ハァハァってなんなんだよハァハァってオレ!?

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暑い。全宇宙的に暑い。ここまで暑いとむしろ「熱い」と言いたくなる。まあしかし夏は暑いものである。暑ければ外になんか出ずにエアコン全開にした部屋でビール片手にマイルドに頭の悪い映画でも観ながらエシャシャ!エシャシャ!などと笑いつつ口の端から泡など垂らしながら果てしなく弛緩しきっていればいいのである。

ただどうしても表に出なければならない用事などがあると困る。特に仕事だ。オレの仕事は3Kのゲンバ業務なので夏であろうと表で汗ダンラダラに垂らして業務に勤しまねばならない。おまけに危険防止用にヘルメット着用、長袖着用だ。靴は先っちょに金属板の入った安全靴だ。なんというかこんな暑い格好のほうが夏場は危険なような気がするが、規則なので守らねばならんのだ。

とはいえ、こんな格好で汗みどろになりながら仕事をしていると、ある瞬間から新たな世界の扉が開いてくるのである。耐えて耐えて耐え忍んだ末に見えて来る真理である。つらい苦行の果てに待つ涅槃の境地である。そこではお花畑が広がり何百頭もの蝶が舞いエル・ファニングそっくりの天女様が優しくオレに微笑みかけているのだ。「ああエルたん……オレのエルたん……来たよ……オレは来たんだよ……」朦朧とした頭でエルたんに手を差し伸べようとしたその時オレの意識は途絶え、気が付くと週刊大衆や週刊実話やアサヒ芸能が山と積まれた饐えた臭いのする職場の更衣室で目を覚ます、という塩梅である。ああ現実なんて大嫌いだ。

実は前回のオレのブログ記事のことを考えていたのである。「ハァハァ!エル・ファニングたんハァハァ! / 映画『パーティーで女の子に話しかけるには』」という記事だ。内容についてはどうでもいい。自分でも「書いても読んでも時間の無駄だな」としみじみと呆れ返ることのできる果てしなくどうでもいい内容だからである。どのぐらい果てしないかというと先日南極の観測施設で発見されたニュートリノが地球から40億光年離れた巨大ブラックホールから来たことが判明したぐらい果てしないのである。

オレが懸念したのはそのタイトルである。なにしろ「ハァハァ!」である。50過ぎたオッサンがブログのタイトルで使う言葉なのか、とは思う。しかし、なにしろこのオレがやってることである。オレの事を知ってる方なら「ああ、いつものことだな」と思ってるだろう。「相変わらずしょうもないな」と思われているだろう。オレの事を知らない人は単に関わらないようにしようとするだけだろう。まあ特に重大な問題を孕んでいるわけではないのだ。

しかしだ。毎日のこの暑さの中ゲンバ仕事を続けているオレが何かの間違いで体調を悪化させまかり間違って死んだりしたらどうしようか、と思ったのだ。その時、オレの最後のブログ記事のタイトルが「ハァハァ!エル・ファニングたんハァハァ!」なのである。情けない。涙が出るほど情けない。

しかもだ。オレの死を知った何人かのネットの知り合いが、オレの「ハァハァ!エル・ファニングたんハァハァ!」という記事のコメント欄に追悼コメントなんか書いた日にゃあ目も当てられない。なにしろ「ハァハァ!」とか言ってる呆け切った記事の下に「惜しい人を亡くし」だの「悲しくてやりきれない」だの「合掌」などと悲痛極まりない文章が続くのである。もう考えるだけで具合が悪くなる。これでは死んでも死にきれない。

とはいえ誰も惜しがっても悲しんでも手を合わせもしないというのもまたがっかりさせられるのも確かである。一番いいのは死なない事なので、とりあえず毎回恥ずかしいタイトルのブログ記事を書いて「これを最後に死ぬわけにはいかない」と意地汚くしょうもない人生にしがみつき続けることがこれからのオレの課題である。

とまあそんなどうでもいいような自意識過剰の文章でした。なお冒頭の何かの映画の写真は本文とは何一つ関係ありません。 

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ハァハァ!エル・ファニングたんハァハァ! / 映画『パーティーで女の子に話しかけるには』

■パーティーで女の子に話しかけるには (監督:ジョン・キャメロン・ミッチェル 2017年イギリス・アメリカ映画)

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キャワイイ!エル・ファニングたんがキャワイ過ぎる!!

