破局 / ダフネ・デュ・モーリア

破局 (異色作家短篇集)

破局 (異色作家短篇集)

早川異色作家短編集10巻目。やっと折り返し地点まで読んできました。このダフネ・デュ・モーリアヒッチコックの『鳥』『レベッカ』の原作で知られる女流ミステリ作家。オレはミステリには暗いのですが、”パトリシア・ハイスミスのように再評価がされるべき作家”と後書きで述べられていました。確かに、まるでノーチェックな作家だったのですが、読み応えがある作品が多数収録されており、これまで読んできた異色作家短編集の中でも高い完成度を感じます。
作品を紹介してみます。「アリバイ」は退屈の為に殺人を計画した男が、被害者に選んだ外国人母子のアパートに間借りするところから始まります。最初は普通のクライムノベルかな、と思って読み進めると、偽りの身分である画家の仕事に男は没頭してゆき、社会に頼るものの無い母子の不安は男への依存心へと変わってゆき、それらが物語に奇妙な揺らぎをもたらしてゆくのです。そして物語は男の思惑とは違った方向へと焦点の定まらないまま漂っていきます。この短編集の中で最も歯ごたえのある短編でした。
「青いレンズ」は目の手術後に有り得ないものを見てしまう女の話。しかしそれは同時に女の、世界への不信感と頑なさが見せたものなのかもしれません。
「美少年」はヴェニスに旅したある男が給仕の少年に背徳的な恋をして…という物語ですが、やはり思い浮かべるのは「ベニスに死す」でしょうか。この物語でも次第にぐずぐずになってゆく男の心理と、なし崩しに解体されてゆく状況が、さもしく物悲しいラストへとなだれ込んでいきます。
「皇女」はヨーロッパの架空の君主国の盛衰を重圧な筆致で描いたもの。何不自由なく過ごしていた民衆が、「進歩的」という名のリンゴを齧ってしまったばかりに起こる悲劇。資本家に扇動され有る筈の無い不満を感じ、偽のプロパガンダに惑わされ血塗られた革命を蜂起する衆愚の姿は、どこの国にでもありそうな陰鬱な蒙昧さ感じさせます。
「荒れ野」は口の利けない少年が新しく移り住んだ家で垣間見る妄想の物語。彼が厳しい両親から逃れるために形作られた夢想の形は、彼をその現実から連れ出すことが出来たのでしょうか。
「あおがい」は30代半ばの一人の女が、自らの生い立ちを回想する話。一見頭の回転の速そうなこの女が、その差し出がましさから幸福を取り逃がしてゆき、しかしそれに本人が気付かない。これもまた一つの自己疎外の物語なのでしょう。
ダフネ・デュ・モーリアのこれらの物語に共通するのは寄る辺の無い孤独な心です。「アリバイ」では男は家庭から、貧しい母子は社会から疎外されています。「青いレンズ」の女は自らの猜疑心で世界から孤立し、「美少年」では現実から逃走した男が隠れ家として選んだ場所で破滅します。「皇女」では革命の最後の生き残りである皇女の世界への不信と孤独が描かれます。「荒れ野」では体が不自由であることから少年は両親と世界から疎外されます。「あおがい」では才気に富んだ少女時代を持つ女が、結局は孤独な中年女へと堕して行く様が哀れを誘います。
この短編集は恐怖や驚異については描かれませんが、作者の冷徹な視線は人の心に宿る誰からも省みられない孤独と孤立を浮き彫りにしてゆきます。孤独とその飢渇した心から生み出される愚かさは、しかしこれを読む我々の中にも存在しているものなのだと思います。だからこそこれらの物語はどこか遣る瀬無いのです。この短編集のタイトルは「破局」ではなく「孤立」と名付けられるべきだったのかもしれません。