現代社会における危機管理のあり方を問う

このあいだ事務所によく顔を出すトラック運転手が受付に訪れて、受付の派遣社員に「皆で食べてよー」と袋一杯の惣菜パンを差し出したのである。


実はどちらもそこそこの年齢の女性、主婦同士の会話にありがちなにこやかで慇懃な外交辞令をしばし交わし、袋一杯の惣菜パンは受付の女性の手に渡ったのである。しかしよく顔を出すとはいえこれだけの量の惣菜パンをどこで手に入れどういう理由で持ってきたのであろうかとオレなどはいぶかしく思っていたのだ。買ってきたとは思えないのでこれはどう考えてもどこやらで余った代物を手に入れてきてこうして配って歩いているのであろう。余った品物、と言うのは商品価値が無くなっているということで即ちこれは古い惣菜パンである可能性が高いのである。


なんだかなあ、とか思いつつ次の日になり、今度は件の派遣の女性が楽しそうに惣菜パンを事務所に一本しかない果物ナイフで切っているではないか。どうやら事務所の人数に合わせるため惣菜パンを切り分けているらしいのだ。しかもあれからさらに一日経った惣菜パンを。「ナイフ全然切れないんですけど」「切れなくてギザギザのほうが美味しく見えるんじゃないの?」「お皿無いんですけど」「ティッシュでいいよティッシュで」などとここでも台所に入ったことなど人生で一度も無さそうな我が事務所の所長と件の派遣の女性との噛みあわない会話を横で聞かされ、何か暗澹たる気分にさせられていたのはこれから起こることの序章であったのであろう。そうして切り分けられた惣菜パンは事務所の各々に配られ始めたのだが、その段階で既に日にちの経ったパン独特の発酵臭がしていたのだ。


しかし嬉々として惣菜パンを配る派遣女性に気圧されてどのような感情を表しているのか判別の出来ない曖昧な表情を浮かべながら皆と同じようにオレはそれを受け取ったのである。小脳が司っているのであろう心の奥底の原始的な感覚は「これちょっとヤバクネ?」とハチドリのように囁いていたのであるが、腐敗臭まで行ってないのであればまだいけるかもなどといつもの意地汚い心根の卑しい性格が八月の入道雲のようにむくむくと湧き出し、さらにはこれしきで小うるさい事をがたがた言うのは男の端くれとしてナニかななどという誰に誇示する訳でもない根拠無き無意味な男らしさが頭をもたげ、そこで思考がストップしたオレは無造作にパンを食い始めたのである。口に放り込むと確かに古い。早くも後悔し始めたオレであるがもう遅い。パンは胃の中に入ってしまった。そして暫く時間が経ち、それはやはり来たのである。


胃の中にぼんやりとした違和感として存在していたそれは次第に金切り声を上げはじめ、刺すようにジンジンと傷んできたのだ。手足の指先は冷たくなり額には脂汗が滲み出る。「…ヤヴァイ…アタッタ…。」呻く様に呟くオレ。痛い。猛烈に腹が痛い。そしてオレと同じようにパンを食った事務所の人間にそれを言うと皆さんけろりとして何ともないよ、との返事。どうやらオレだけなのらしい。そしてこれがどの程度危険なのかを頭の中で推し量る。ヤヴァイ事はヤヴァイ。暴飲暴食を日課とするこのオレ様でもこれほど急激な痛みはそうそう体験したことが無い。しかし激痛に身じろぎ一つ出来ないというほどのものでもない。そこでオレは大正漢方胃腸薬顆粒をポットの白湯で胃に流し込み、痛みに我慢しながらしばし様子を見ることにした。


そうして耐える事数十分。なんだか胃の辺りが楽になってきたではないか。ヤタ。どうやら峠は越したようである。「今夜が山田!」だったのである。遠のいて行く痛みと次第に解れて行く体の緊張に感謝しながら、それにしてもろくでもない目にあったものだな、と一人ごちたオレなのであった。そこでオレが問いたいのはこれはいったい誰の責任なのかと言うことだ。惣菜パンを持ってきたトラック運転手、そのパンに何の危惧も抱かず嬉しげに配った派遣女性、これらの「もったいないを大切にしよう」という主婦の台所感覚のせいだろうか。いや違う、全ては心根の卑しいオレ自らが招いた災厄なのである。自分の身は自分で守る、これはジャングルの掟であり砂漠の掟でありインディアンの掟なのだ。自らの危機的状況を回避しようとせず安寧とした日常の習慣と人間関係に甘受した自分に全ての責任はあったのだ。


ここで標題の『現代社会における危機管理のあり方を問う』と言う言葉が生きてくるという仕組みなのだ。どうだ参ったか。意地汚いばかりに人は死ぬことも有り得るという良い教訓になるのかもしれないがわざわざ命を賭けてまでそれを証明する理由などどこにも無いではないか。しかし情けない。ところでこのような暑苦しい文章を最後まで読むような人間は居ないことを前提に書くとオレのガールフレンドはオレが日記を書いていることを知っているが決して読んではくれないのだ。何故だ、と訊くとあんたの文章キモイんだもん、とつれない返事をするではないか。確かにキモイ。確かにキモイけれどもこれがオレなのだ。一番近しい相手にさえ読まれないオレの日記。悲しみとはまさにこのことなのであろう、と春の嵐が窓を叩く音に心をざわめかせながら今日もオレは一人さめざめと泣くのである。