日本合衆国vsナチスドイツのロボット大戦!!/『メカ・サムライ・エンパイア』

■メカ・サムライ・エンパイア/ピーター・トライアス

メカ・サムライ・エンパイア 上 (ハヤカワ文庫SF) メカ・サムライ・エンパイア 下 (ハヤカワ文庫SF)

大日本帝国が統治するアメリカ西海岸の「日本合衆国」。両親をテロで失った不二本誠は、巨大ロボット兵器「メカ」のパイロットを志望していたが、そのための士官学校入試で失敗する。だが彼は、思わぬことから民間の警備用メカパイロット訓練生への推薦を受ける。うまくいけば軍パイロットへの道が開く可能性もあるという。厳しい訓練が続くある日、誠は旧友のドイツ人留学生グリゼルダと再会する。しかしアメリ東海岸を支配するドイツと日本合衆国の関係は不安定で、それが彼女との仲にも影を落としていた…。星雲賞受賞作『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』、待望の続篇!

枢軸国家の勝利した世界を描く改変歴史SF

 第二次世界大戦は枢軸国側の勝利で終わり、北アメリカ大陸は日本合衆国とナチスドイツとに分割占拠されていた……という改変歴史世界を舞台に、巨大ロボットとあたかも怪獣の如きバイオメカとが激突する!!というオタク趣味満載の長編SF小説、『メカ・サムライ・エンパイア』(MSE)でございます!!

この物語、作者ピーター・トライアスによる前作『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』(USOJ)の続編的位置にある作品です。しかし世界観は同一でも物語的連続性はあまりないのでこの作品から読んでも全く遜色在りません。むしろ”まとまり”といった点においてこの作品から読んでもいいかもしれません。

前作『USOJ』はP・K・ディックの改変歴史SF小説『高い城の男』のアイディアを元に、作者ピーター・トライアスがジャパニーズ・ポップ・カルチャーの知識を総動員して作られたいわば”オタク小説”的な味わいの強い作品でした。この"オタク的世界観"と”ロボット対決”で形作られた物語は、『MSE』も含め最近話題となったSF映画レディ・プレイヤー1』と『パシフィック・リム:アップライジング』すら彷彿させ、この2作の映画が好きな人にも是非読んでもらいたいですね。

ナチスドイツ対大日本帝国

さて今作は前作から6年後の世界を舞台にしています。北アメリカ大陸大日本帝国ナチスドイツに支配されていますが、この二国間には既に覇権を巡るきな臭い衝突が起こっています。さらにアメリカ開放を目論むレジスタンス・アメリカ国民革命組織がテロを頻発させています。主人公はロボットパイロットに憧れる少年・不二本誠。彼は血反吐を吐くような過酷な訓練を経てA級パイロットへの道を進みますが、ある護衛任務の最中、ナチスの新兵器バイオメカと対峙し、その恐るべき威力に圧倒されてしまうのです。

まず大日本帝国軍国主義ぶりが大いに掲揚され、主人公はこの大日本帝国天皇陛下に忠誠を誓う一兵士として描かれるのですが、この部分で既に大いにグロテスクなんですね。さらにこの世界におけるナチスはさらなるディストピア国家を生み出しています。そして大日本帝国を善、ナチスを悪として描かれる二国間の戦いというのが非常に異様なんですよ。しかし逆にこの二国を現実のアメリカと他国に置き換えても、派遣国家同士の紛争といった視点は変わらない訳で、この辺のフィクショナルな移相の在り方はとてもアイロニカルなものを孕んでいるような気がしますね。

巨大ロボット対巨大怪獣!

