オレと村上春樹

ちょっとだけ村上春樹の事を書きたい。オレは村上は《羊をめぐる冒険》出版時からの好きな作家だった。そしてデビュー作《風の歌を聞け》を読んでさらにはまってしまった。酔っ払うと村上の本を読んだ。《ノルウェイの森》は全編酔っ払って読んだ。どこかで村上は80年代の「時代の気分」な作家だったのだと思う。あの頃、文芸誌の新人賞応募には村上モドキの作品ばかり集まって選考者はうんざりさせられたという。オレは《国境の南、太陽の西》まで読んだが、その頃出ていた短編集はなんだか違和感を感じて、このあたりから読まなくなってしまった。村上への違和感は生硬なカタカナ横文字の多用と、四回に一回失敗している比喩、少しも面白くないダークファンタジー趣味だった。「こいつ、自分を賢く見せたいんとちゃーうんか?」と思った。また、なんでもかんでもセックスシーンがクライマックスなのが嫌だった。AV女優のインタビュー本で、あるAV女優が「村上春樹はセックスを汚いものだと思っている、そこが嫌い」と言っていたのがあって、ああ、女性はそういう風に感じるのだな、オレの違和感もそこにあるのかな、と思った事があった。村上のリベラルさは所詮あの時代のリベラルさだったのかな、と思う。
村上の文章の底にあるのは「失われた世代」*1と呼ばれたフィッツジェラルドヘミングウェイ、そしてチャンドラー的ハードボイルドへと受け継がれる情緒を廃したドライな描写の生むアメリカ文学モダニズムだった。彼の文章の持つある種の喪失感は近代アメリカの至ったアメリカンドリームとデモクラシーの終焉とどこかで繋がっているのだ。だからこそ飽食の80年代バブルの時期にいち早く滅びの予感を漂わせた文章を突きつける事によって支持を得たのだと思う。
実を言うとオレも一頃村上的文章を一所懸命書いていた時期があった。オレの缶ビール好きも村上の影響だ。そしてどこかでオレも自分の中の80年代的リベラリズムに落とし前をつけようとしているのかもしれないと思う事がある。だって、あの時代はオレの青春期だったのだからさ。
ちなみに大ベストセラーになった《ノルウェイの森》でさえ頑固に映像化を拒んだという村上だが、処女作《風の歌を聞け》は当時ATGと呼ばれたインディペンデント製作によって映像化されている。(出演:小林薫真行寺君枝、 監督: 大森一樹) これがまた原作の雰囲気がよく出た秀作で(全然違うという話もある)、興味のある方は探して見るといい。ビーチボーイズの「カリフォルニア・ガールズ」が流れるラストは、泣けますよ。

*1:失われた世代(Lost Generation)は、第一次世界大戦後にアメリカに登場した、旧来の価値観とは一線を画す芸術家たちを総称する文学用語。ロスト・ジェネレーションとも。命名の由来は、ガートルード・スタインヘミングウェイに対して言ったことば "You are all a lost generation(あなたたちはみな、失われた世代なのよ)" に因る。出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』