エル・ファニング主演の映画『パーティーで女の子に話しかけるには』観たんですけどね、いやーもう70年代末でロンドンでパンクでSFだなんてもう信じられないぐらいサイコーだしおまけに主演のエル・ファニングは史上空前の愛くるしさで心ときめき切なさ100万倍だし相方に黙って「俺の嫁…」とうなされながら呟きたくなる勢いでしたよ!

なにしろもうエル・ファニングエル・ファニング史上最高のエル・ファニングしておりバブみを感じてオギャりたいほどであり「エル・ファニング」などと堅苦しいフルネームではなく「俺のエルたん(はあと)」と独自の愛称で呼び習わし「 ハァハァ!オレのエルたんハァハァ!」と悶絶しながらこのままアカシアの雨に打たれて死んでしまいたいなどと錯乱したままほざきたくなるほど可愛い!

とはいえそんなことまで言いつつ、この映画劇場で観て無かったんですよ!ああオレとしたことが一生の不覚!つまりはブルーレイが出たので頭に血を上らせながら購入しそれを観たってことなんですが、その時興奮しながらツイートしたら何人もの心豊かなフォロワーの方が「いやあボクは劇場で観ましたけど何か?」と遠回しにオレにマウントとろうとするじゃないですか!?ウッキィーッ!!くくく悔しい!お前らみんなルドヴィコ療法の椅子に縛り付けて『ゆきゆきて、神軍』を100万回リピート視聴させるから覚えてろ!

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しかしそんなこと言いつつ、エルたん主演映画『ネオン・デーモン』も劇場で観てなくてやっぱりブルーレイを購入して観たんだよなあ……あれって確かレイトショー上映だったかで、レイトショー嫌いのオレ(夜の繁華街が嫌いで嫌いで)は行くのをためらったのが敗因でしたねえ……。ちなみに『ネオン・デーモン』は実にビミョーなラストでしたがエルたんの可愛さは当然100万馬力でしたよ!もうエルたんがいれば原発はいらないね!(意味不明)

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なんかもうさっきから訳の分からない事しか言ってませんがそもそもオレのブログ自体もともと訳の分からないことしか書いてないしなあウヘヘ、と脳みそを思いっきりとろかせながら思いついたことを幾つかダラダラと垂れ流してお茶をどぶ川並みに濁してみましょう。

原作のニール・ゲイマンと監督のジョン・キャメロン・ミッチェル

まずこの映画、原作がニール・ゲイマンの短編集『壊れやすいもの』に収録の同タイトル短編を原作にしています。原作のあらすじはこちら

壊れやすいもの

壊れやすいもの

 

コミック化もされているらしく、そのコミックはこんな表紙。

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映画はこの短編を冒頭で使ってあとは想像を膨らましたみたいなことを特典映像で言ってましたかね(違ってたらゴメン)。で、このニール・ゲイマンというのがたいしたヤツで、映画ファンなら『コララインとボタンの魔女』やTVドラマ『アメリカン・ゴッズ』の原作者ってことでお馴染みなんじゃないかな。

コララインとボタンの魔女 [Blu-ray]

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個人的にニール・ゲイマンの原作では世界幻想文学大賞も受賞したアメコミ「サンドマン」シリーズが大いにお気に入りでしたね。

オレのブログでの「サンドマン」シリーズ レヴュー

サンドマン(1)(2)〜プレリュード&ノクターン 上下 - メモリの藻屑 記憶領域のゴミ

サンドマン (3)(4)ドールズハウス上・下 - メモリの藻屑 記憶領域のゴミ

サンドマン (5)ドリームカントリー - メモリの藻屑 記憶領域のゴミ

デス―ハイ・コスト・オブ・リビング - メモリの藻屑 記憶領域のゴミ

しかも監督はなんと『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』のジョン・キャメロン・ミッチェルじゃないっすか!?

