『ボヘミアン・ラプソディ』を今頃やっと観た

ボヘミアン・ラプソディ (監督:ブライアン・シンガー 2018年アメリカ映画)

f:id:globalhead:20190505152653j:plain

去年公開され大ヒットしたあの話題作『ボヘミアン・ラプソディ』がディスクになったんでオレもやっと観た。ディスクリリース早くね?と思ったんだが劇場でつい最近まで上演されてたけど実際は去年の11月公開だったんだね。

あれだけ話題だったが特に劇場で観る気がしなかったのは、それほどクイーンには興味がなかったのとあんまり感動感動と世間がかまびすしかったのでなんだかシラケていた、というのがあった。フレディーの最期とその理由はオレはリアルタイムで知っていたが、こういう悲劇性でクイーンの物語がくくられるのはなんだか違和感もあった。

クイーンの音楽は中学生頃に知ったのかな。当時出ていた最新アルバムは5枚目の『華麗なるレース』だったと思う。当時クイーンはハードロックにジャンル分けされていて、フレディー・マーキュリーのヴォーカルやパフォーマンスなんかよりもブライアン・メイのギター・テクニックのほうが話題だった。友人から借りて聴いた『オペラ座の夜』と『華麗なるレース』は悪くなかった。ただなにしろオレはハードロックは趣味じゃなく、プログレッシヴ・ロックグラム・ロックが好きだったので、クイーンには特に熱中しなかった。そういや当時、確かにクイーンは女の子に人気があった。中学の時にロックを聴く様な女子はたいがいクイーンだった。その前はベイシティ・ローラーズを聴いていたような女の子がクイーンを聴いていた。

フレディー・マーキュリーが注目を浴びるようになったのはMTVの全盛期からだったと思う。ロック界隈の中でのフレディーの衣装は奇抜過ぎたしパフォーマンスはなんだか付いて行けない部分があった。短髪と髭、タンクトップというファッションもちょっとロックぽくなくて、この人何がしたいんだろう、と思っていた。だからどこかの段階でゲイと知った時には溜飲が下がった。オレはもともとボウイのファンだったし、当時よく聴いていたニューウェーブ系の音楽にもゲイやバイセクシャルのアーチストが多かったので、フレディーがゲイだということを知っても特に何も思わなかった。むしろびっくりしたのは、彼がインド系だったということだ!インド系ロッカーって、なんか凄いな、とちょっと思った。

映画はそんなフレディー・マーキュリーを中心に、青春期における父との葛藤や、女性との愛、バンドの成功とそれに反比例して彼を苛むようになる孤独、さらに自らがゲイであることを知り、その恋人に振り回されるようになってゆくことなどが描かれてゆく。

映画を観て思ったのは、フレディーがゲイであるかどうか以前に、そもそも心が乙女なヤツだったんだなあ、という事だ。これは彼の女性の恋人と電話しながらお互いの部屋の照明を点けるとか点けないとかどうにもロマンチック過ぎるやりとりをしていたシーンで思った。フレディーはお目目をキラキラさせながら恋人との愛の確認作業をしていたけど、恋人のほうは途中からうんざりし始めるのだ。

男のほうが女よりも無駄に無意味にロマンチックなのは結構あることで、なぜならそれはオレ自身が心が乙女な男だからよく分かるのだ。これはオレの相方からもよく揶揄されるよ。あ、オレの相方は女性です。多分実は、女の方が男よりもリアリスティックなんではないかと思う。それは性差という事ではなく社会的な理由で、男は夢みたいなことを言ってても社会でなんとなく生きていけてしまうが、女は夢みたいなことばかり言ってたらこの社会で生きていけないからなんだと思う。それは社会が男社会にできているからだということだ。

フレディーの繊細さや傷付き易さや孤独や親との葛藤がアーチストとしての表現に繋がった、というのは何となく分かんないでもないが、別に孤独で繊細で傷付き易くて親と葛藤がある人間が誰しもスーパースターになるわけなんじゃないから、これはまあ彼の個人的なキャラクターである、としか捉えられない。当然、ゲイであることとアーチストとして大成することも、要因ではあっても原因ではない。じゃあなぜフレディーが大成したかって、それは彼に才能があり時代を読む知見があったからということでしょう。だから彼の人生と絡めて彼の表現を語るのは、なんとなく居心地が悪いんだ。

