スクール・オブ・ロック

スクール・オブ・ロック スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]

スクール・オブ・ロック スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]

ロックなんてろくなモンじゃない。誰かが言ってたけど、ロックなんて、デブでニキビ面でいつもおどおどしたいじめられっ子の聴くものなのだ。いや、ロックとは、本来、そんな鬱屈した青春を送らざるを得ない若者が、自らの惨めさを挽回する最後の一発逆転を妄想する為に鳴らされる音楽なのだ。
ロックはカッコよく、意気高揚させてくれるけれど、それは聴く者がカッコ悪く、いつもいじけている自分を意識しているからだ。ロックは反抗の音楽だった時代もあったけれど、それは誰も反抗する事なんてできなかった時代だったからだ。
この映画では、バンドやるしか能のない馬鹿デブが、小学生のガキをたらしこんで「ロックはサイコーだぜ」と洗脳したあげくバンドコンテストに参加させる、というものだ。馬鹿デブは「ロックは反抗だ」とかほざくけれど、やってることは社会不適応な自分自身のフラストレーションを撒き散らし、闇雲に自己肯定しているだけの話だ。彼自身の社会に対する欲望は、それで事足りるほど小さいものなのだろうか?
社会不適応なんてなりたくてなってるわけじゃない。自分らしくあろうとすれば、どうしても社会の要求する規格から取りこぼされてしまう。社会を否定した所で社会は無くならず、社会を攻撃したって社会は変わらない。しかしそんな社会に取り込まれようとすると、今度は自分が自分で無くなってしまうような気がする。この引き裂かれる事の「痛み」が本来ロックなのであり、優れたロック・ミュージックは全て痛みについて歌われた音楽なのだ。痛みの無いロックなんて、ロックじゃない。それは単なる芸能だ。小学生のガキが幾ら器用に楽器を鳴らしたからといって、そんなもんロックとは何も関係ない。
そして、もはやロックなんてつまらない。誰もが皆、「痛い痛い」と言っていても痛みは無くならないことに気付いたから。反抗する対象と対立しようとすること自体が軋轢の原因なのなら、はなからそんなもの存在しない、カンケーねえや、と思ってしまったほうが話が早い事に気付いたから。
それにしてもセンスのない映画だな。馬鹿デブのみっともなさはロックのみっともなさを説明するのには好都合だったけど、この馬鹿と自分の共通項があまりにも多い事に気付くと(…デブとか、音楽で全ての問題が解決すると思い込んでる馬鹿さとかな)近親憎悪めいた感情が湧いてくるな。ガキには勉強させろ。そして、それに嫌気がさしたなら、間違ってると思うなら、自分で別の何かを見つければいいんだ。ロックなんざ勉強するモンじゃねえ。借りモンのシャウトなんて叫びでもなんでもねえ。なんか、「ゆとり教育の失敗」というサブタイトルを付けたくなる様な映画だったな。