オレが日記を書くという事 / 東京するめクラブ 地球のはぐれ方 その1

東京するめクラブ 地球のはぐれ方

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この本は作家・村上春樹を隊長に、エッセイスト・スタイリストの吉本由美、アートデザイン編集の都築響一の三人が、「国内外の“ゆるい”場所」をたらたらと散策し、その場所の奇妙さ奇矯さを多いに味わおう(あげつらおう?)、というコンセプトで綴られた紀行文です。まあ何しろ行った場所が実に微妙。名古屋・熱海・ホノルル・江の島・サハリン・清里…と、「…う〜ん」と唸ったままなんともコメントが出来ない組み合わせであります。なんというか、みうらじゅんあたりがオタク的フィールドワークで面白がっているような事を村上春樹的なコスモポリタニズムと吉本・都築らのアート・ディレクション的観点で切り取って見ました、と。
この本には幾つかの点でとても感心した。
職業作家が書いた文章なんだから、当たり前と言えば当たり前なんだけど、物事を取材して、それを伝える為に書かれた文章は、こうであるべきなのだなあ、とつくづく思った。別に名文とか薀蓄のある文とか言っているのではなく、「何を伝えたいか」「視点をどこにおくか」「どう表現するか」という点で、実に的確で簡潔でそして抑制された文章だと感じた。
オレはこうしてブログをやっていて、そして日記とレビューを半々ぐらいでUPしているけれど、やるのならなるべく他のブログとは違う切り口や遣り方で文章を書きたいと思っている。そういう差別化をしないと、「オレ」が書く意味はないし、又、読むほうはわざわざ「オレ」の文章を読む必然性はないし、オレ自身、そういったモチベーションで書き続けないと退屈になってくるからだ。ただ、その為には、そういった文章を書けるスキルやテクニック、知識が当然必要で、オレはそういうレベルに達していない文章内容に大抵歯がゆさを憶えながら、しょうがねえなあ、とか思いながら毎日書き飛ばしているんだけどね。
ぶっちゃけた話、オレ学歴って高校までなんっすよ。その高校自体あんまり行ってなくて、よく卒業出来たなあってぐらいの劣等生でね。はてなって、大学生や、高学歴で職業も専門職だったり技術者だったり、日記やってる人って割とハイソサエティな雰囲気があるんですよ、オレにとっては。学歴云々よりもこういった人達ってやはりある種のデータをさばく集中力やスピードやその下地になる情報量は優れていると思うし、訓練されていると思うんですよね。だからそういった人たちと同じ事をやろうったって勝てないと思ってるんですよ。だからオレがはてなで導入したのは「オレ」という独善的で強引で言葉が乱暴で下品で大雑把な人間のキャラな訳なんです。そして、「ガテン系」をわざと前面に押し出して、胡乱な雰囲気を醸し出そうとしてる訳ですね。イヤ、実際のオレもそういう人間なんですが(笑)。そういうキャラで他を威嚇・牽制しようという小心者にありがちな企みだった訳なんですよ。いや、なんで勝たなきゃならないの?と疑問を持つ人がいるかもしれないけれど、オレ昔この日記でIQだけは高そうな糞生意気な大学生にふざけた書き込みされた事がありましてね。こういう研究室と学舎内だけが世界で現実だと思っている思い上がったタワケを叩き潰す為には善良な小心者をやっていちゃあ駄目だと思ったんですね。まあ全ては卑屈な劣等感の賜物ではありますが。
ただこうして日記を続けていて、こんな文章をいつも読んでくれている人がいる事を発見したり、またそんな人たちと日記以外で交流する機会があったりしてきて、何かとても人間的なものに触れる事が出来て、なにかこう、ルサンチマンばかりぶちまけなくても、「オレ」は普通に「オレ」でいいじゃないか、と思えて来たんです。
本の話に戻るけど、だからこそ、極々当たり前に、こんな文章が書ければ良いなあ、と思えたんですね。(ああなげえ。結論までがなげえ。)
さて本ですが、もう一つ感心したのは、こういった各地方のちょっと変わった光景を伝える旅行文って、今ネットで探せば沢山あると思うんですが、こうした出版物という形態でパッケージングされることは、やはり今でも有用なのだなあ、と思ったのです。編集をする上での活字や写真のレイアウト、文章の順序、小さく挟まれるトピックでの息抜きなど、WEBでも出版物でもやることは一緒なのかもしれませんが、WEBってどこか拾い読み感覚でポイントポイントで読んじゃうんですが、本だと始め→終りまで直線的な編集と読ませ方するんでね。最近WEBと出版の垣根が曖昧になって来ているような気がするけど、ただ読むものにとって必要な情報があれば良いのではなく、一冊の本として読ませる工夫が出版物にはあって、それを再発見出来た事が新鮮だった。
長くなってきたので2回に分けます。(又かよお!!!)