さて今作ではロボットパイロットに憧れる少年の成長譚として成立しているのですが、これはロボットアクション・テーマの作品として非常に正鵠を射るものだと言えるでしょう。なぜならロボットというのは少年にとっての大人の肉体というもののメタファーと言えるからです。ロボットの強大な機体は少年にとって成長し大人になった自身の肉体の写し絵なのです。幾多のロボット作品が少年が主人公となるのはその為です。前作がメタボ中年が主人公で、なおかつそれほどロボットが活躍しなかったことを考えると、今作の設定はロボットアクション・テーマを生き生きと描くための正攻法的手段だと言えるんですよ。

この物語には様々なロボットが登場しますが、中盤で活躍する蟹型ロボットは『攻殻機動隊』に登場する"多脚戦車"を彷彿させますし、後半登場する巨大ロボットは剣や薙刀や電磁ヨーヨーまで備え、様々なロボットアニメを想像させてくれて楽しいんですね。全視界型のコクピットなんざ新世紀エヴァンゲリオンじゃないですか!

これに対するナチスの秘密兵器バイオメカは、金属骨格の上に有機体の鱗を持ち、これにより外見が【怪獣】状態なんですね。即ちこの『MSE』、ビジュアル的には巨大ロボット対巨大怪獣の戦いを成立させたものだと言えるのですよ!これがワクワクしないわけないじゃないですか!?これはもう作者ピーター・トライアスのプレゼントともいうべきとてつもないサービスだと思えませんか!?

質の高いエンターテインメント作品

さらにこの作品では日本人とドイツ人のハーフ少女、グリゼルダの存在が物語に大きな膨らみを持たせることに成功しています。 グリゼルダはドイツ人交換留学生であり、主人公・誠の友人であり、彼が密かに恋心を抱く少女です。大日本帝国ナチスドイツとの関係悪化と共に、グリゼルダのアイデンティティは両方の国家間に引き裂かれてしまうのと同時に、皇国日本に忠誠を誓う誠の心もまた引き裂かれてゆきます。この部分で『MSE』を単純な戦争ドラマに貶めない複雑さを醸し出すことに成功しているんですね。

少年の成長譚とロボット対怪獣(バイオメカ)の戦いを迫力たっぷりに描き、改変世界のグロテスクさとオタクカルチャーに肉薄したこの『MSE』は、ロボットアクションドラマとして非常にストレートな面白さに満ちており、改変世界の在り方自体をメインとして描かれた前作よりもより高いエンターテインメント作品として結実していることは間違いないでしょう。これは作者ピーター・トライアスの十分な成長を伺わせるものでもあります。話では既に続編の構想もあるようですが、非常に優れた世界観を持つ作品ですから、続編が出たら是非また読んでみたいですね。

※追記

このレヴューをツイッターで呟いたら作者本人からお礼のツイートを頂いたよ!

メカ・サムライ・エンパイア 上 (ハヤカワ文庫SF)

メカ・サムライ・エンパイア 上 (ハヤカワ文庫SF)

 
ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)

ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)

 
ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 下 (ハヤカワ文庫SF)

ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 下 (ハヤカワ文庫SF)

 
ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 
高い城の男 (ハヤカワ文庫 SF 568)

高い城の男 (ハヤカワ文庫 SF 568)

 

最近聴いたエレクトロニック・ミュージックその他

■Deetron: DJ Kicks / Deetron

DJ-KICKS [帯・ボーナストラックDLコード付き国内仕様盤]

人気DJ MixシリーズDJ-Kicks、今年3月にリリースされた新作のDJはスイス出身のテクノDJ、Deetron。全30曲80分余りに渡って繰り広げられる硬質なテクノ・チューンの展開はまさに極上。さらにそこにデトロイト・テクノ、シカゴ・ハウスのエッセンスがふんだんに散りばめられ、Deetronのテクノ愛が華麗に花開く傑作DJ Mixだ。デジタル配信版では全ての曲の全長版が収録され、そしてその個々の作品のクオリティーもまた高い。この全長版30曲とMix1曲の合計は5時間半にも及び、ボリュームも満点。アルバム1枚の価格で相当長く楽しめる作品となっている。今回の強力お勧め盤。 《試聴》

