ブラ子が家にやって来た

ブライスは着せ替え人形である。

ブライスとは?
ブライスは、1972年にアメリカ・Kenner社で一年間のみ制作販売された幻の人形です。
(通称"ヴィンテージ"とよばれています。)グレープフルーツ並みの大きな頭、華奢なボディ、時折見せる憂いをおびたセクシーな表情、そして、ピンク・ブルー・グリーン・オレンジと4色に変わる大きな瞳。
ひとつの顔なのに、なぜか見る度に違う表情で語りかけてくるようなドール、それがブライスです。http://www.blythedoll.com/jpn/whats/aboutblythe/index.html
ブライス公式HP:http://www.blythedoll.com/

そのブライスが我が家(といってもボロアパート)にやってきたのである。

40過ぎのむさいオヤジが着せ替え人形である。一般的には倒錯していると思われて当然だろう。それでは、なぜオレが世間の冷たい目にさらされる事も恐れずブラ子(=ブライス)に手を出してしまったのか、「FUMOの異常な愛情」の経緯を説明してみよう。

一般的にDOLL、少女を似姿にした人形と言うのは、女の子から見れば「美しいもの・可愛いもの」の憧れや願望を具現化したものだととっていいのだろう。着せ替えると言う行為は、ただ単に洋服を取り替える行為と言うよりも、洋服にまつわる様々な生活のスタイル、生き方を想像の中に体現することなのではないか。様々な洋服を着ることにより、その洋服に代表されるキャラクターとして生きるのである。つまりは「みとり遊び」であり、「ごっこ」なのだ。

しかし、これが男が手に染めると言うと少し話が変わってくる。それは単純に男の欲望の対象の似姿であると言い切ってもいい。しかし、もうひとつ、男の中にある「女の子」の部分を刺激していると言うことも考えられえる。つまり、人形を愛でる男はひとりの女の子として人形を「可愛い」と感じるのである。そこには性的なニュアンスを持ったものというよりは自己同一視の対象としての人形があるのである。

男のなかには女性性は存在しうるし、女の中にも男性性は存在しうる。ユング心理学でいうところのアニマ、アニムスということだろう。(アニマとアニムスhttp://www.d4.dion.ne.jp/~yanag/anima.htm ペルソナとアニマ・アニムス http://www.geocities.jp/joutarou_m/special/special.htm#no7

しかし、ブライス。この人形のプロポーションは恐ろしく歪んでいる。あたかも水頭症の稚児のように恐ろしく頭でっかちなのだ。見方によってはグロテスクといってもいい。案の定、発売された当初は、「気持ちの悪い人形」として全く売れなかったのだそうだ。これが今の様に売れる商品になったのは、ポップ・アート的なフォルムの在り方が、一般に浸透してきたからではないだろうか。

例えば頭でっかちな少女のフォルムは人気アーティスト、マーク・ライデン*1に通じるものがあると思う。この作家の描く作品は少女と生肉、臓物など、グロテスクなものと可憐なものとの組み合わせである。また、イギリスのイラストレーター、トレヴァー・ブラウン*2にも同じものを感じるし、日本の漫画家・水野純子*3の作品にもそれを見て取ることが出来る。これらに共通するのは「キモカワイイ」という言葉で表現される歪んだ可愛さだ。

マーク・ライデン

トレヴァー・ブラウン

水野純子

かつて漫画家の岡崎京子は「プリティとキュートは違う」という一文を書いていた。同じ「可愛い」でも、プリティーの一般性と違い、キュートには危ういものが秘められている、と。コンサバティブなプリティに対する、キャンプなキュート。サンリオのプリティに対する、(かつての)オリーブ少女たちのようなキュート。この岡崎の言葉を借りるなら、ブライスはまさにキュートなのである。昨今のゴスロリなんかもこの範疇なんだろう。それでは何故ブライスはプリティではなく危うさを秘めたキュートなのか。