 性転換手術に失敗し股間に「怒りの1インチ」が残っちゃった青年がその愛と絶望をロックンロールに叩き付けるルサンチマンドラマ『ヘドウィグ』!いやあ好きだ好きだ大好きな映画だあああああ!!エグゼクティブ・プロデューサーを務めた映画『ターネーション』も臓腑を抉る傑作だったなあ!!

ターネーション [DVD]

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でも『ヘドウィグ』に次いで監督した『ショートバス』がどうも好きになれなくて、それで今回の『パーティ~』を見送ったという経緯もあるんだがな。

こうすれば君も『パーティ~』のエルたんになれる

さていつもの如くグダグダの内容になっておりますが、この辺で唐突にまとめ的な文章でも書いてさっさと終わることに致しましょう。映画の内容?評価?いや、エルたんが出演なさってるだけでこの作品は十分内容があるし評価も高い、と、それでいいじゃないですか。いいんですよ。いいんだってば。

というわけでまとめとして「こうすれば君も『パーティー~』のエルたんになれる」をお送りします。エルたん、というよりもこの映画でエルたん演じる所の異星人少女ザンになれる!って話なんですがね。エルたんと同等のキャワイサは無理だとしても、風変わりな異星人少女ぐらいにはなれるんじゃないのか?と思い、映画の中でのザンの特徴的な行動をここに列挙し、ザンにいくばくかでも近づけるように考察してみようと思うんですけどね。

◎こうすれば君も『パーティ~』のエルたんになれる!?

1. 黄色いビニールのドレスを着る
2. 知り合いが全員変な服を着て変な踊りをしている
3. 初対面の相手の指をチュパチュパしゃぶる
4. キスすると見せかけてゲロを吐きかける
5. 足の裏で彼氏の顔をグリグリする
6. 唐突にそこにいない“指導者”と話を始める
7. いきなり派手な化粧をしてパンクロックを歌いだす
8. 彼氏の前で他の男とキスしまくる
9. 突然「わたし妊娠したの」と彼氏に告げる
10. 彼氏の目の前でビルから飛び降りる

 いやあ、どれも難易度高いっすねえ……。

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人類滅亡の日まであと2年。/『七人のイヴ Ⅰ』

■七人のイヴ Ⅰ / ニール・スティーヴンスン

七人のイヴ ? (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

突如、月が七つに分裂した!原因は不明だったが、その月のかけらがやがて指数関数的に衝突を繰り返し、二年後には無数の隕石となって地球に落ちると判明する。その結果、数千年続く灼熱地獄“ハード・レイン”が起こり、地球上のすべてが不毛の地となるだろう、と。人類という種を残すため人々は宇宙に活路を求め、各国政府が協調して、国際宇宙ステーションを核とした「宇宙の箱舟」をつくることになるが…。新作が次々とベストセラーリスト入りする、アメリカ・エンターテインメント界を代表する作家ニール・スティーヴンスンの、人類の未来を俯瞰する破滅パニック大作、開幕!

「人類滅亡テーマ」はSFストーリーの醍醐味であり真骨頂であると思う。なにしろ自分がSF小説に興味を抱いたのも「人類滅亡テーマ」の作品からだった。小松左京の『復活の日』、筒井康隆の『霊長類南へ』、あるいは『幻想の未来』。トマス・M・ディッシュの『人類皆殺し』、グレッグ・ベアの『天空の劫火』。どれも完膚なきまで人類を滅ぼし去るトラウマ級のSF小説だった。

映画化作品でも『地球最後の日』『渚にて』『博士の異常な愛情』『猿の惑星』と枚挙にいとまがない。近年で言うと、『ハルマゲドン』や『2012』、『デイ・アフター・トゥモロー』あたりも、実はそんなに嫌いな映画作品ではない。あと『ノストラダムスの大予言』とかね!アニメの『宇宙戦艦ヤマト』もある意味人類滅亡テーマだったなあ。

