クレイジー・キャッツ ベストコレクション

クレイジー・キャッツである。1955年結成の「ハナ肇キューバン・キャッツ」が数度のメンバーチェンジの後「ハナ肇クレイジー・キャッツ」に改名された。一流のジャズ・プレイヤーとしての腕を持ちながら、持ち前のギャグ・センスを活かしたコミック・バンドとして次第にTVのトップ・スターに駆け上がってゆく。TVやステージと平行して、『ニッポン無責任時代』などの映画でもヒットを飛ばし、1960年代のお茶の間の人気ものであった。という。オレ的には時期がちょっとずれているので、子供の頃「シャボン玉ホリデー」を見た朧な記憶があるだけなのだが。
そしてこのクレイジー・キャッツ、今年が結成50周年になるらしい。
クレイジー・キャッツの唄は高度経済成長期の日本の上り調子な躁的な様子をパッケージしたものだと思うのだが、今聴いてもこれだけ面白いのは、大法螺と自虐とそれを笑いものにした明快さ・明朗さが小気味よいからなのだと思う。なにより余計な情緒性が一切無い。愛だの恋だの自由だの真実だの思いやりだのと菜っ葉の肥やしみたいなものでグダグダ堂々巡りしている今のジャパニーズ・ポップの連中とそのファンは是非見習うべきである。
有名曲ばかりなので、今更ではあるのであるが、若い人たちの為にあえて紹介してみよう。
■スーダラ節

チョイト一杯のつもりで飲んで いつの間にやら ハシゴ酒
気がつきゃ ホームのベンチでゴロ寝
これじゃ 身体にいいわきゃないよ
分かっちゃいるけどやめられねえ

クレイジー史、そしてジャパニーズ・ポップス史に燦然と輝く名曲中の名曲である。「分かっちゃいるけどやめられねえ」、まさにその通りである。黄金のフレーズである。三番の「俺がそんなに もてる訳ゃないよ 分かっちゃいるけどやめられねえ」はオレの金言でもある。
■ドント節

サラリーマンは 気楽な稼業と来たもんだ
二日酔いでも 寝ぼけていても
タイムレコーダー ガチャンと押せば どうにか格好がつくものさ

サラリーマンなんて、たいしたもんじゃないし、たいしたことじゃねえ。気楽な稼業じゃないにしても、気楽な稼業だと言い切ってしまえば、気楽な稼業なのである。オレはどんなに忙しいときでも、「仕事どうですか」と訊かれたら、「楽しい毎日」と答えることにしようと思っている。
■五万節

(パチンコで)取ったピース(タバコ)が五万箱 …呑んだビールが五万本

大言壮語。しかし人生このぐらい大げさにサバ読んどいたほうが良い。何故か?単にその方が面白いからである。真実とか真心とか退屈な事を信奉している連中には真似出来まい。
■無責任一代男

おれはこの世で一番 無責任と言われた男 …人生で大事な事は タイミングにC調に無責任

■ゴマスリ行進曲

ゴマをすりましょ 陽気にゴマをね (ア・スレスレ)

インチキ野郎である。しかし社会で功遂げ名を成すにはインチキ野郎である事が必要である。「こつこつやる奴はごくろうさん」なのである。あと恋愛で成功する秘訣も「タイミングにC調に無責任」だと思う。
■ハイ それまでョ

フザケヤガッテ フザケヤガッテ フザケヤガッテ コノヤロー

理想と現実の相克。それに対峙する手段として、とりあえず罵声を上げること。これはジャパニーズ・パンクの草分けともいる曲だったのではないか。
■これが男の生きる道

ぐちは云うまい こぼすまい これが男の生きる道 ああわびしいナアー

ペーソスである。「男の生きる道」とか言っておいて「わびしいナアー」とC調に落とす。「飲んでさわいで ラーメン食って 毎日こうだと こりゃ泣けてくる」。リアリズムである。卑近で俗な日常。「気楽な稼業」の「無責任」男もその裏でシビアな現実を生きているのである。しかし、これが「男の生きる道」なのだ。つまり、ハードボイルドなのである。
■遺憾に存じます

学生時代は優等生…今じゃしがねェ サラリーマン コラ又 どう云う訳だ 世の中間違っとるよ

こう見えてオレも学生時代は優等生だったのである。(…ええとすいません小学校低学年までです)なにかかなりいろいろ間違ってこのような有様になってしまったのである。「吾妻ひでお失踪日記」みたいな人生を送る羽目になってしまったのである。しかしこれはオレのせいじゃねえ。世の中が間違っているのである。
■だまって俺についてこい

ぜにのないやつぁ 俺んとこへこい 俺もないけど 心配すんな

プロレタリアートの憂鬱と連帯。っていうか単に滅茶苦茶な唄である。ペシミズムについての唄でもあるが、曲調は限りなく明るい。っていうか単にバカ。バカサイコー、という唄でもあるのだ。
ホンダラ行進曲

どうせこの世は ホンダラダホイホイ 何をやっても ホンダラダホイホイ

個人の現実への無効性。この唄もニヒリスティックである。そして、「ホンダラダホイホイ」と狂ってみせるのである。絶望の底に沈むのではなく佯狂(=ようきょう/にせきちがい)を身にまとって笑うのだ。個人は現実に対して無効なのかも知れない。しかし、現実だって、個人に対して無効なのだ、と宣言する。まさにマニフェストともいえる曲なのだ。(ホントかよ)
ウンジャラゲ

月曜日はウンジャラゲ 火曜日はハンジャラゲ

そう、日本の誇る天才ボードビリアン志村けんがヒットさせたこの曲は、実はクレージー・キャッツの持ち歌だったのである。この先見性と革新性。画期的なレトリックに満ちたこの歌詞は、クレイジー・キャッツというグループがこの日本でいかにオンリーワンの個性を持っていたかを窺わせるだろう。もう、なんか、この唄聴いてると、何もかもどうでもよくなってくるよな。もう、自分がバカでもサイテーでもクソ野郎でもOK、上等上等、怖いモンなんかねえ、お前らみんなナンセンスの肥溜めに叩き落してやるから覚悟しとけ、という気分になる。

それにしても、デビッド・ボウイ・レビューを6日間書き続けた後の次がクレイジー・キャッツであるというオレのメンタリティはどうなっているのであろうか。いや、きっと凄い男なのかもしれんなオレは。(無意味な自画自賛