橋本治に関しての2、3の事柄

橋本治は現在の出版界の中でも最も高い思考力と深い洞察力を持つ文筆家の一人だと思う。彼の著作は口語体に近い平易な文章で、思想や経済や政治などに関するテクニカル・タームを全く使うことなく、それらを誰よりも深く掘り下げて説明する。しかも思想家や経済評論家などから最も遠いスタンスからだ。
橋本治は基本的には国文学を得意とし、徒然草源氏物語の口語訳などを手掛けるが、その高いインテリジェンスで書かれた評論文の質が異常に高い。「江戸にフランス革命を!」は江戸時代の日本人の生活感覚や美意識を土台にフランス革命というキーワードで現代の日本の在り様を考察するアクロバットのような著作だった。その他「貧乏は正しい!」「宗教なんか怖くない!」等、一般とは全く違った思いもよらないスタンスから現代の在り様に切り込んで行く著作は痛快だ。
感嘆した著作は数あるが、何より凄かったのは政治も哲学もマンガも文学史社会主義も結婚論も女の同性愛も何もかも論じまくった「広告批評橋本治」、そして“20世紀”という100年に、透徹した視点と論点で“引導を渡した”問題作「二十世紀」。ここでは20世紀を1年ずつ、100年分のコラムで論じることによって「何故世界は/日本はこうであったか・こうなってしまったか」を一刀両断する。そして「20世紀とは、終わってしまった19世紀を脱却する為の世紀でしかなかった」と結論付け、国家や戦争や経済のあり方を見据える。例えば「19世紀的大量生産の経済方式を20世紀に大々的に展開した経済が行き詰らない訳が無い、何故なら思考が19世紀のままだからだ」という論点から「20世紀には何をするべきだったのか、21世紀には何を伝えなければならないか」を論じてゆく。凄かったです。この1冊で20世紀の100年がすっきり綺麗に清算されてしまうんですから。
なんていうんでしょう、変な例えなんですが情報をポケットに溜め込んでパンパンにするのが従来の評論であるなら、彼の評論はポケットを裏返して中身を空っぽにしてしまう、つまり自らも裸になることで物事を裸にしてしまう、という評論なんです。彼は論ずる対象に必ず自分という存在を代入するんですね。だから論ずる内容に血が通っている。
彼は思想そのものを「前近代に生まれた、近代を用意する思想」と言い、「思想に考えてもらう、が終われば近代なんだから、近代は思想を生まない」と言って思想そのものは既に空洞化していると言い放つ。また経済そのものも、例えば学者が経済の構造と在り様を説明するのに対し彼は、誰に、何の為に経済は存在しなければならないか、を思考する。
AとはBである、というような自明の理のような現実を、AからBへ辿り着くまでに考え付くC→D→E→…といった遠回りな段階を説明しながら、または全然別の視点から考察しながら、Bへと結論付けるが、しかし思考の段階を経たそのBは当初のA→BのBとは違ったBになっている、というような構造の思考方法。そして「あとはお前らの頭で考えるのがお前らの務めなんだよ」と読者に言葉を渡してゆく。