それよりも、彼を支えるバンドメンバーの、フレディーの気ままさにあんまり動じないどっしりした落ち着きや寛容心や包容力のほうに、フレディー・マーキュリーという不世出のアーチストを活かすことができた要因があったんじゃないかな、とこの映画では思えた。もちろん映画というのは脚色が成されているもんだし、この映画におけるバンドメンバーの描かれ方が現実に即しているかどうかなんて知らないし分からないんだが、少なくともこの映画では、よく見るとバンドのメンバーはそういった描かれ方をしているんだ。で、実際、意外とクイーンってそういうバンドだったんじゃないか、とオレには思えたよ。

死んだ目のジャッキーがひたひたとテロリストの背後に迫る映画『ザ・フォーリナー/復讐者』

■ザ・フォーリナー/復讐者  (監督:マーティン・キャンベル 2017年アメリカ・イギリス・中国映画)

f:id:globalhead:20190503164855j:plain

ジャッキー・チェンが爆弾テロで娘を亡くした父親を演じ、テロリストとの壮絶な戦いに突入してゆくという映画『ザ・フォリナー/復讐者』です。

まずこの映画、ジャッキーの「死んだ目」のスチールがSNSでたまに出回っていて、それで興味を持ったんですね。↓こんなに死んだ目してるんですよジャッキー。うわーいったいどういうことなんだ……と思っちゃいますよね。

f:id:globalhead:20190503165634j:plain

《物語》ロンドンでレストランを営むベトナム人移民クァン・ノク・ミン(ジャッキー・チェン)はある日、最愛の娘を爆弾テロで亡くしてしまう。怒りと悲しみに打ちひしがれ自らテロ犯人を捜し始めたクァンは、元IRA兵士で今は穏健派として知られる北アイルランド副首相リーアム・ヘネシーピアース・ブロスナン)に辿り着く。執拗に食い下がるクァンを排除するためヘネシーは仲間たちを送り込むが、彼らはあっという間に叩きのめされてしまう。実はクァンはベトナムの元特殊工作員だったのだ。その間にもテロリストによる第2の犯行が起こってしまう。監督は『007 カジノ・ロワイヤル』のマーティン・キャンベル、原作はスティーブン・レザーの『チャイナマン』。

とまあそんなお話なんですが、「一見しょぼい被害者のおっさんは実は無双系」という、『96時間』や『イコライザー』あたりでお馴染みの設定を持った映画ではあるんですね。まあそもそも主演がジャッキーという段階で無双かましてくれると期待しちゃいますし、そういった強力なアクションもきちんと盛り込まれています。トラップや隠密潜入など「ベトナム特殊工作員」らしい技を使ってきたりもするんですね。しかし全体的に見るとジャッキーのアクションをとことん楽しませてくれるスカッとしたアクション作品というわけでは全然ないんですよ。

というのはこの物語には血塗られた歴史を持つ「北アイルランド問題」という背景があり、その紛争の中で武力的な独立運動を続けてきたIRAという組織があり、それが現在は政府と停戦協定を結び穏健な活動に落ち着いている、という現状があるんですね。物語の発端であるテロ事件は穏健派となった組織に不満を持つ一部のIRA過激派が関わっているのですが、元IRA兵士である北アイルランド副首相ヘネシーはその過激派の存在を炙り出そうとする、そういった内部抗争的な物語がこの作品にはもうひとつあるんですよ。

即ち、まず敵がはっきりしないということなんですね。ヘネシーは何か知っていそうなんですが、それもどこまで知っているのか分からない。だからクォンはとりあえず徹底的にヘネシーに食い下がって脅迫的な行為を繰り返すんですけど、「ひたすら脅迫的である」という部分でクォンは狂人じみた男に見えてしまう。だから「正義の鉄槌!」とばかりにボカスカ敵を打ちのめしてゆくといった単純明快気分爽快なアクションを期待しちゃうと、「何が真実で何が嘘か」という迷宮じみた物語展開に頭がモヤモヤしっぱなしになってしまうかもしれません。

さらに「クァンの復讐」と「ヘネシーの犯人捜し」に分断された物語はジャッキーとブロズナンにそれぞれ時間配分されてしまう為、これもジャッキーファンがジャッキー目当てに観に行くとキツイかもしれませんね。オレが観に行った劇場でも「ジャッキー・チェンの痛快最新アクション娯楽作!」を期待して観に来たらしい中学生ぐらいの男の子たちが何人かいましたが、「IRA北アイルランド問題が背景で―」とか言われてもピンと来なかったんじゃないかなあ。だいたいオトナのオレですらそんなに詳しいわけじゃないのでモヤモヤしてたぐらいでしたから(←単なる勉強不足)!

