それは生きる証しのために〜映画『イップ・マン 序章』

イップ・マン 序章 (監督:ウィルソン・イップ 2008年香港映画)

■序章、見参

この間観た『イップ・マン 葉問』は凄まじく面白い功夫映画だったんですが、なんと続けざまにその序章が公開されることになりました。こりゃ早速観なきゃアカン、ということで公開初日の初回を観るために気合入れて2時間も並んで観てきました!実は本国での公開はこの『イップ・マン 序章』が最初で、『イップ・マン 葉問』はその続編ということで製作されたんですが、日本では順序逆の公開というちょっと変則的なものになっちゃってたんですね。

イップ・マン 葉問』はある事件がもとで香港に逃れ住むことになった実在の武術家イップ・マン一家が描かれますが、この『序章』ではその事件が起こった広東省仏山市から物語は始まります。時代は1935年、当時広東省仏山市という所は武術のメッカといってもいいぐらい道場が軒を連ねていた町だったんですね。その中でイップ・マンは道場こそ持っていなかったものの、この町で最強の武術家として知られていました。冒頭は荒くれ者の道場破りがあちこちの道場で他流試合を行い、道場主をことごとく打ち負かしてイップ・マンの元へ殴り込みをかけますが、イップ・マンのあたかも水が流れるが如き鮮やかな拳によってあっさり返り討ちにされてしまいます。いやあ強い!なにしろ強い!

■鉄人イップ・マン

イップ・マン 葉問』の時も感じましたが、"古き善き中国"のノスタルジックな町並みを再現したセットがとても目を惹きます。この中でイップ・マンは"穏やかな鉄人"であると同時に"ちょっと奥さんに弱いが妻子を愛する家庭人"として描かれます。そしてまた、その穏やかな大人ぶりにより町の人々から篤い信望も得ているのです。主演のドニー・イェンのイップ・マン本人が取り付いたかのような演技、そして目にも止まらぬ武術の冴えはもはや完璧と言っていいものがあるかもしれません。自分は本当のイップ・マンのことは何も知りませんが、ドニー・イェンの演技と技からは実在したイップ・マンの巌のような鉄人ぶりと、その魅力溢れる人間性が手に取るように伝わってくるのです。

そしていよいよ事件は起こります。日中戦争が始まってしまうんですね。戦火は仏山市をも蹂躙し、美しかった町は瓦礫と化し、町のそこここには野蛮な大日本帝国軍が溢れ、イップ・マン一家も極貧の生活に追いやられてしまいます。その中でイップ・マンは過酷な境遇になんとか忍従していきますが、冷酷な大日本帝国軍の狼藉による苛烈な暴力、痛ましい仲間の死を目の当たりにし、とうとう立ち上がるのです。細かなことですが、画面の色彩設計日中戦争前が赤いフィルターを通した暖かな映像で、戦争後は青いフィルターを通した冷たい映像に切り替わるのが面白いと思いましたね。

■それは生きる証しのために

なにしろ大日本帝国軍の空手道場におけるイップ・マンの10人組み手がひたすらに凄まじい!強い!とにかく強い!それまでイップ・マンは自らの強さを知るがゆえの抑制を効かせた戦いを見せていましたが、ここでは憤怒と破壊の波動に満ち満ちた鬼神の如き技また技を炸裂させるのです!この凄まじい技の応酬を観るだけでも十分に価値のある映画ですが、この『イップ・マン 序章』が一般的な功夫映画と違うのは、功夫アクションを見せるためのみに映画が成立しているのではなく、映画に訴えかけるべきテーマと物語が存在していることなんですね。つまり功夫アクションと物語がきちんと両立しているんです。この映画では抗日が描かれますが、それは同時に、武術という精神性を通した民族としての誇りを描いているんです。

時代は戦争の最中です。幾ら強力な武術の腕を持っていたとしても、イップ・マンは不死身の超人というわけではありません。例え10人の空手の使い手を倒せても、大量の銃弾や爆薬、雲霞の如き兵士たちを相手にして勝つことはできません。ましてたった一人で大陸を巻き込んだ戦火を収めることなど出来るはずもありません。イップ・マンは劇中、瓦礫となった町の中でこう言います、「武術などなんの役にも立たない」と。それは、武術で世界を変えることなど出来はしないという冷厳な現実認識です。しかし、そう言いながら彼は、やはり戦いへと赴くのです。世界を変えるのでもなく、怒りでもなく、ただ打ち負かすためではなく、ましてや自分のためでさえ無く。それは、共に生きた人々の、生きる証しのためなのです。だからこそ、映画『イップ・マン 序章』は、崇高な思いの宿った物語なのです。

■『イップ・マン 序章』予告編