牡牛座 レーニンの肖像 (監督:アレクサンドル・ソクーロフ 2001年ロシア・日本映画)

ソヴィエト社会主義共和国連邦成立前夜のある夏。モスクワ南東に位置するゴールキ村で、レーニンは療養を兼ねて滞在していた。1918年の暗殺未遂事件以来健康を害し、惚けの兆候も出ていたのだ。未だ革命と人民達への熱い思いは消え去ってはいないレーニンだったが、外界から隔絶されたこの地で、肉体も思考もままならないまま、焦燥だけが募ってゆく。そんなある日、一人の白い外套の男がレーニンを訪ねる。それは、後にソヴィエト連邦の権力者となり世界を震撼させる男、スターリンであった…。映画『牡牛座 レーニンの肖像』は1918年から24年に亡くなるまでこの療養所で過ごした、晩年のレーニンの姿に迫る作品である。

レーニンにしろスターリンにしろ、配役にはその肖像とよく似た俳優が使われ、また撮影も実際にレーニンが療養していた場所を使用したという。例え演じられた役柄とはいえ、スターリンが牙を隠した獣のようにのそのそと歩き、どこか慇懃な態度でレーニンに接する姿には、これが2000万人とも言われる大粛清を起こした男の姿かと思い慄然とした。また映画には、レーニンの妻であり同志でもあったクループスカヤ、レーニンの妹であるマリーヤも登場している。レーニンと彼の妻が仲睦まじく佇む姿は、この映画の中で唯一ほっとできる場面だった。音楽は殆ど使われず、ただ鳥や虫の鳴き声だけが響き、逆に療養所の静寂さを強調する。

特筆すべきは、その色彩構成と画面設計の異様さである。緑色のフィルターがかけられ、さらにコントラストのはっきりしない暈けた映像が最後まで続くのだ。この朦朧とし、時間感覚さえ掴めない奇妙な映像は、意識の混濁の著しいレーニンの視点ということなのだろうか。さらに看護人や側近達の行動も微妙に薄気味悪く(現実には勤務員全てがスターリンの手先であったらしい)、これら全てが非現実的なもののように、醒めない夢を見せられているかのようにさえ思える。そのせいで、むしろレーニンの視点というよりも、どこか彼岸の光景のようにさえ見えてくる。かつてロシア革命の先鋒として獅子奮迅の活躍をしてきたレーニンにとって、政治的にも肉体的にも自由を奪われて過ごすこの場所は、既にして涅槃の地であったのかもしれない。

だがその彼岸であり涅槃の地である場所で、最後の生の灯にしがみ付きながら生きるレーニンは、果たして全てを失ってしまっていたのだろうか。ラスト、映画全篇に渡ってかけられていた緑のフィルターが、霧が晴れたかのように取り払われる。そして映し出された画面いっぱいに広がるロシアの青く澄み渡った空。それを眺めながら、うつらうつらまどろんでゆくレーニン。ここには社会主義革命を最初に成功させた男、ソビエト連邦の建国者、ロシア社会民主労働党ボリシェヴィキの指導者としてのレーニンの顔は無い。肉体と精神を病み、これらの偶像を失うことで、そこでやっとレーニンは、一人の”人間”へと立ち返る事が出来たのではないだろうか。因みに”レーニン”とはペンネームであり、彼の本名はウラジーミル・イリイッチ・ウリヤーノフだった。即ちこの映画は、”革命家レーニン”がウリヤーノフという一人の老人へと回帰してゆく物語だったのではないだろうか。

■『牡牛座』日本語公式サイト