橋本治・岡田嘉夫の歌舞伎絵巻 義経千本桜

義経千本桜 (橋本治・岡田嘉夫の歌舞伎絵巻(2))

義経千本桜 (橋本治・岡田嘉夫の歌舞伎絵巻(2))

義経千本桜
源平合戦後の源義経が歩む数奇な運命を描いた人形浄瑠璃・歌舞伎の演目『義経千本桜』。これはその『義経千本桜』を橋本治の現代語訳と岡田嘉夫による美麗な絵によって絵本として完成させた作品である。…な〜んて知った事書いてますが、勿論ネットであれこれ調べたからこんな事も書ける訳で、実際この物語がどういうものであるか以前に、源義経がどういう人物なのかさえさぁ〜っぱり知らずに読んでおりました。スイマセン、コーコーセーのころ日本史赤点だらけでした…。
じゃあなんでこんな本を読んだのかというと、現代語訳を担当した橋本治がオレの好きな作家だったので、いったいどんな絵本になってるのだろう、と興味が沸いたからですね。橋本はもともと日本古典文学の現代語訳が得意な作家で、これまでも平家物語源氏物語の現代語訳なども手掛けております。源氏物語は読んでみましたが初っ端で挫折しました…。岡田嘉夫氏については存じ上げなかったのですが、この絵本では和風でありながら流麗な描線とビビッドな色彩が踊る美しい絵を描かれています。
お話をかいつまんで説明しますと、この物語は源平合戦勝利に導いたはずの英雄・源義経が、妬みや謀略から都落ちし、その逃避行の中で起こる様々なドラマを描いたフィクションです。その中には密かに生き延びていた平家の残党との戦いや、家来である武蔵坊弁慶等との情愛、さらには化け狐の活躍する話まで飛び出します。史実と空想が程よくブレンドされ、丁々発止の活劇や二転三転するドラマが盛り込まれ、さらには忠義心や人情噺を中心に据えた、古き善き日本の香りがする物語に仕上がっており、今読んでもこれが実に面白い。
これは元になる物語もさることながら、橋本氏の判りやすい訳文と岡本氏の絵筆の力量もあるでしょう。合わせて、な〜んも知らんで読んだオレが”吾妻鏡”や”安宅”や”勧進帳”なんて言葉を調べるきっかけになって、なんだか勉強した気分になりました。源義経は史実によると優れた才覚を持ちながらも不遇な人生を生き、最後には非業の死を遂げたのだそうです。”判官贔屓”というのは義経のそんな人生を哀れんで生まれた言葉なのだそうですが、いかにもはかないものを愛する昔の日本人の心象に合った言葉なんだなあ、なんてちょっと思いました。ちなみに漢字の読み方でよく言われる”判官贔屓=ほうがんびいき”ですが、何故”はんがん”と読まないのかというと、当時の義経の役職名の読み方が”ほうがん”だからということのようです。歌舞伎芝居を実際に見たくなるような絵本でした。

■歌舞伎はロックンロール
ところで歌舞伎というと今や日本の伝統芸能ということでお堅いイメージがありますが、歌舞伎が愛されていた江戸時代には歌舞伎は大衆芸能であり、言ってしまえば今のTVや映画みたいなショウビジネスで、歌舞伎の世界も芸能界みたいな、もっと身近なものだったのでしょう。”歌舞伎”の語源を調べると以下の様な記述が見られます。

傾奇者(かぶきもの)は、室町時代後期から江戸時代初期にかけての社会風潮。特に寛永から万治、寛文年間(1624〜73)にかけて流行した。男伊達を競い、派手な身なりや、行動を取る者たちのこと。「かぶき」は「傾き」に由来し、演劇としての歌舞伎の源流の一つになったともいう。

ともに派手な格好と無頼な行動を好み、立髪、大髭など異形風俗が流行した。侠客の走りとも言われる。旗本奴の頭領としては、水野十郎左衛門、町奴の頭領としては幡随院長兵衛が有名であり、芝居の題材に使われた。諸行無常の処世観、怨恨からの超絶、売られた喧嘩は必ず買う、見栄えや様式美、色恋や芸事を尊重するという美意識を共有する。
●Wikipedia カブキ者

「傾いちゃってるヤツ」だなんて、なんだかチンピラ臭いですが、そこに体制批判があり、なおかつ日常からの逸脱を愛し、さらに特別な美意識と諧謔精神を持った、言ってみれば”オシャレ”で”とんがった”連中からきた言葉なんですね。これって今で言うロック・スターみたいですよね。歌舞伎とは、当時はこんな風に”ロックンロールな”ショウビズだったんでしょうね。