水木しげる「妖怪道五十三次」展

水木しげるとは即ち現人神である。隠していた訳ではないが、オレはこう見えて水木しげる原理主義者、水木教信者の一人である。
水木しげるというと妖怪キャラクターもの「ゲゲゲの鬼太郎」(ゲッ、一発で変換しやがんの)がお馴染みだが、人類史の裏に隠された知識を表出する能力を持った天才少年の物語「悪魔くん」、死と無意識の世界を真正面から描いた「河童の三平」も素晴らしい魅力に満ちた物語だ。なによりその幻想的な筆致(あの点画は筆で書かれているそうです)と、少年漫画とは思えない恐ろしくニヒリスティックなテーマが凄まじい。(氏の戦争体験からきているのだと思われます)
これら有名長編とは別に、水木の短編も捨てがたい味わいがある。そしてやはりここでも繰り返されるテーマはニヒリズムである。オレの記憶に残っている作品で、タイトルは忘れたんだけど(「○○の女」みたいなタイトル)、深宇宙探査の為に殆ど機械に近いほど肉体改造され、ロケットに乗せられて宇宙のかなたへ飛ばされた男を描く短編では、ラスト、暗い星ぼしの間を彷徨いながら、「何も無い、ここには何も無い。オレは一人だ。」と呟く男の絶望感に満ちた孤独さには、心の底から冷え冷えとしたものでした。
その他にも水木のドキュメンタリー、特に太平洋戦争物も捨てがたい。ヒトラーの半生を描く「ヒトラー」は、水木独特の筆致で描かれると、どことなく可笑しみのある彼の筆からでさえ、グロテスクさの立ち上る傑作だ。その史実的な意味よりも、ヒトラーという男のグロテスクさを浮き彫りにしたという部分で、この漫画は水木ならではの作品だったんじゃないかと思う。もう一つ好きだったのは、南方熊楠を描いた伝記ものもあって、こちらは南方の異能ぶりと自らの異能ぶりを重ね合わせて描く筆致が楽しかった。
最近では人類史上に残るオカルトの巨人達を描いた「神秘家列伝」。スウェーデンボルグ、阿部晴明、コナン・ドイル、円小角などそうそうたる面子の、その彼等の神秘体験を、偏見を一切交えることなく真正面から描く。彼等の見たものが「ある」とか「真実である」とかいうことではなくて、人は、そういうものを「見る」もんである、そして、そういうもんに、「意味」を求め、「意味を付加する」もんである、人間とはそういうもんである、という視点から、オカルトとは何か、そして、人は何故オカルトを求めるのか、という深遠なる世界を描く連作です。
さて、水木しげる「妖怪道五十三次」展です。展、といっても、「妖怪道五十三次」自体は既に発表されていて、水木ロードに常設展がありますが、http://www.mizukiroad.com/gallery/yokaido53/今回のは有楽町の三省堂書店の「妖怪道五十三次」グッズの展示即売会です。http://www.books-sanseido.co.jp/shop/mizuki/mizuki.html
しかし、即売会とはいえ、実際に観るのは始めてて、いやはや、感激しました。浮世絵東海道五十三次の53の絵それぞれに水木妖怪キャラが配してあるのですが、これが、最初っからこんな絵だったんじゃない?と思わせるほど雰囲気がぴったり!!水木妖怪キャラはそもそも草木山水の精として、原始アニミズムの具現化→キャラクター化だったわけですが、日本近世の頃に人々がこれら東海道の山道や街道を旅しながら、心の中でその自然の中に何を見、感じていたのかをうかがい知る/想像する事が出来て、実に興味深い作品に仕上がってます。つまりこれは「心の目で見た東海道五十三次」なわけです。
この「妖怪道五十三次」の原画集は本として「やのまん」から発売されていますが、http://www.yanoman.co.jp/やはり印刷が違うなあ。現物は原典と同じく浮世絵の技法で印刷されています。
それよりもオレを困らせたのはおびただしい水木グッズ!!なんだよ!どうしろっていうんだよ!買うよ!もちろん買うともさ!と、もはやすっかり術中にはまってました。買いましたよ。妖怪巾着とか何に使うんだよオレ。目玉オヤジの根付とか塗り壁タオルとか、あと一番のお気に入りは水木先生筆による色紙(印刷だろうけど)。「のん気にくらしなさい」って書いてあって目玉オヤジが茶碗風呂に入ってる絵が添えてあるの。心の支えにします。(後実はオレ、「人生必勝」って書いた水木先生作の絵馬とか持ってるんですよ。雑誌のおまけだったんだけど。これもオレの心の支えです。)
あと小金井市のほうでも妖怪道五十三次展があるみたいですね。興味のある方はどうぞ。http://www.kanko.metro.tokyo.jp/topics/040727/4.html