孤独のグルメ / 久住昌之+谷口ジロー

孤独のグルメ

孤独のグルメ

「きちんと美味しいもの」というのは、ちゃんと知っておいたほうがいいと思う。それがどのような素材を使い、どのように調理し、どのように食べるか、ということは、知っておくべきだと思う。そういうものを、一度はちゃんと食べておきたい。そしてそれが「何故美味しいのか」ということを考えておきたい。できればその食べ物の背景にあるものや文化や歴史を知る事も楽しい。
だけどオレは「きちんとしたもの」「きちんとつくられたもの」を「美味しい」と思えるような舌は持っておきたいとは思いますが、そういうことは知っておいて、でも特別美味しいものを食べたいとは思わないほうなんですけどね。日常的なもので十分。あとケミカルもジャンクもインスタントもOK。料理も昔ほどしなくなったなあ。時間が無いと言うのもありますが、食べるのが恐ろしく早いもんですから、手間暇かけて作るのが空しい…。
そういえば食べ歩きもしなくなったな。オレ、インディーなカレーが好きでグルメマップ片手に食べ歩いたりしたことがあったんですけどね。グルメマップ片手に食い歩けばハズレも無く美味いモンが食えるのだろうが、なにかその腰の座らなさが居心地悪くて。店のある街に行って、ピンポイントでその店に行って帰ってくるのって、味わい薄いような気がする。
なにより、一人で美味しいもの食べるのって、味気なくてさあ。ただ何かの本に書いてあったけれど、好きな人と食べるのなら美味しいものより不味いものを食べたほうが絆が深まる、なんて話があったなあ。不味いものを食べる、と云う異常な事態を共有することにより、同じ被害者意識が生まれてお互いにより深い共感が生まれるとか何とか。本当かどうかわからないけど、付き合っている人がいる方は一度試されてみては。勿論オレは責任は取りませんけど!
久住昌之+谷口ジローの漫画「孤独のグルメ」は、輸入雑貨ブローカーの主人公が営業や何かで立ち寄るいろいろな町でたまたま入ったメシ屋のエピソードを短編連作したものだ。出てくる店は殆ど定食屋やラーメン屋。駅弁や球場の弁当、コンビニの惣材なんてのもある。しかしそこで描かれるのは、食いモノそれ自体が美味い不味いだけではなく、どんな体調だったか?天気だったか?シチュエーションだったか?どんな店の雰囲気だったか?どんなお客さんが、どんな会話をし、どんな風に食っていたか?以前これを誰と食った記憶があるのか?であり、それらが渾然一体となった「場」で食う「食いモノ」の味なのである。
なんか、モノを食う事とはこういう事なのではないかと思う。グルメマップの旅は女の子の写真も載ってる風俗店に行くみたいなもので、ハズレは無いが驚きもロマンスも無い。食い物それ自体のみを美味い不味い言うのはデータであり情報であるが、情緒が無い。
日本にも世界にも美味いものはゴマンとあり、そしてひょっとしてオレとぴったり100%相性の合う女子もいるのかもしれない。夢のような素晴らしい土地や異性や食いモノは確かにあるのだろうけれど、そんなものよりもオレは今自分の足元にある物を大事にしたい。素敵なレストランもいいがあえて日常にこだわりたい。どこかにいるかもしれない会えるかもしれない素敵な誰かよりは、気が強くて言う事は聞かないが、たまに笑うと可愛いおヘチャのあのコの方が何倍も愛おしい。そういうのとうまくやって行こうと努力する事がそれこそ日常であり、食う事であり、愛なんだと思うけど。違うかな?