愛社精神

愛社精神とはなにか。それは読んで字の如く会社を愛することである。しかし一般に流布する愛社精神という考え方は、会社に殉じ滅私奉公し社畜となって生きることのように思われているようだが、オレはそれは間違っていると思う。なぜなら、愛とは、慈しみあう事だからである。

そう。会社との愛。それは出会いから始まる。会社に恋し、胸の高まりを覚え、いつも会社といたいと思う。切なくて、切なくて、寝ても醒めても会社の事が頭から離れない。そうしたらまず会社をデートに誘ってみよう。あまり緊張するようならグループデートも悪くない。会う時はきちんとお洒落していく事。清潔感を忘れない事。会社は結構お堅いのだ。最初から慣れ慣れしくするのもよくない。そしてお互いの想いが通じ合ったら、二人はもう恋人同士。微笑みながらはにかむ会社。そっと優しく会社の肩を抱く君。素敵なラブラブの日々を謳歌するがいい。

さて会社との愛が高まったなら、結婚と云うことも考えられるだろう。結婚式は豪勢でも質素でも、君の立場を考えたもので十分だ。しかし会社の両親や親戚の前では責任感ある人物として振舞いたまえ。式場で感極まって涙を流す会社に君は永遠の愛を誓うのだろう。勿論定年退職なんて存在しないからな。会社と君は死が二人を分かち合うまで連れ添うのだ。
新婚旅行、そして新居での新しい生活。それは楽しく豊かなものだろう。そしてそのうち会社と君との愛の結晶が育まれるだろう。妊娠、出産。君は既に一人前のパパだ。生まれた子はやっぱり「子会社」というのだろうか。

子供の成長を眺めるのは苦労も多いが楽しいものに違いない。そして成長した子供は学校へ入学、勉学に勤しみながらすくすくと育っていくに違いない。ただここで注意しなければならないのは、物心付いた頃の子供の反抗期だ。それとそろそろ会社との倦怠期というのも考えられるからな。君と会社との家庭が荒れると株価が下がるから注意しよう。それともうひとつ注意したいのは他の会社との浮気。「あっちのほうが給料がいいんじゃないか」などと目先ばかりにとらわれて安直な行動に出るということは人間として失格だ。

あともうひとつ留意しなければならないのは君の会社が実は配偶者としてどうにもいたらない存在だということも有り得る。不当な労働条件。サービス残業。休日出勤。賃金未払い。これも結婚だ、と割り切ることも大切かもしれない。不仲、別居、離婚と云う最悪の結末もあるかもしれないが、苦楽を共にした会社だ、十分考えて行動することだ。

そうして様々なものを乗り越えて老境に入った君たちの様子はどうなっているであろう。縁側で午後の眠たげな陽にまどろみそうになりながら語り合う君と会社。番茶をすすりながら、陽光に目を細めつつ君は会社に言う。「子供たちもすっかり一人前になったもんだねえ」
「ええ、ベネズエラコスタリカアゼルバイジャンにも新しい事業所を設けたそうですからねえ」
「あいつらも頑張っているなあ」
「そうですねえ」
そう、君たちは黄金の人生を過ごしたのだよ。

…などと云う文章を、残業続きでへろへろになりながら書いているオレって…。「働きすぎはあなたの健康に害を及ぼす恐れがあります。十分注意して労働に勤しみましょう。」