とはいえ、そういった政治的背景を押し出した、単なる無双系の作品ではないという部分では前述の『96時間』や『イコライザー』の二番煎じであることを免れていたし、またこうしたヤヤコシサを持ち込んでいることを了解して観られるならその方向のサスペンス作品として納得して楽しむことは出来るんですよ。ジャッキー・チェンもコミカル要素を一切封印して終始死んだ目と陰鬱な表情で演技を押し通し、これはこれで彼の新機軸という事もできるんじゃないでしょうか。ジャッキーももう結構なお年なので体も昔のようにキレがいいわけではなく、「単純明快気分爽快なアクション!」ってばかりにもいかないのでしょう。とはいえ、そんな中で炸裂するアクションはやはり十分に見応えがあったのは確かでしたね。

チャイナマン (新潮文庫)

チャイナマン (新潮文庫)

 

【ネタバレあり】有終の美を飾るシリーズ完結編『アベンジャーズ/エンドゲーム』

アベンジャーズ/エンドゲーム (監督:アンソニージョー・ルッソ 2019年アメリカ映画)

f:id:globalhead:20190502111754j:plain

◆今回はネタバレにて失礼

衝撃の結末を迎えた前作『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』から1年、いよいよその完結編でありMCUマーベル・シネマティック・ユニバースの一応の一区切りとなる作品『アベンジャーズ/エンドゲーム』が遂に公開され、オレも鼻息を荒くして観に行ったのである。

そんなわけでこの『エンドゲーム』の感想というか雑感を書こうかとは思うのだが、なにしろもう、何を書いてもネタバレになりそうである。オレも観に行くまではSNSは極力控えて観に行ったぐらいだから、他の方も同様に避けたいであろう。オレなんかもう面白かったか面白くなかったかすら知りたくなかった。かといって物語に一切触れずに書くのも難しいし、もういっその事全部伏字のブログ記事にしちゃおうか!?などと逆上気味に思ったりもしたのだが、それもなんだか馬鹿馬鹿しい。

というわけで今回はあえて【ネタバレあり】の感想にしたいと思うので、まだ映画をご覧になっていない方はこの辺でブラウザを閉じるなり前に戻るなりしてくださった方がよろしいだろう。

なお本文では「MCU最終章」的な書き方をしているが、もちろんこの作品でMCU自体が全て終わるわけではないことは認知しているので、「これまでの物語の大きな一区切り」であるといった意味で受け取ってもらいたい。では行ってみよう!

◆インフィニティ・ウォー

さて最初に感想を書く。まずなにしろ、想像以上によく練り込まれた、素晴らしい作品だった。『インフィニティ・ウォー』の続きとなるなら、それはもうヒーローたちの凄まじい「アベンジ」が描かれるだろうことぐらいは予想付くが、それ以上に、MCU作品群のフィナーレとして、非常に心動かされるエピソードをこれでもかと盛り込んできた。それにより、タイトルに相応しい見事な幕引きを見せてくれた作品として完成していた。マーベルヒーローのみんな、ありがとう、ごくろうさま、という気持ちで一杯になって劇場を出る事が出来た。

実の所オレはそれほど熱心なMCUファンではない。そこそこに映画の好きな人間なのでこれまで公開されたMCU作品は一応全て観ているのだが、ほとんどの作品は楽しんで観てはいたけれども、まるでノレなかった作品や退屈すぎてゲンナリした作品も無いことも無いのだ。特にMCUで最も重要な作品であろう『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』や『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』はオレには辛気臭すぎてうんざりさせられた作品だった。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』や『アントマン』のシリーズには相当退屈させられた。こういった作品が続くものだから一時はMCU嫌いにまでなってしまった。

