ページをめくれば / ゼナ・ヘンダースン

ページをめくれば (奇想コレクション)

ページをめくれば (奇想コレクション)

オレには子供は居ないけれど、子供を育てたり一緒に過ごしたりというのは、喜びも苦労もあるのだろうけれど、もうひとつ、”驚き”もあるんじゃないのかな、って思う。あー、なんでこんなものの見方をするんだろう、って可笑しく感じたりそれが新鮮に映ったり。そしてそんな不思議なものの見方をする子供たちが実は宇宙人だったら?魔法使いだったら?ゼナ・ヘンダースンは女性ならではの優しく暖かい筆致でそんな”エイリアン”としての子供たちを描きます。


『忘れられないこと』『一番近い学校』は学校にエイリアンの子供が入学しちゃう話。『忘れられないこと』のバタバタしながら結局エイリアンを現実のものとして受け入れちゃう女の先生がなんだか可愛い。
『信じる子』『おいで、ワゴン!』は子供の持つ”ちょっとした魔法”の話。
『しーっ!』は自分の想像が怖くなって泣き出しちゃうような子を連想しました。
『先生、知ってる?』は子供の無邪気さが逆にコワイお話になると云う物語。
『光るもの』は近所の不思議なおばさんの家に泊まりに行った子供が遭遇する不思議な話しですが、それよりも卵一個食べるのに興奮しまくる貧しい女の子の姿がいじらしい。
『グランダー』は嫉妬深い男がなんとか伴侶と仲を取り戻そうする話。「あなたは本当はとてもいい人なのに、どうしてみんな台無しにしたがるの?」という女から男へのメッセージなのかも。
『小委員会』は一人の母親として破滅戦争を回避する術を模索するという物語。男たちが疑心暗鬼の中で睨みあい腹の探りあいをしている時に、女である主人公とその子供は異星人の子供と遊びその母親とお互いの生活様式を分かち合います。同じ生の営みと喜びを持つ者同士がなぜ殺しあわなければならないの?という平和へのストレートなメッセージが籠められ、考えさせられます。
ラスト『鏡にて見るごとく――おぼろげに』は現実に過去の情景が重なって見えるようになってしまった女性の話。コミカルに始まったお話はやがてかつて存在していたであろう一人の女性の生と死、そしてその数奇な運命への共感と哀悼の物語へと変わっていきます。これも良作です。


その中でも秀逸だったのがタイトル作『ページをめくれば』。ここで描かれるのは子供の目から見たあるとても素敵な教師の姿です。子供の視点から描くことにより「子供にとって自分はこういう教師でありたい、人間の手本でありたい」という作者の願いが感じられます。それと同時に、子供達に自分は何を期待するか?が綴られ、人はなぜ物語を必要とするのか、物語は人に何をもたらすのか、もたらすべきなのか、という作家としての立場と理想までも表明した感動的な作品です。


ゼナ・ヘンダースンの物語は「日常+1」とでもいうような、日常のちょっとした延長にある不思議を題材にしています。大きな飛躍は無いにしろ、少しの想像力でいつもと違って見える世界が「おかあさんが夜寝る前に聞かせてくれる御伽噺」みたいで妙に甘酸っぱい。そして多くの物語は実に愛情深く子供たちを描いています。主人公となるのは殆ど女性で、作者であるゼナ・ヘンダースンがそうであったように学校の先生である場合が多いです。そういった意味で非常に女性的な、作者自身が女性性を意識した作風だと思いました。逆に大人の男性が主人公の作品(『おいで、ワゴン!』)だとどことなく殺伐としていて、男性もがさつに描かれているのが対比的で可笑しかった。お話の内容もジュブナイルと言っても通りそうなシンプルで判りやすいものばかりで、小学生の子でもすんなり読めるかも。その辺に物足りなく感じる方もいるかもしれませんが、オレはなんだか妙に和んだなあ。子供を持っておられる方、子供好きな方には特に共感する作品が多いんではないかと思います。特にアゼッチさん!お薦めですよ!


最近出ているいろんな叢書の中ではこの河出書房の《奇想コレクション》が一番好きだなあ。以前ここで紹介したテリー・ビッスンここで紹介したアヴラム・デイヴィッドスンもお薦めです。