「オタク=OTAKU」の訳語として「nerd」と言う単語があるようだが、日本のオタクに該当する訳語は寧ろ「freak」なのらしい。そして「freak」と対で考えられる単語に「geek」がある。両方とも「奇矯な」とか単刀直入に「変態、畸形」と訳すことも出来る。ブライスの極端に歪んだフォルムはこの「freak」であり「geek」にあたるのではないか。ブライスOTAKUな趣味のものと言い切るつもりは無いが、極めて近い感性の場所にブライスはあるのではないか。「虚構性の高い世界観=OTAKUな世界観」を愛するものにとっては、リゾートの似合うセレブなバービーではなく、ブライスのほうにより高い親密性を感じるのではないだろうか。

このブライスは青い髪。オレが興味を抱いたのはこの髪の毛である。エヴァ綾波カラーであり、遡れば「謎の円盤UFO」のムーンベースの女たちの髪の毛なのだ。しかも目の色が頭の後ろの紐を引くことによりピンク・ブルー・グリーン・オレンジと変えられるギミックが付いていて、これにまた心奪われた。オレの好みは勿論ピンク。(綾波カラーなので・・・)そして洋服はトリコロール調のパステルカラーのストライプ。「CARNIVAL」と銘打たれた銀色のティアラ。バスケットの中のピンクの豚さん。そしてネーミングが「キャンディ・カーニバル」。全てがポップでカラフル。アート的にも完成度が高い。というか、寧ろこのポップでファイン・アート的な部分にオレは惹かれた。

いやー、それでね。ブライス、箱を開けて手に触れて、これが自分の想像を超えたものだと言うことが判って少々驚愕したのですよ。オレは単にアクションフィギュアの延長として、ひとつのポップなアイテムとしてブライスを購入したのですが、手に触れて様々な小物を手にして、判ったのは、当たり前の話だが、これは着せ替え人形である、ということ、そしてこれは女の子だということだ。女の子ではないオレは、既に小物をどう配置していいのか判らないのだ。このリボンは、帽子は、どう配置すれば正しく女の子なのだろう?というのが既に判らないのだ。そして、想像以上に豊かな髪の毛。この髪の毛をどうケアすればいいのか、どのように取り扱えば良いのか、これも判らないのだ。そして、判らない、というのは、どういう風にすれば「可愛い女の子」としてこの人形を完結させることが出来るのか、という女の子的なスキルを、まるで持ち合わせていないことに直面したということなのだ。

この時の気分は、初めて女装したけれども、本当に正しく女の子になっているのかわからない、ちぐはぐになっていたとしても、それを自分で判断できない、という感じの敗北感である。それと同時に、このまま放置しとくと、本当の女の子に笑われる、という焦燥感。失敗した女装趣味者。いや、誰かに見せるわけではないのだけれどね。なんか、負けちゃうなあ、と思ったんですよ。やっぱりしみじみ、女の子のもんなんだなあ、と思いましたよ。

しかしである。そんなブラ子を小脇に抱きかかえたときに、ほのかな愛情をこの人形に感じている自分に気付いたのである。なにか、小さな子供を抱いているような気になったのである。オレは父性に、または母性に目覚めてしまったと言うのか。恐るべし。恐るべし、ブライス。オレとブラ子の運命やいかに。これからのお楽しみである。

まあオレなんざ最近ブライスに接したばかりなので、昔からのファンの方などから見れば勘違いも甚だしいことを言っているのかもしれないが、ある意味人形一個でこれだけのことを考えたり言ったりできるところが、ブライスという人形の奥深いところだと思う。

ちなみにブライスに触れるきっかけになったのはオレのネットの盟友ハピさんである。彼女は自分で型紙からブライスの洋服をこしらえ、それを着せ替えて楽しんでらっしゃるつわものである。DOLL趣味はここを極めなければまだまだ初心者なのである。オレには無理だけどさぁ…。彼女からDOLL系のHPを紹介されていなければ、このブライスとも出会っておるまい。ハピさんには感謝であります。

ブライス キャンディカーニバル

ブライス キャンディカーニバル