興味がない

興味がない。なんというか、壊滅的なまでに興味がない。オリンピック。高校野球。スポーツだけならまだしも、社会も経済も興味が無い。TVのニュースを見ても眺めているだけだ。温泉疑惑も帰省ラッシュナベツネの裏金もどうでもいい。
何しろ新聞を読まない。TVは会社でお昼休みについているNHKニュースを10分程度見るだけ。ネットで見るのは個人ニュースサイトばかりで、殆どオタのニュースと、トホホな3面記事が中心。だから、土日は社会の動きが全く判らない。そして、しかも、出掛けない。もし、土日に日本で戦争が始まっても、オレは月曜日まで判らないだろう。実際、月曜日に会社のTVで、週末に起った事件を知ることが多い。そして、そんな事件も、結局は、どうでもいい。
何か、社会それ自体に関心が無いんだと思う。また、係わりも持ちたくないんだと思う。問題は、相当いい歳したおっさんなんである、オレは。一応まともに会社に通い、一応、殆ど遅刻も欠勤も無く、問題なく仕事をこなし、普通に上司や部下と話し、それなりに人望もあったりするらしいのだが、どこか心の奥底で、「これら全ては明日から無くなったって構わない」などと平気で思っていたりする部分もある。勿論無くなったら困るに決まってるが、それでも、「みんな消えてしまえ」と思ってしまうような、衝動的な虚無主義が、自分にあるのは確かだ。
ところで、興味が無い、とは言ったけどさ。
いや、関西電力原発事故には多少心がざわざわしたのは確かだ。巨大な体制や資本のせこい自己保身の為に、ありんこを捻り潰すみたいに近所のおっちゃんやにーちゃんが死んでいく。誤解を恐れずに言うなら、思うのは、生命の尊さがどうとかではなく、この場合、オレという人間の立場は、確実に、死んだおっちゃんやにーちゃんの側であり、巨大資本も体制も、いつでも「ちょっとした手違い」でオレを叩き殺すことが出来るんだな、ということだ。逆に言えば、死にたくなければ、これら資本と権力の側にぴったり寄り添っていることが大切なんだろうねえ。なにしろ関西電力の重役は、絶対、放射能や、高温蒸気で、死ぬことは、無いからだ。