人は何故音楽を聴くんだろう

仕事も6時を過ぎた頃になると飽きてきて、頭の中でずっと音楽を流している。仕事中にCD聴くわけにもいかないしね。今日はずっとDubtribe Sound Systemの「Do It Now 」がエンドレスで流れてたよ。途中で差し色みたいに入って来るピアノのフレーズがいいんだよ。あと寂しげなストリングス。こういった感じのひんやりした感触のダンス・ミュージックが一番好きだな。
それにしても人は何で音楽なんか聴くんだろうね。よく聞くのは母親の胎内にいた頃、胎児として聞いていた母体の体内音が人が音楽を聴く事の原体験なんだって話。ドンドコいう母親の鼓動のリズム。血液が血管をシューシューと流れるメロディー。お腹が減ったり、食べ物を消化してる時のお腹のグーグー、グチョグチョいうエフェクト音。外界の音だって聞けるんじゃないのか。長調が楽しくて、短調が悲しく聞こえるのは、母親の感情が血管の拡張、収縮による血液の流れに影響して、血管音が変化するからだろうか。
実は、泣き止まない子供にラジオなんかのホワイトノイズ聴かせると泣き止む、って話があるんですよ。これ、ホワイトノイズって、血管の流れる音に似てるからなんだという。それだから、子供は母親の胎内にいたことを思い出して安心するのだとか。こう考えると、いわゆるインダストリアル・ミュージック、ノイズ・ミュージックっていうのは理に適った音楽なんですね。
子供が泣き声ともに生まれるのは、初めて触れる世界に恐怖して、というのは文学的過ぎる言い方だが、(多分呼吸による気道拡張に伴う反射的な行動なんだろうけど)恐怖である世界から胎内の安寧と至福のまどろみを夢想するとき、そこには音楽があった…だから僕等は音楽を聴くのだ…、と書くのはやっぱりクサい文学趣味でしょうね。
しかし、動物において聴覚というのは視覚よりも発達している場合が多いじゃないですか。聴覚の情報量というのは視覚よりも重要だからなんではないか?と思わせるものがないですか。どんなに音楽に疎い人でも、例えばリズムのテンポがほんのちょっと遅れたり早かったり、メロディがずっこけたりしたら聞き分けられません?耳って結構馬鹿にならないんですよ。ところが視覚は人間が見えていると思っている視野の7割ぐらいしか正確に認識してないとか言う話を聞いたことがあるな。視野の端の方って、色彩自体認識してないって言ってたな。いや、記憶だけで書いてるので正確かどうかは保障しませんが。あと、視覚は、左右逆になっているものを容易に認識しないんだそうですよ。(そのかわり、上下逆のものっていうのはこれは認識しやすいんですね。しかし、これが猿になると逆で、左右逆のものは認識しやすいが、上下逆のものは認識し難いんだとか。これは樹上生活の多い猿が3Dな生活空間で培ってきたものかもしれませんね)人って、もうちょっと目に見えるものだけじゃなく、耳に聞こえるものに注意を払うべきなんじゃないかな。
音・音楽は本当はおそろしいものなんですよ。ナチスドイツが国威発揚のために行ったヒトラーの演説会場では、地面にスピーカーが埋められ、低周波を流していた、という話があります。低周波は耳に聞こえなくても長く曝されていると識域下に影響し、酩酊状態、思考停止状態に至るんだそうです。要するに洗脳しやすくなるんです。
同じ様な理由で、クラブで大音量で低音の聞いたダンス・ミュージックを聴いてると人は酩酊状態になるんですよ。サンプリングによる同じフレーズのリピートも、やはり幸福感を得やすいんだとか。これも、リピートを延々聴かされると思考停止しちゃうからなんだそうです。ま、クラブ・ミュージックは誰かを洗脳なんかしないし、構造的に幸福感を得るように出来た音楽なんだってことですけどね。
町工場なんかで延々演歌を流してたり、その昔工事現場で出稼ぎのとうちゃんかあちゃんがヨイトマケ1*の掛け声をかけてたり、なんか似てるような気もするんですよね。どこか音でもって苦痛を取り除きたいと思ってるというような。
でも、逃避的にもなるけど、逃避的になるだけのために音楽を聴きたくはないですね。どこかで肯定していきたい。それは、オレの嫌いなJ−POPや日本のHIP-HOPみたいな人生応援歌みたいな形じゃなくてね。
1* 1.建築現場などで,地ならしのために大勢が一斉に鎚(つち)を滑車で上げ下げすること。また,それをする人。あるいはそのときの掛け声。/goo辞書  2.ヨイトマケの唄 http://www2.mahoroba.ne.jp/~eastwood/essay/case1/note4.htm

<追記>
「胎内で聞いた音を記憶…霊長類で初の確認 」
http://www.zakzak.co.jp/top/2004_04/t2004041711.html