無限がいっぱい / ロバート・シェクリイ

無限がいっぱい (異色作家短篇集)

無限がいっぱい (異色作家短篇集)

早川異色作家短編集第9巻。隔月2巻の刊行ですが、だいたいSF作家とミステリ作家をペアにして出しているようですね。異色作家短編集自体が数十年前に編集されたものなので当然ですが、ロバート・シェクリイも50〜60年代に活躍したとても古いSF作家です。代表作としては長編で映画化(『フリージャク』)にもなった「不死販売株式会社」短編集「人間の手がまだ触れない」ってところかな?読んだことがあるのは短編集「宇宙市民」だけなのですが、これの中の短編は普通にSFだと思って読み進めると実に大人っぽい資本主義批判がテーマになった作品で、10代だったオレはなにか目から鱗が落ちたような思い出があります。


あと例えばこの中の作品「ひる」は小学生の時にジュブナイルで読んだ事があり、思いっきり懐かしかったな。ちなみにこのSFジュブナイル短編集、P・K・ディックの「にせもの」も収録されており、一人の小学生をSF者にするに余りある傑作揃いだった様な気が。


さてこの『無限がいっぱい』ですが、SF作品と見せかけてさきの「宇宙市民」のような大人っぽい批評や皮肉がラストに持ち込まれる作品が多かったです。言ってみれば”逸話”といった感じでしょうか。
「先住民問題」は先に殖民した一人の男を原住民と間違えて見下す後発殖民隊の話しで、偏見と先入観の愚かさを訴えます。「乗船拒否」は人種差別がテーマですが、差別を裏返したひねくれた物語になっています。「グレイのフラノを身につけて」の今の”出会い系”を予感させる物語、「愛の語学」の”真実の愛”を求める男の結末は作者の恋愛への冷めたスタンスが見え隠れします。「ひる」「監視鳥」「倍額保険」の物事が裏目裏目になってしまう悲喜劇、「風起こる」の元の木阿弥のようなラスト、どれも現実に対する徒労感とそれに対する皮肉がテーマになっています。


ただそのせいか、SF的な想像力の飛躍や単純な驚きに欠けているように思いました。ロバート・シェクリイにはどこか青臭い現実への挫折感や斜に構えた物の見方があり、その辺でフィクションとしての爽快感が失われている部分もあるような気がします。ひょっとしたらシェクリイの物語は背後に作者の苦い動機や経験があるのかもしれません。その中で「給餌の時間」「パラダイス第2」は相変わらず皮肉な物語ではありますが、オチの面白さで楽しめました。