とはいえ、「人類滅亡テーマ」の作品はあまりに多過ぎて、食傷してしまいやすいのも確かだ。一時映画館に行くと「人類の危機!」「地球の危機!」ばかり連呼された予告編だらけで笑っちゃったこともあった。

というわけで今回紹介するSF小説『七人のイヴ』である。人類滅亡テーマである。ある日謎の理由により月が破壊され7つの巨大な岩石塊と化す。科学者たちが計算したところその7つの塊は衝突を繰り返し次第に細かく破砕され、その全てが隕石となって地球に降り注ぐことが判明する。そしてそれは数千年続き、地球は壊滅し、人類は滅亡するだろうというのだ。その猶予はたった2年。各国政府は人類生存の鍵として国際宇宙ステーションに目を付けるが……というもの。

作者はニール・スティーヴンスン。邦訳作品に『スノウ・クラッシュ』『ダイヤモンド・エイジ』『クリプトノミコン』がある。なんとなく全部読んでいるのだが、実はどうも描写が冗漫かつ散漫で、それほど高く評価していなかった。おまけに大部のページ数の作品ばかり、『クリプトノミコン』なんて全4巻だし、今回の『七人のイヴ』も全3巻で刊行の予定だ(だから今回の感想文は現在刊行されている第1巻の感想となる)。おまけに物語は「人類滅亡テーマ」ときた。

こりゃパスかなあ、と思っていたのだが、在任中だったオバマ大統領やかのビル・ゲイツが本国刊行時に「今年読むべき本ベスト5」に挙げていたというから、いったいどうなってんだ?と興味を持ち、とりあえず読むことにしたのだ。

で、結論から言うと、「結構面白い」。全3巻のうちの1巻目なのだが、「非常に興味深い」。正直、冗漫さと散漫さが払拭されているという点で、これまで読んだニール・スティーヴンスン小説の中でも一番よく出来ているのではないか。

ありがちな「人類滅亡テーマ」の小説である本作が、なぜどのように面白いのか。これは本書巻末の解説に書かれているのだが、作者が本作を執筆するにあたって決めていたという3つの項目に由来すると思う。それはこうだ。

1.地球近傍、せいぜい太陽系内を舞台とする

2.既知の科学知識を超えるテクノロジーを導入しない

3.エイリアンを登場させない

 つまりどういうことかというと、まずこの物語がほぼ現代に近い近未来の設定であり、すなわち「人類救済」の為の方策が既知のテクノロジーしか存在せず、さらにエイリアン等の「デウスエクスマキナ」が唐突に登場して人類に手を差し伸べるようなことは決して無い、ということなのだ。SF特有の奇想天外なアイディアを全て廃し、既知のテクノロジーのみで、地球壊滅からどう人類を救うのか、救うことが可能なのか。それが本作を読む醍醐味なのである。どうです、面白そうでしょ?

既知のテクノロジーのみであるのなら、当然ではあるが、人類70億人全てを救うのは不可能である。さらに言えばその10万分の1も救えないし、100万分の1すらも怪しいのだ。しかし、その100万分の1か、1000万分の1の生存に賭けて、人類全てが、たった2年の猶予の中、考え得る最良の方策を決行しようとするのだ。そして、そのカギとなるのが国際宇宙ステーション「イズィ」なのである。

人類は「イズィ」を拡張することにより乗員を増やし、その中に選ばれた人類を送り込もうとする。しかし、その「イズィ」、あるいは拡張された宇宙ステーションの中で、人類は今後数千年生活しなければならない。地球に戻ることは数千年敵わないからだ。ただ避難して終わりではない、人類を存続させなければならないのだ。では、どうすればいいのか。そしてそれを、既知のテクノロジーのみで実行しようとするのである。ね、さらに面白そうでしょ!?

