏の妖魔の扱われ方、中華思想的オカルトの在り方が楽しめたという部分でも興味深く面白く観ることができるものでした。そして子供達が合唱している(ように聞こえる)女幽霊の歌が今聴いてもとても可愛らしいですね。


少林キョンシー

えー、少林でキョンシーです。そのまんまです。少林使いの道士がキョンシー達を生前過ごしていた村へと連れて行く途上での悪鬼達との戦いに、魔道士となった兄との確執が絡みます。兄は何処かの墳墓で魔神を甦らせますが、この魔神に逆に命を脅かされます。その後魔道士の兄と主人公の導師との戦い、異次元での魔神との死闘、そしてキョンシー軍団の来襲などがクンフーとワイアーアクションを満載にして描かれ、大いに盛り上がってくれます!最後には宇宙から隕石が!VFXはちゃちいのですが、それは言わない約束ということで!ただ、なんで魔神と戦わなきゃならなったのがよく判らなかったが、ま、いいでしょう!カンフーの戦い楽しかったし。


キョンシーvsくノ一

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また大胆なタイトルですねえ…。ここでもまたキョンシー使いがキョンシーを生前の故郷まで動く死人として運ぶ様子が描かれます。二組のキョンシー使いが出てきますが、中国の少数民族系のコスチュームだというところが面白かったですね。そしてそれぞれが独自のキョンシー使い奥儀を持った宗派ということになっており、最初は対立しながらも最後では協力し合って悪鬼を撃退する、という物語展開になっています。えー、さて、問題の”くのいち”なんですが、”くのいち”っつう位だから日本の女忍者なんですが、えー、何の為に出てきて何故”くのいち”なのかはよくわかりません。しかも何故か中国の為に働いてるみたいだし。多分『色付け』って事なんでしょう!


○映画で判ったキョンシーの謎(正しいかどうかも謎)
・死体は生前の故郷に埋葬するのが習わしだったらしい。これを楽に運搬する為にキョンシー化して歩かせる(跳ねさせる)ということみたい。
キョンシーである状態ではまだ魂が残っているが、魂が抜けた状態の死人であると、それは鬼になるらしい。つまり、死人の肉体が鬼に乗っ取られないように埋葬するために運ぶということだとか。
・日光に当てると残っていた魂が抜けてしまうので、夜に行動する。
・ピョンピョン飛ぶのは、運搬しやすいように前進しかできない術を掛けているから。
・手を前に出しているのは、手前にいるキョンシーの踵を踏まないようにするため。
・男女のキョンシーは一緒にしてはいけない。
キョンシーといえども人間の女性に妊娠させることが出来る。生まれた子供は悪鬼になる。