ただその後の『ドクター・ストレンジ』や『マイティ・ソー:バトルロイヤル』、『ブラック・パンサー』は好きだったので、どうもオレは仲間内でゴチャゴチャする話ってェのが基本的に嫌いなのかもしれない。それと併せ、際限なく登場する新手のヒーロー映画には食傷気味になってきたし、変わり映えのしない物語展開にも退屈してきたのも確かなのだ。

しかし『インフィニティ・ウォー』は違っていた。これは、これまで培ってきたMCUを終わらせるために製作されていたのだ。ここまで長い年月を掛け膨大なファンと莫大な収益を得てきたシリーズ作を終わらせる、という英断の在り方に驚いた。どこぞの””SF星間戦争シリーズ”と志が違うな、と感心した。しかもただ終わらせるのではなく、全宇宙の全生命が半分となり、当然ヒーローたちも半分方消滅してしまう、という未曽有の危機を描いて幕を閉じたのである。世に幾多あるSF作品ヒーロー作品の中でもここまで絶望的な状況を描き切った映画は後にも先にも初めてかもしれない。

◆エンドゲーム

こうして凄まじい喪失と絶望の中からこの『エンドゲーム』は語り始められる。陰鬱極まりない出だしだけれども、これからの大いなる反撃の様も逆に期待させられる。ところが、開幕早々前作今作の最大の敵である筈のサノスがあっさりとナニされてしまうのだ。そしてサノスをナニしただけでは宇宙は救われないことも分かってしまう。ここで登場するのがアントマンだ!で、「量子力学のアレのコレで時間をアレすればコレがソレしますよ!よし、やっちゃおう!」という流れになるのだ。

「時間のアレ」。要するにタイムトラベルだ。いや最初はオレも「ちょっとズルくないかー?」とは思ったのである。確かに今作に対する感想でタイムパラドクスに言及されている方も見かけはする。で、このタイムパラドクスなんだが、物語内で「よく言われるタイムパラドクスの概念は間違い」という「方便」が宣言される。「方便」、または「インチキ」ともいう。しかしそもそもMCUにおける科学の在り方は「荒唐無稽系」という”系”に属しているので(そもそも魔法が存在している世界である段階で科学もクソも無い)、宣言された「方便」はこの”系”においては有効であるという認識で正しいのである。すなわちインチキでもよいのだ。

そしてこのタイムトラベルの扱いがMCUフィナーレとしての今作に於いて核心的に重要な役割を負っている。それはアイアンマン/トニー・スタークが、キャプテン・アメリカスティーブ・ロジャースが、それぞれに様々な遍歴を経て現在の戦いの場にいる中で、タイムトラベルによりそれぞれの出自はなんであったのか、を振り返ることになるシーンが挿入されるということだ。それは、「自分たちはなぜ今の自分となったのか?」「自分たちにとってヒーローであることとはなんだったのか?」「そしてなぜ戦っているのか?」といった問い掛けとその答えが描かれるということだ。そしてそれは物語世界から離れ、MCUの歴史とその存在自体を再確認する描写でもあったのである。

これにより、物語は「敵を倒す」「世界を救う」といった従来的なヒーロー物語から、ヒーローそのものの来歴にクローズアップした、フィナーレに相応しい有終の美に満ち溢れた物語展開を可能にしているのだ。長年のファンであればあるほどこの二人のタイムトラベルで観ることになるシーンに万感の想いを抱くことになるだろう。この『エンドゲーム』は『インフィニティ・ウォー』から続く物語の完結編であると同時にMCU自体の(一応の暫定的な)完結編でもあり、その両方の展開を用意しているという部分で相変わらずすさまじく見事に交通整理されたシナリオだな、と感服させられる。

◆最後の戦い

 こうした「堂々たる完結に向けてひた走るシナリオ構成の見事さ」もさることながら、遂に巻き起こったクライマックスにおける大戦闘の【最後の戦い】ぶりは、黙示録もかくやと思わせるが如き世界最終戦争の様相を呈しており、その天が割れ地が裂け空気が燃え肉と肉がぶつかり合い超科学兵器と超魔法とがしのぎを削る戦いの凄まじさはシリーズ最終章に相応しい超ド級の描かれ方をしている。