DJ-KICKS [帯・ボーナストラックDLコード付き国内仕様盤]

DJ-KICKS [帯・ボーナストラックDLコード付き国内仕様盤]

 
■CCCL: Chris Carter's Chemistry Lessons Volume 1 / Chris Carter
CHEMISTRY LESSONS 1

CHEMISTRY LESSONS 1

 

伝説のインダストリアル・エレクトロニック・バンド、スロッビング・グリッスルの元メンバー、Chris Carterのニューアルバム。3分前後の曲が25曲収録されたエレクトロニック・スケッチ集とも言うべき作品で、様々な音の揺らぎを少しずつ楽しめる傑作アルバム。 《試聴》

Moodymann: DJ Kicks / Moodymann
DJ-KICKS [輸入盤CD] [!K7327CD]

DJ-KICKS [輸入盤CD] [!K7327CD]

 

DJ-Kicksの2016年リリース作品はデトロイト・テクノ/ディープハウスの鬼才Moodymann。全30曲にのぼるひたすらスモーキーでジャジーなヒップホップビートのMixは匠の技とも言える素晴らしさ。 《試聴》

■fabric 97: Tale Of Us
Fabric 97: Tale of Us

Fabric 97: Tale of Us

 

こちらもDJ Mixシリーズの老舗Fabricの97番、今回DJを務めるのはイタリアのテックハウス/ミニマルハウスのデュオTALE OF US。 《試聴》

 ■2814 / 2814
2814

2814

 

 謎のオリエンタル・アンビエント・ユニット「2814」が2014年にリリースしたアルバムのリイシュー。 美しく気だるい。 《試聴》

■Balance 029 / James Zabiela/Various
Balance 029

Balance 029

 

こちらも人気DJ MixシリーズBalanceの29番。担当はUKプログレッシブハウス~テックハウスの貴公子JAMES ZABIELA。メランコリックなCD1とフロア向けにアッパーなCD2の構成。 《試聴》

■Long Trax 2 / Will Long

日本を拠点に活躍するプロデューサーWill Longの6曲入りアンビエント・シングル。優しく柔らかく仄かな明るさに満ちた作品が並ぶ。 《試聴》

■Serenade / Einmusik
Serenade

Serenade

 

ドイツを拠点に活動するプロデューサーEinmusikによる二枚組アルバム。テック/ミニマル・ハウス。 《試聴》

 ■The Epic / Kamasi Washington
The Epic [帯解説 / 国内仕様輸入盤 / 3CD] (BRFD050)

The Epic [帯解説 / 国内仕様輸入盤 / 3CD] (BRFD050)

 

以前ブログ記事で書いた「ブラック・ジャズ」系の音が相当に気に入り、この流れのスピリチャル系のジャズはないかいな、と探して見つけたのがこのKamasi Washingtonによるアルバム『The Epic』、2015年リリース作。実の所スピリチャルではなくクラブ・ジャズ系の音なのだが、ドラマチックで重厚なコーラスとホーンの響きはこれまで経験したことが無かったジャズ・サウンドで、これには大いに驚愕させられた。しかもこのアルバム、なんとCD3枚組という超絶ボリュームに関わらず、ダレる所も飽きる所も微塵も存在せず、怒涛のように3時間余りの演奏を聴かせきるのだから凄い。まさにアルバムタイトル"The Epic"の名にし負う大傑作アルバムだろう。 Kamasi Washingtonはこの7月に2枚組のニューアルバムをリリースするのでこちらも楽しみだ。 《試聴》

■Live E.P. / The Fear Ratio

変態的で知られる(?)マンチェスターの老舗レーベルSkamからリリースされたThe Fear Ratioによるニュー・シングル。複雑怪奇なビートが鳴り響くアバンギャルド作。 《試聴》

 

GWもカピバラ三昧 (市原ぞうの国+さゆりワールド)

