様々な形で張り巡らされたアンビバレンスの物語〜映画『インドの仕置人』

■インドの仕置人 (監督:シャンカール 1996年インド映画)


のさばる悪を何とする!天の裁きは待ってはおれぬ!
この世の正義もあてにはならぬ!闇に裁いて仕置する!

わしはインドの仕置人!!

■『ロボット』監督シャンカールの放つ異色作

タイトルだけで既に胡散臭いにおいがぷんぷん漂いまくっているインド映画『インドの仕置人』でございます。タイトル通り法律が裁いてくれない社会の悪をニヒルな仕置人がばっさばっさと成敗してゆく!という内容なんですな。まあこれは日本で勝手に付けたタイトルで、実際のタイトルは『Hindustani』、"インド民族"とでも訳せばよろしいのでしょうか。なんだかぼんやりした原題ですが、いわゆる「インド人のプライド」といった意味であることが物語を観てゆくとだんだん明らかになってゆきます。

そしてこの作品、胡散臭げとはいいつつ、実はラジニカーント主演で日本でも大好評だったインド映画『ロボット』(2010)の監督、シャンカールが撮った作品なんですよ。さらに同じくラジニカーント主演の『ボス その男シヴァージ』(2007)、そして最近では大傑作『I』(2015)の監督をしており、その異能ぶりはインド映画/タミル映画で最も注目すべき監督の一人ありましょう。そんな監督が撮ってるものですから(撮るのはカメラマンなんでしょうが何故だか「監督が撮った」と言っちゃう癖のあるオレであります)、日本語タイトルは胡散臭げですが「きっと、なにかある!きっと、うまくいく!」と考えちゃうじゃないですか(ついでに書くとシャンカール監督、『きっと、うまくいく』のリメイク『Nanban』(2012)という作品も監督しています)。

■あこぎな役人と怒りの仕置人

物語は大まかに二つのパートを中心に進んでゆきます。まずは運輸省に勤めるあこぎな役人チャンドゥのパート。彼は免許申請のためゴンズイ玉の如くやってくる大勢の人々を日々切りまわしていました。ここでインドの役人の横柄振りとしみったれた役人根性が大いに描かれます。申請者なんて待たせて当たり前、たらいまわしは日常茶飯事、袖の下を渡す人間だけを優先順位に回し、金の無い奴は追い返します。コミカルに描きつつも、ここではインドにおける役所の腐敗ぶりがクローズアップされてゆきます。ここではさらにチャンドゥの女子二人との三角関係も描かれてゆくんですね。

そしてセナパティという名の謎の老人による仕置人パート。彼は庶民の弱みに付け込み賄賂を要求して私腹を肥やす政府役人たちをターゲットに、次々と殺戮を繰り返してゆきます。実は彼はかつてインド独立の志士として命を賭して戦いに身を投じていた戦士だったのですが、高邁な理想の元に独立したはずの自由インドが時代を経て汚職のまかり通る腐敗した国に成り果て、あまつさえそれにより娘を亡くしたことに怒り心頭に達しこのような恐ろしい復讐へと走ったのです。そして、このセナパティと、あこぎな役人チャンドゥは、実は親子だったのです。

この二つのパートがどう混じりあってゆくのかが本作の醍醐味なんですが、なんとこのセナパティとチャンドウを、カマル・ハーサンという一人の役者が演じてるところがもうひとつの見所となります。いや、オレ観終ってから知ったんですが、この一人二役にはびっくりさせられました。下の写真見てくださいよ。こんなに変身しちゃってるんです。