なんと言ってもこれまでシリーズに登場してきたあのキャラクターが、このキャラクターが、あたかもバトンリレーの如くその雄姿を次々と顕しあらん限りの持てる力を振り絞って戦うその姿は、これまでシリーズを愛してきたファンにとっては万感に迫る思いで目に映る事だろう。個人的にはキャプテンがムジョルニアを手にした時ソーが「やっぱりな」と言った時の高揚感と言ったら無かった!そして強力の盾と槌を持ったキャプテンのその姿は彼の完成形の姿ではないかとすら思えた。

ところで今作で危惧していたのはキャプテン・マーベルの絶対的な強力さだった。『インフィニティ・ウォー』ラストにおいて「最後の切り札」的に言及されその出演作『キャプテン・マーベル』においては向かうところ敵なしの超絶的な力を見せつけたキャプテン・マーベルは、ともすればデウスエクスマキナ的なご都合主義的な「最後の切り札」に成り得たであろう所をしかし、この『エンドゲーム』では巧みに登場シーンを限定しつつ、その強力さの見せ場もきっちり用意してまさに「最後の切り札」らしい活躍を見せてくれた。

あの悲痛極まるトニーのエピソードについては多くを語るまい。しかしこう思ったのだ、『アイアンマン』で始まったマーベルの長く偉大なる旅の最終章は、こうしてまた『アイアンマン』で閉じられるのだと。こうしてMCUは一つの大きな円環の中で完結し、そしてまた新たなMCUの物語が語り継がれるのだと。これは終わりではない、新訳聖書の福音にあるが如く、「一粒の麦は地に落ちて死ななければ一粒のままである、だが死ねば、多くの実を結ぶ」ことを体現しているのだと。畢生の傑作であった。

【お蔵出し】オレの45冊・SF小説篇

今回のエントリ『オレの45冊・SF小説篇』は2012年1月16日にはてなダイアリーの「下書き」に放り込んだまま7年間塩漬けにしていた記事である。

きっと当時「私の45冊」なんていうエントリが流行っていて、それに便乗しようとしたものなのだろう。タイトル通りオレのお気に入りのSF小説45作を紹介したものだが、結局更新されなかったのは、45作それぞれの紹介文を書こうとしたものの、面倒臭くなって放置したからだと考えられる。

なにしろ7年前に書いたものなので、当然それ以降の印象深い作品は入ってないし、今見ると「なぜこれが入ってるの?」なんて作品、「あー確かにこんなの読んでたなあ」などと久しぶりに思い出した作品もあったりするのだが、とりあえず何も弄らないことにした。

そういった「割とどうでもよくなってしまった記事」ではあるが、折角苦労して並べたこともあり、SF好きな方の何かの参考になればと思い、今回お蔵出しすることにした。では行ってみよう!

1.タイタンの妖女 / カート・ヴォネガット・ジュニア


2.砂漠の惑星 / スタニスワフ・レム
砂漠の惑星 (ハヤカワ文庫 SF1566)

砂漠の惑星 (ハヤカワ文庫 SF1566)


3.虎よ、虎よ! / アルフレッド・ベスター

4.火星のタイムスリップ / フィリップ・K・ディック
火星のタイム・スリップ (ハヤカワ文庫 SF 396)

火星のタイム・スリップ (ハヤカワ文庫 SF 396)


5.ストーカー / アルカジイ&ボリス・ストルガツキー
ストーカー (ハヤカワ文庫 SF 504)

ストーカー (ハヤカワ文庫 SF 504)


6.地球の長い午後 / ブライアン・W・オールディス
地球の長い午後 (ハヤカワ文庫 SF 224)

地球の長い午後 (ハヤカワ文庫 SF 224)


7.10月はたそがれの国 / レイ・ブラッドベリ
10月はたそがれの国 (創元SF文庫)

10月はたそがれの国 (創元SF文庫)


8.異星の客 / ロバート・A・ハインライン
異星の客 (創元SF文庫)

異星の客 (創元SF文庫)


9.2001年宇宙の旅 / アーサー・C・クラーク
決定版 2001年宇宙の旅 (ハヤカワ文庫SF)

決定版 2001年宇宙の旅 (ハヤカワ文庫SF)


10.リングワールド / ラリイ・ニーブン
リングワールド (ハヤカワ文庫 SF (616))

