ラスト・タンゴ・イン・パリ (監督 ベルナルド・ベルトリッチ 1972年 イタリア/フランス映画) 

冬のパリ。一人の中年男が両耳を押さえ、苦悶の表情で叫ぶ。「FUCK YOU!」…冒頭から、マーロン・ブランドは虚ろな目とおぼつかない歩き方で、人生に倦み切った男を表現し切る。彼は絶望している。彼は混乱している。彼の妻が、理由の判らない凄惨な自殺を遂げ、死んだからだ。
女が通りを歩く。帽子にコサージュを差して、毛皮の襟の付いたコートを着た、見るからにパリっ子といった雰囲気の若い女(マリア・シュナイダー)。よく見ると顔はまだあどけない。少女のようだ。何の翳りも無い人生を歩んできたような明るく無垢な顔つき。彼女はアパートを探していた。そして、気になった空き室へと足を踏み入れる。そこにはさっきの男がいた。
男は突然彼女を押し倒し、そして性交する。しかし行為が終わった後、二人は何事も無かったかのように別れ、そして、その日から、この空き部屋での彼と彼女の奇妙な逢引が始まる。
公開当時は赤裸々な性描写で物議を醸し上映禁止騒ぎまであったということらしいが、今見るとそれほどのことはない。今の日本の深夜TV番組のほうがまだ猥褻なぐらいだ。しかしこの映画でタブーを犯してまで描きたかったもの、それは性愛の虚無と孤独なのだと思う。
男の持つ虚無、それは妻の自殺だろう。女は、自分の仕事にしか興味の無い青二才の恋人への不満を無意識の中に押さえ込んでいた。彼女は自分のそんな心を委ねる先を求めていたのだろう。
男と女は名前も素性も明かさない、というルールで体を重ね合わせ続ける。二人は愛を確かめる為にセックスをしている訳ではない。むしろ、お互いの虚無を確認する為だけに、お互いの肉体を求め合う。忘れたいのでも満たされたいのでもない。ただひりひりとそこにある孤独を見つめる為にだけ。
女が言う。「ここで私たち何をやっているの?」
男が言う。「むなしいセックスをしているだけさ」
人は愛によってのみ結びつくのではない。人は孤独によって結びつくこともあるのだ。
そして男にとって、女にとって、あのアパートの空き部屋は、魂の避難場所だったのである。
しかし、状況は変化する。

彼は彼女を愛し始めている自分に気付く。彼女は恋人に結婚を申し込まれ、恋人との愛を再確認する。そして、それぞれの愛で満たされた二人は、逆に、破局を向かえることになる。
タンゴのダンス大会が華々しく催されている酒場で、男は愛を告白する。女は、もう終りよ、と告げる。
孤独の鏡像同士だったからこそ結び付き合っていた二人に、それぞれに名前と人間らしい感情が芽生えた時、男は単なるしょぼくれた中年男に堕し、女は恋人との完結した世界にしか興味が無いありふれた女へと変身する。それぞれの猥雑な現実が、それまでの二人の幻想を吹き散らす。
「もう来ないで!」と絶叫しながら男から逃げ去ろうとする女。逃げる女を必死の形相で追いかける男。そして唐突に訪れるラスト。
日本では考えられないようなシチュエーションだろうと思う。日本は、愛とは、情緒でグダグダになる事が美徳とされているから。むしろ、個人主義の徹底したヨーロッパで、そしてサルトルを生んだ実存主義のパリでこそ、この愛の虚無を描く物語は可能だったのだろう。
イントロダクションに使われている絵はフランシス・ベーコン。奇妙に歪み、毒々しい色彩で描かれた男女それぞれの肖像は、心の裏側にある溶岩のようにとろけ混沌とした情念が、今にも堰を切って流れ出す瞬間のようにも見える。
監督のベルナルド・ベルトリッチは当時弱冠30歳だったという。ガトー・バルビエリの音楽が美しい。