■バラエティに富んだ物語運び

本題が「悪徳役人の仕置」にもかかわらず、この作品、インド映画らしくとってもバラエティに富んだ、見ようによっちゃなんだかとっちらかった展開を迎えます。なんといってもチャンドウを巡る、女二人の争いです。このうちの一人をマニーシャ・コイララが演じ、目の保養となってくれます。そして例によって歌ったり踊ったりと賑やかなんですね。踊りの場面はCGも多用され、実に華やかで楽しいです。コミカルに展開するチャンドウのエピソードと対比する形で描かれるのがセナパティのパートです。一人また一人と悪徳役人を屠ってゆくさまは暗く陰惨であり、十分にサスペンスフルであると同時にニヒリズム溢れるものとなっています。

そしてセナパティがなぜこのような凶状へと至ったかを説明する、インド独立前後を描く回想シーンが実に鮮烈です。度重なるイギリス兵の狼藉に怒った若き日のセナパティは叛旗を翻しますが、それの報復として多数のインド人女性が辱められ、それにより彼女らは集団自殺をしてしまうのです。その中でたった一人生き残った女性と結ばれたセナパティは、革命を決意し、戦士としてイギリス軍と戦い見事独立を勝ちえます。勝利の喜びを歌と踊りで感動的に描いたこのシーンでは、若き日のセナパティとその妻とがインドの様々な衣装に次々とモーフィングしてゆくというVFXで描かれますが、これはセナパティ夫妻だけではなくインドの多くのカップルがこの喜びを噛みしめているのだということを暗喩しており、素晴らしい効果を上げています。

■様々な形で張り巡らされたアンビバレンスの物語

しかし、これらのバラエティに富んだエピソードの数々は、どれも本題とは関係の無い単なる物語の賑やかしだったのでしょうか。実はこれらのエピソードを注意深く見てゆくと一つのことに気付かされます。それはこの物語が、様々な形で張り巡らされた二律背反を描くアンビバレンスの物語だということなのです。この物語は全てにおいて対立項とダブルスタンダードを孕んでいるんです。

まず仕置人セナパティ。法律を顧みず私刑を続ける彼は正義の為に悪を成すという矛盾した存在です。そしてその彼は、自由を願って戦ったインドが逆に不自由の国になってしまったことを嘆いています。次にチャンドゥ。彼は厳格な父セナパティとの対立という過去を持っています。そして幸せな生活を求めたがゆえに汚職に手を染めてしまうという過ちを犯します。さらに彼は「性格の違う二人の女性」という二者択一の狭間にいるんです。

こうして見ると、実はこの物語は、「汚れた社会に怒りをぶつける仕置人」という社会派テーマの物語と思わせながら、その底流では「アンビバレンスの中に置かれた個人の苦悩と矛盾の物語」を描こうとしているとはいえないでしょうか。これは実は、監督シャンカールのフィルモグラフィを辿ると、同傾向の作品があることから理解できます。例えば『その男シヴァージ』は、この『インドの仕置人』同様インド社会の腐敗を描いたものですが、同時に、腐敗に対抗するために自らも腐敗構造に加担するという物語でした。『ロボット』は、人間性と非人間性の狭間で苦悩する人工知能の物語でした。そして『I』は、愛と憎しみの間で引き裂かれてゆく男の物語でした。

シャンカールの作品を全ては観ていないのですが、一人の監督として、創作者として、彼の中に常に同一主題が渦巻き、それを様々な形で作品化しようとしてるのがここから見て取れないでしょうか。こうして観ると、映画『インドの仕置人』もまたシャンカールの抱えるテーマのひとつの変奏曲であり、また、そのテーマの在り方が非常に分かり易い形で描かれているといった部分で貴重な作品だという気がします。そしてそういったテーマを持ちつつ、非常に野心的な映像、練り込まれた会話、熱狂的なストーリーと、作品の質は第一級です。シャンカール、もっと他の作品も観てみたいなあ。この作品も日本で販売・レンタルがありますので気になった方は是非ご覧になってください。

インドの仕置人 [DVD]

インドの仕置人 [DVD]

ロボット 完全豪華版ブルーレイ [Blu-ray]

ロボット 完全豪華版ブルーレイ [Blu-ray]