まだ第1巻のみなのでなんとも言えないのだが、この物語にはもう一つの特色が存在する。それは、人類滅亡という絶望を目の前にした人間たちの愁嘆場、自暴自棄、虚無的な行為を全く描かないという部分だ。人類滅亡テーマにありがちな破壊的な黙示録的情景をあえて物語に導入していないのである。つまり前述の「既知のテクノロジーのみで人類滅亡にどこまで対処できるのか」というシミュレーションのみに徹底的に特化した作品構成を取っており、そこが逆に既存の「人類滅亡テーマ」作品と根本的に違う作品となっているのである。そこが実に潔い。

こうした、徹底的絶望の中におけるアメリカ的・科学的オプティミズムの物語からは、かの傑作サバイバルSF『火星の人』を想起させた。言うなればこの『七人のイヴ』は、全人類版の『火星の人』とも表現できる。実は第2巻の粗筋を読むと、物語は人類滅亡のさらにその先を描いているらしく、この感想ももっと化けるだろうとは思う。どちらにしろ、今後刊行される第2、第3巻が楽しみである。

七人のイヴ ? (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

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猟奇!誘拐監禁された青年はクマビデオに興奮していたッ!?/映画『ブリグズビー・ベア』

ブリグズビー・ベア (監督:デイブ・マッカリー 2017年アメリカ映画)

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誘拐監禁されクマビデオばかり見せ続けられた少年の行くすえ!?

映画『ブリグズビー・ベア』、タイトルや熊のぬいぐるみが登場するビジュアルから『パディントン』みたいなファミリー・ファンタジーっすかあ?と思ったらさにあらず、なんと赤ん坊の頃に誘拐監禁された青年が数十年間誘拐犯の作ったニセTVドラマを見せられていた、というお話なんですね。そしてそのニセTVドラマのタイトルというのが「ブリグズビー・ベア」ということなんです。

主人公の名はジェームス(カイル・ムーニー)、彼は地下シェルターで両親と暮らしています。なんでも外界は毒ガス塗れの危険な世界なのらしい。25歳になるジェームスのただ一つのお楽しみは毎週届く教育ビデオ「ブリグズビー・ベア」。それは正義の味方ブリグズビー・ベアが宇宙を混沌に陥れる究極の悪と日夜戦い続けるというもの。そんなある日シェルターに警官隊が突入、両親を逮捕してしまう。実は両親と思っていた二人はジェームスを赤ん坊の頃誘拐した犯罪者で、ジェームスをずっと騙してシェルターに幽閉していた。やっと本当の親に対面するジェームスだが、世間の事を一切知らない彼の関心は、ブリグズビー・ベアだけだった。そこで彼は自分でブリグズビーの映画を撮ろう!と思いつくのだが……という物語。

誘拐監禁が端緒になっているこの物語、『ルーム ROOM』や『10 クローバーフィールド・レーン』が引き合いに出されていたけどオレが思い出したのは『籠の中の乙女』だったな。この映画では家に完全な幽閉状態で外の世界を全く知らず育てられた子供たちが両親から常識とは違う狂った教育を受けながら成長してしまう、という猟奇な物語が描かれるんですな。

誘拐犯は何故クマビデオを作った?

映画『ブリグズビー・ベア』でも主人公は外界から遮断されたまま、ブリグズビーの物語だけを見せられ、それだけが世界の真実だと思いこまされて成長してゆきます。ただ『籠の中の乙女』と違うのは、そのビデオが一応は子供向けぬいぐるみドラマの体裁を取った割ときちんとした教育ビデオだってことなんですな。しかもこれ、誘拐犯の親父のお手製なんですよ。ここで分かんないのは、この誘拐犯の親父がなんで手間暇かけてこんなビデオ作ってたのかってことなんですがね。

例えば内容が狂ったカルトを叩き込む洗脳ビデオだっていうなら分かるんですよ。狂った動機がそこにあるのならそのビデオは親父の狂った脳髄をトレースするために一から製作しなけりゃなりませんから。しかしジェームスの見せられていたのは世間一般によくある子供向けぬいぐるみドラマとなんら変わらないんですよ。誘拐犯の親父はただきちんと教育したかっただけみたいなんですね。じゃあ既製品見せりゃあいいわけでわざわざ作る必要ないじゃないですか。

真実の世界なんてどうでもいい!