リングワールド (ハヤカワ文庫 SF (616))


11.キャッチワールド / クリス・ボイス
キャッチワールド (ハヤカワ文庫 SF 431)

キャッチワールド (ハヤカワ文庫 SF 431)


12.ゲイトウエイ / フレデリック・ポール
ゲイトウエイ (ハヤカワ文庫SF)

ゲイトウエイ (ハヤカワ文庫SF)


13.カエアンの聖衣 / バリントン・J・ベイリー
カエアンの聖衣 (ハヤカワ文庫 SF 512)

カエアンの聖衣 (ハヤカワ文庫 SF 512)


14.喪われた都市の記録 / 光瀬龍
喪われた都市の記録〈上〉 (ハルキ文庫) 喪われた都市の記録〈下〉 (ハルキ文庫)


15.復活の日 / 小松左京

復活の日 (ハルキ文庫)

復活の日 (ハルキ文庫)


16.脱走と追跡のサンバ / 筒井康隆

17.妖星伝 / 半村良
完本 妖星伝〈1〉鬼道の巻・外道の巻 (ノン・ポシェット)

完本 妖星伝〈1〉鬼道の巻・外道の巻 (ノン・ポシェット)


18.太陽風交点 / 堀晃
太陽風交点 (1979年)

太陽風交点 (1979年)


19.狼男だよ / 平井和正

20.サイコロ特攻隊 / かんべむさし

21.神狩り / 山田正紀
神狩り (ハヤカワ文庫JA)

神狩り (ハヤカワ文庫JA)


22,帝都物語 / 荒俣宏
帝都物語〈第壱番〉 (角川文庫)

帝都物語〈第壱番〉 (角川文庫)


23.故郷から10000光年 / ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア

24.チョンクオ風雲録シリーズ / デイヴィッド・ウィングローブ
竜の帝国 (文春文庫―チョンクオ風雲録)

竜の帝国 (文春文庫―チョンクオ風雲録)


22.神鯨 / T・J・バス
神鯨 (ハヤカワ文庫 SF 312)

神鯨 (ハヤカワ文庫 SF 312)


23.人類皆殺し / トマス・M.ディッシュ
人類皆殺し (ハヤカワ文庫)

人類皆殺し (ハヤカワ文庫)


24.中継ステーション / クリフォード・D・シマック
中継ステーション (ハヤカワ文庫 SF 265)

中継ステーション (ハヤカワ文庫 SF 265)


25.竜の卵 / ロバート・L・フォワード
竜の卵 (ハヤカワ文庫 SF 468)

竜の卵 (ハヤカワ文庫 SF 468)


26.航路 / コニー・ウィリス
航路 上 (ヴィレッジブックス F ウ 3-1) 航路 下 (ヴィレッジブックス F ウ 3-2)


27.ハイペリオン / ダン・シモンズ
ハイペリオン〈上〉 (ハヤカワ文庫SF) ハイペリオン〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)


28.アンドロメダ病原体 / マイクル・クライトン


29.オルタード・カーボン / リチャード・モーガン
オルタード・カーボン(上) オルタード・カーボン(下)


30.終わりなき戦い / ジョー・ホールドマン

終りなき戦い (ハヤカワ文庫 SF (634))

終りなき戦い (ハヤカワ文庫 SF (634))


31.スタータイド・ライジング / デイヴィッド・ブリン
スタータイド・ライジング (上) (ハヤカワ文庫 SF (636)) スタータイド・ライジング (下) (ハヤカワ文庫 SF (637))


32.侍女の物語 / マーガレット・アトウッド

侍女の物語 (ハヤカワepi文庫)

侍女の物語 (ハヤカワepi文庫)


33.猿の惑星 / ピエール・ブール
猿の惑星 (ハヤカワ文庫SF)

猿の惑星 (ハヤカワ文庫SF)


34.ニューロマンサー / ウィリアム・ギブソン
ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)

ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)


35.ネットの中の島々 / ブルース・スターリング
ネットの中の島々〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

ネットの中の島々〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)


36.ブラッド・ミュージック / グレッグ・ベア
ブラッド・ミュージック  (ハヤカワ文庫SF)

ブラッド・ミュージック (ハヤカワ文庫SF)


