できるかなクアトロ / 西原理恵子

できるかなクアトロ (SPA COMICS)

できるかなクアトロ (SPA COMICS)

西原の漫画はその独特の毒がいいんだよな、と思ってたけれど、この人の本質は毒ではないんだよな。まるで大型重機のような巨大で圧倒的なパワーですよ、タフネスとバイタリティですよ西原は。生きる大前提がでかいから目の前の障害物なんかいちいち迂回しないで踏み潰しちゃうんですよ。それは踏み潰しちゃっても大勢に影響がないちゃちいものだから踏み潰すんですよ。そしてそれが西原の毒なんですよ。でもけなげに咲く花はちゃんと避けて行く。どんなに小さくともちゃんと生きているものに対しては絶対の敬意を払う。それは西原もちゃんと生きているから。そしてつまりこれが西原にとっての”叙情”になる訳なんですよ。西原は”生きる”というただその一点にどこまでも貪欲なんですよ。そしてまた、”生きる”という以外に何があるんだ?というのが西原なんですよ。この余計な夾雑物を介することを一切許さない妥協の無さ。一般の人間がダイエットフーズをもそもそ食いながらもそもそと生きている所で、この人は血管にニトロ直に注入して爆走している。勿論誰も太刀打ちなんか出来ない。だから西原はスゲエ。
『出来るかな』シリーズは西原理恵子が様々なことに体当たりで挑む!といういわゆるドキュメンタリー漫画ではあるのだが、そこは西原、チャレンジする内容が一筋縄で行くはずが無い。これまで原子力発電所もんじゅ」のルポ(できるかな (SPA! COMICS))、インドネシア暴動の見物とカンボジアの地雷原散歩(できるかなリターンズ (SPA! comics))、さらには脱税とホステス業にまで挑んでしまう(できるかなV3 (SPA! comics))。4作目であるこの「クアトロ」での最大の力作はインドの”ヒジュラ”の密着ルポであるが、ヒジュラとはインドのオカマであり、このインド中のオカマたちが一同に会し神との結婚を成就する祭り、インド最大のゲイ・フェスティバル「クーヴァガムの祭り」に突撃する様がなにしろ強烈!インドにおいてアウト・カーストであるヒジュラの存在のあり方も「クーヴァガムの祭り」の一部始終も興味深いが、ひたすら濃すぎるインドオカマのツラ構えを写真入りで見ているとあまりのヤヴァさに思考停止しそうになる!なにしろこのインドオカマ祭りは一見の価値ありだ!そしてそんなインドオカマたちに威嚇と愛情で接する西原が、ああ、やっぱり、素晴らしいのだ。
参考:ヒジュラ 

時をかける少女

時をかける少女 通常版 [DVD]

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映画『時をかける少女』の本質とは「ピュッ!」「ゴロゴロッ!」「ドカンッ!」である。飛んで転がってぶつかるのである。大変元気で宜しいと思う。年寄りに真似できないのはこの無鉄砲さと闇雲な元気さだからな。そしてその合間を第二時性徴期の子供同士のいじらしい性的憧憬がもやもやふわふわと漂っているのである。あとはえーっと…うう〜ん、穢れたオトナになっちまったオレとしてはそれ以上の感慨を抱けないのであった。物語的には「3つのお願い」を聞いてくれる魔術アイテムで自滅する人間の物語、W.W.ジェイコブズの短編『猿の手』的なアイロニーを感じたが、それ以上の見所は無かった。なにしろ時をかけることも少女にもあまり関心が沸かないのらしい。”時かけ”ファンの皆さん、年寄りの感想なんてこんなもんだ、悪気があるわけではないので許せ。
時をかける少女』は筒井康隆原作の…などと言うまでも無い有名な作品であるが、この作品に注目が集まるきっかけとなった1972年製作のNHK少年ドラマシリーズ『タイムトラベラー』をオレはリアルタイムで観ていたりするのである。当然続編も観た。勿論自慢である。当時は撮影したビデオテープに重ね撮りして製作していた為、映像として残されていないというのが本当に惜しまれる傑作であった。(マニアの方が録画した作品の一部が現存しており、それが製品化されているという話は聞いたことがあるが。.)大林宣彦監督の映画『時をかける少女』も好きな作品だ。あれもTVを録画したビデオを繰り返して観ていた覚えがあるなあ。