主人公ジェームスが本当の家族のもとに還りやっと普通の生活を取り戻してからも妙な展開が続きます。ジェームスは真実の世界に戻ったにも関わらず、監禁生活の中で心の底から愛しきっていた「ブリグズビー・ベア」が忘れられず、遂には自分自身で「ブリグズビー・ベア」のビデオを作り始めちゃうんです。

これ、考えようによっちゃあ相当倒錯した行為です。何故なら自分を誘拐監禁した犯罪者の作った世界にもう一度戻りたい、真実の世界なんてどうでもいいから自分が監禁されていた頃の夢の世界に浸っていたい、という欲求以外何者でもないからなんですね。しかしそんな倒錯した展開を映画は何一つ衒いなく描き、あまつさえ「それこそが自分らしくあること」のように感動的に盛り上げちゃってるんですよ。

この辺で気付いちゃうのは、この物語において冒頭の「誘拐犯による監禁生活」というのは単なる"方便"でしかないという事なんですね。まず誘拐犯が特に狂人にも極悪人にも描かれない事、誘拐犯の製作したビデオ「ブリグズビー・ベア」が狂ったカルトの洗脳ビデオでもなんでもなく他愛のないオコチャマ向けSFぬいぐるみドラマでしかない事、つまり”犯罪行為”や”犯罪を起こす人間心理”にこの物語が全く興味を持っていない、という事、がその”方便”の理由です。

引きこもりオタク青年の自己正当化

そしてそれは何のための”方便”かというと、「子供の頃たった一つの娯楽だけを愛し続け、世間にも現実にも全く疎いまま育ったが、大人になっても現実も世間も知りたくないし、これからもその娯楽を愛し続けたいので、そんな自分を正当化する理由が欲しい」ということなんですよ。なんのことはない、引きこもりオタク青年の自己正当化を描いたのがこの物語という訳なんですよ。

けれども、だからこの物語は下らない、底が浅い、というつもりはないんですよ。むしろ、ええやんか、どんどんやりゃええ、と思いましたね。というか、ジェームス君は「ブリグズビー・ベア」の新作を製作することで逆に現実世界に受け入れられ、そして自分自身の居場所も築けちゃってるじゃないですか。これぞまさに「好きこそものの上手なれ」だし「三つ子の魂百まで」だし「雀百まで踊り忘れず」ってことですよね。そしてまた、ジェームス君は「ブリグズビー・ベア」のビデオを自らの手で製作することによりやっと自らの過去を昇華することができたとも言えますよね。

とはいえ惜しむらくは「犯罪被害者」という避けようのなかった事件を理由にして「自己正当化」を目論もうとするシナリオはちょっとずるいんじゃない?ってことで、わざわざ誘拐監禁なんて”理由”なんかでっちあげず最初から正々堂々「オレはクマビデオが好きだあああああ好きなんだああああああだから文句あっか?」とやるべきだったんじゃないかと。その辺、「犯罪」という”捻じれ”が”捻じれ”のまま放っておかれている部分にツメの甘さを感じたんですけどね。そんなことより、誘拐犯役の親父、なんか見たことあるなあ、と思ったら、スターウォーズ』シリーズのルーク・スカイウォーカー役、マーク・ハミルじゃないっすか!?マークはんなにやってはんの!?


映画『ブリグズビー・ベア(BrigsbyBear trailer)』予告動画 

 

銀河を駆ける新米チンピラの物語/映画『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』

ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー (監督:ロン・ハワード 2018年アメリカ映画)

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スター・ウォーズ・サーガのスピンオフ・シリーズ、第1弾の『ローグ・ワン』に続いての第2弾は『ハン・ソロ』。『ローグ・ワン』はSWサーガの中でも相当にシリアスな作品として仕上がっていたが、一方この『ハン・ソロ』はタイトル・ロゴが公開された時点で、そのデザインから「あ、今回はもっとユーモアを交えた冒険活劇になるな」と予想していたが、実際観てみると案の定そんな作品だった。