37.サンディエゴ・ライトフット・スー / トム・リーミイ
サンディエゴ・ライトフット・スー (サンリオSF文庫)

サンディエゴ・ライトフット・スー (サンリオSF文庫)


38.レッド・マーズ / キム・スタンリー・ロビンスン
レッド・マーズ〈上〉 (創元SF文庫) レッド・マーズ〈下〉 (創元SF文庫)


39.神々自身 / アイザック・アシモフ

神々自身 (ハヤカワ文庫SF)

神々自身 (ハヤカワ文庫SF)


40.ユダヤ警官同盟 / マイケル・シェイボン
ユダヤ警官同盟〈上〉 (新潮文庫) ユダヤ警官同盟〈下〉 (新潮文庫)


41.エア / ジェフ・ライマン

エア (プラチナ・ファンタジイ)

エア (プラチナ・ファンタジイ)


42.万物理論 / グレッグ・イーガン
万物理論 (創元SF文庫)

万物理論 (創元SF文庫)


43.アッチェレランド / チャールズ・ストロス
アッチェレランド (海外SFノヴェルズ)

アッチェレランド (海外SFノヴェルズ)


44.ねじまき少女 / パオロ・バチガルピ
ねじまき少女 上 (ハヤカワ文庫SF) ねじまき少女 下 (ハヤカワ文庫SF)


45.サイバラバード・デイズ / イアン・マクドナルド

サイバラバード・デイズ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

サイバラバード・デイズ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

つれづれゲーム日記:『アサシン クリード オデッセイ』の巻

アサシン クリード オデッセイ (PS4/Xbox One/Nintendo Switch/PC)

f:id:globalhead:20190227150725j:plain

◆オレとアサクリシリーズ

ゲーム『アサシン クリード』(以下「アサクリ」)シリーズの事は2007年に第1作目が発売された時から気になっていたのである。このシリーズはアサシン教団の暗殺者となり、古代から中世、さらに近世と、あらゆる時代を舞台に敵対勢力を闇から闇へと葬ってゆくというゲームであり、そのステルス・アクションはもとより、舞台となる時代時代の徹底的にリアルに作り込まれたヴィジュアルの美しさが売りとなり人気を博していた。

とはいえ、オレはこれまでこのシリーズを1本もやったことがなかった。とても興味はあったものの、苦手なステルス・アクションということから敬遠していたのだ。それと、当時読んでいたファミ通(そう、オレは50過ぎまでファミ通を読んでいたという男なのである)に「変態的アクション」と書かれていたのが妙に引っ掛かったのだ。

むう。カッコイイだろうと思っていたアサクリだが「変態的アクション」なのか。実の所、オレ自身は「猟奇的」と言っていいほどの筋金入りの変態であり、変態である自分自身を寧ろ誇り高く思っていたほどに変態をこじらせていた変態の中の変態と言っていいような男なのだが、ゲームでまで「変態」はやりたくない。変態は実生活だけで十分だ。これ以上やるとおまわりさんに捕まっちゃうしねムフフ、などと結論付け、とりあえずアサクリの存在は無視していたのだ。

しかしだ。このシリーズはゲームファンに絶賛を持って受け入れられ、以降スピンオフも含めれば20作近くのアサクリ・ゲームがリリースされることになったのだ。そして新作リリースの記事を読むにつけ(ファミ通で)、その魅力溢れるビジュアルに心ときめかされつつ、「でもやらない!絶対やらないんだかんね!」と、歯を食いしばり顔真っ赤にしながら購入を我慢し続けた。なんかもうこうなっちゃうと意地である。なんの為の意地なのかさっぱり分からないが、とかくオレという人間はこういうどうでもいいことで無駄に体力を使うしょうもない人間なのである。

◆遂に『アサシン クリード オデッセイ』発売。そして……

そして月日が流れ2018年。アサクリの新作『アサシン クリード オデッセイ』が発売されたのである。今回のアサクリの舞台は古代ギリシアだ。「おおおおおお……なんと今回はギリシア……」。オレは色めき立った。オレは映画好きだが、古代ギリシアが舞台の映画にはお気に入りなのが結構あるじゃないか。まずなんと言っても『300(スリーハンドレッド)』だ。あれサイコーだったよなあ。あと『インモータルズ』とか『ヘラクレス』とか『アルゴ探検隊の冒険』とか、『トロイ』はイマイチだったけど、まーなにしろあの甲冑やら筋肉ムキムキの男たちやらを見ると燃えるじゃないか。