物語はソロの若き日々の冒険を描くところとなる。この辺でストーリーや全体的な雰囲気もだいたい想像がついてくる。SWEP4から登場する「銀河の密輸業を生業とする無法者」ソロ、チンピラくずれだが結構くだけていて変な所で面倒見のいい、憎めない、そして愛すべき男ソロ、彼はなぜそんな男になったのか。彼の過去に何があったのか。同時に、SW正編に登場するソロの愛機ミレニアム・ファルコン号、相棒のチューバッカとの出会いも描かれることになる。ついでにあのランド・カルリジアンの若き日の姿まで登場するというではないか。

「だいたい想像のつく物語」というのは、これが若きチンピラのソロの物語であるのなら「ノワール+冒険活劇+チンピラの成長譚」以外考えらないからだ。物語のノワール部分、犯罪絡みの騙し騙されという裏切りのコンゲーム展開は、シナリオからここだけ取り出しても十分シリアスなノワール・ストーリーに仕上がっていたし、フランス人監督辺りに撮らせたらよりニヒルな物語になったかも、とちょっと想像してしまった。しかしチューバッカやランド・カルリジアンとの絡みが適度なユーモアを持ち込み、シリアス一辺倒ではないヌケの良い物語性を生み出しているのだ。やはりソロの物語はこうでなくちゃいけない。

そしてやはり映画のキモとなる冒険活劇だ。最初のソロの大きなヤマ、列車コンヴェイエクス襲撃作戦から大いに盛り上がる。ここなんかは『ワイルド・スピード』のSF版じゃないか。このシーケンスにおいてソロの仲間、トバイアズ一味の邪魔をするスウープ・ギャングたちの謎めいた外見や命知らずの行動は『マッドマックスFR』すら連想させる。さらにクライマックスとなる惑星ケッセルにおける攻防は、これぞSWといえるような醍醐味に満ちたSFアクションを展開する。

チンピラの成長譚といえばそこには必ず女が絡む。この作品ではソロのかつての恋人で現在なにやらワケアリのキーラという女性がこれに相当することになる。美人なだけではなく戦闘にも長け、主人公と懇意なのにもかかわらずいい所ではぐらかす。そして敵なのか味方なのか分からない。もうこれ峰不二子ですよね~。ある意味ノワール作品の定番的悪女キャラだが、そんなキャラをSWで見られることがまた嬉しい。今までいなかったキャラじゃないのか。このキーラをTVドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』のデナーリス・ターガリエン役、エミリア・クラークが演じているというのが『GOT』ファンとしてなにしろ嬉しい。

しかしキャラ的に気に入ったのはランド・カルリジアンの所有するドロイド、L3-37だ。SW世界にはこれまで様々なドロイドが登場したが、このL3-37、外見こそドロイドなのだが中身はどう考えてもファンキー姐御、おまけに相当アナーキーな行動に出る。フィービー・ウォーラー=ブリッジという女優さんが演じているらしいのだが、こんなドロイドキャラもSW世界では珍しいのではないか。さらにネタバレになるから書けないが、クライマックスで顔を出すある女性キャラも非常に素晴らしかった。こうして見るとこの『ハン・ソロ』、またしても傑出した女性キャラで固められたSW作品に仕上がっていると言えはしないか。

こうして「銀河を駆ける新米チンピラの成長譚」は雄々しく物語られるわけだが、これだけではよくある景気のいいスペースオペラ作品に終わってしまう。しかしその背後には常に帝国軍の影がじわりじわりと沁み出し(そもそも若き日のソロが帝国軍兵士見習いだったという事実自体が皮肉だ)、それがクライマックスにおいて強大な恐怖となって立ちふさがることで、この物語が膨大なSWサーガの中のこれまで語られなかった歴史の一つであることを思い出させてしまう。例えば『ローグ・ワン』がSW史における鮮烈な悲劇の物語として記憶に留められたように、この『ハン・ソロ』は後に大いなる英雄に成長する一人の愛すべきチンピラの小気味良い冒険として、同じく記憶に留められることだろう。

一つだけ、ちょっと画面が暗かったかな?と思ったのだが、同じ意見をまるで見かけないので、これは個人的なものなのかな?これがザック・スナイダー映画の画面の暗さなら全然気にならないオレなんだが、なんだったんだろう。


「ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー」US版特報