オレはアサクリ新作『オデッセイ』が頭から離れなくなってしまった。しかしこれまで頑なに購入を拒んだアサクリシリーズ、今更手を出すのも信条が許さない。いや欲しい、やっぱり止めよう……こうしてオレはゲーム『オデッセイ』をアマゾンのカートに入れたり削除したり、注文したと思ったら速攻でキャンセルしたりと、悩ましい日々を送ることになってしまったのだ(しかしこう書いてて思うが人生ほかに悩むこと無いのかオレ?)。

こうして発売から半年弱経ったある日。いつものようにXboxOneでゲームを遊ぼうとしていたら、ゲームのバーゲンセールを見つけてしまったのだ。それはUBIソフトのバーゲンで、その中にはなんと『オデッセイ』が、しかも定価の半額ほどで売られているではないか。「いやんもうダメ」こうしてオレは己の欲望に根負けし、遂にアサクリシリーズを初体験することとなったのだ(ここまでナゲーよ。読んでる人いるのかよ)。

そしてゲーム・オープニング。おおおおおおおお!いきなりレオニダス王が登場して映画『300』もかくやと思わせる肉弾戦を展開しているじゃないか!なんでいきなりレオニダス王なのか全然分かんないんだけど、これは嬉しいぞ!楽しいぞ!買ってよかったぞ!

◆楽しい!楽しいぞアサクリオデッセイ!

というわけでオデッセイをプレイし始めたオレだが、これがもう、「神ゲー」の噂通り、本当によく出来た面白いゲームなのだ。いわゆるオープンワールド・ゲームで、実はオレはオープンワールドは世界が広すぎてやってて飽きて来るという理由で苦手なのだが、このオデッセイはそれを全く感じない。古代ギリシア世界の作り込みがとことん半端なく、臨場感と迫真性に溢れ、没入感が凄まじいのだ。これはオデッセイがオープンワールドゲームとして抜きん出ているというのもあるだろうが、このオレの古代ギリシアへの憧れが大きいことも加味されているだろう。広大な古代ギリシアの世界を闊歩し、そこで生き、人と会話する。これだけでも楽しくてしょうがない。

それと『アンチャーテッド』的なバルクールが簡単に出来てしまうため、移動が楽しいのだ。どんな山だろうが谷だろうがひょいひょい上り下りできるので、どれだけ高低差があっても目的地までほぼ直線距離で移動できる。これは他のオープンワールドでは有り得ないことだ。長距離なら馬に乗ることもできるし、これもナビ付けとけば勝手に目的地まで走ってくれる。

戦闘がまたいい。主人公は鷹を飼っているが、これを目として上空からの偵察、索敵、マーキングができる。これにより潜入ルートを考察し、タクティカルに敵を殲滅してゆくことができる。戦闘はステルス潜入が最も無難だが、すわ敵と対峙した時はさまざまなスキルを駆使して戦い抜く。

この辺りのゲームシステムを触ってみて思ったのは、これはUBIソフトがこれまでリリースしたゲームシステムの蓄積が開花したゲームなのかな、ということだ。バルクールを加味したステルス要素は『スプリンター・セル』だし、索敵システムは『ゴースト・リコン』とか多分あの辺の戦闘モノにあったよなあ。それらを古代や中世世界に上手く応用したのがアサクリシリーズってことなのかなあ、他のシリーズやってないんではっきり言えないけど、とかいうことを思ったわけだ。まあ勘違いだったら怒らないでくれ。

そんな訳で「初アサクリ」だったオレだがこれはすっかり魅せられてしまった。例によってクリアまで漕ぎつけられるか謎のまた謎ではあるが、にもかかわらず他のアサクリシリーズはどんななのだろう、と興味が湧いてしまったオレである。いやあオデッセイクリアしてから言えよ、って話なんだろうけどさあ、これまでムキになって無視し続けた分思いっきり他のシリーズも触りたくなっちゃってさあ……。こうしてまた積みゲーが増えてゆくという訳である。諸行無常である。