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今年のGWはだいたいグウタラしまくってましたが、5月4日の”みどりの日”には相方さんと一緒に千葉にある「市原ぞうの国」+「さゆりワールド」に行ってきました。

この二つの施設は同じ経営だし殆ど近くにあるんですが、それぞれにコンセプトが違うので分けられているんですね。「ぞう」は動物園で、「ワールド」は開放飼育って所でしょうか。しかしまあ「市原ぞうの国」に行ったら同時に「さゆりワールド」にも入っちゃいますよねえ。料金は別々に取られるんですが。

この「ぞうの国+さゆりワールド」には4年前も行っていて大変気に入っていたので、今回また行こうか、ということになったんですね。その時の記事はこちらです。

この日はリムジンバスで出掛けたのですが、なにしろ連休中なもんですから道が混んじゃって、結局「ぞうの国」到着は予定よりも1時間押しの1時半過ぎになってしまいました。帰りのバスに乗るには4時半頃に出なきゃならないんで、二つの施設を観るのは正味3時間程度……う~んなんだか短すぎるしコスパも悪いよなあ。

というわけで駆け足で「ぞうの国」です!もう他の動物を見ている暇なんかありません!なにはなくともカピバラ!そしていました!

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入り口すぐの池の外れに寝ているカピ。「よし!いつも通り寝ている!」とりあえず確認したオレと相方さんはカピと触れ合いのできる区画に向かいます。

ところがこの「ふれあい広場」、前回行った時と違い有料な上に時間制になってるんですね。これが10分300円。有料のふれあい広場を持つ動物園は他にもありますが10分って短すぎない?これ、来客数が多過ぎて動物のストレスになっているからのようなんですが、ちょっと欲求不満を感じちゃいます。

そんなことを言いつつ「ふれあい広場」へ。おお、いたぞいたぞ。でもお尻向けられている……。

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「こっち来なさいよー」というオレと相方さんのテレパシーでやっとこちらにやってくるカピたち。

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なんもそんな繋がんなくとも!

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お昼過ぎなんで眠そうです。

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眠いくせに相方さんに餌付けされるカピ。

しかし10分なんかあっという間に経ってしまい、なにしろ時間も無いということで他の動物を見る暇もなくあたふたと「さゆりワールド」に向かいます。

しかしこの「さゆりワールド」に着いてみるとまたもや前回とシステムが違う。窓口で整理券のようなものを渡され、呼び出しがあってやっと入園できるという。これも混雑緩和と開放飼育の動物たちのストレス緩和ということなんですね。入園制限であって時間制ということではないらしい。動物たちの健康が第一ですからこれは仕方ありませんが、ただでさえ少ない時間がさらに少なくなってなってきた……。

結局20分ほど待たされて入園です。そして入ると、いましたよー。

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ぴったり団子になったカピバラ三連星!

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飼い葉桶に寝転がり食欲と睡眠欲の両方を満たす欲張りカピ!

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「日向ぼっこしてんだから邪魔しないでよー」

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「寝せなさいよー」

他の動物もいます。

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ホントは「さゆりワールド」の主役はキリンなんですが、写真撮りそこなったなー。

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眠いくせにご飯だけはしっかり貰おうとするカピ!

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撫でられて気持ちよくなりドテンと横になったのはいいけれどご飯を食べる事だけは絶対忘れないカピ!

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夕方が近づくとみんなすこし活発になってきました。

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「あれなんだろねー」

「なんだろねー」

「食べられるのかなー」

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もうすっかり動物三昧です!

とはいえ帰りの時間が近づいてきて、後ろ髪を引かれる思いで「さゆりワールド」を後にしたオレと相方さんでした。いやーホント今回は不完全燃焼感が強いなー。

そうして乗った帰りのバスも渋滞で、通常1時間半ぐらいの行程を3時間半近く乗ってたでしょうか。いやあくたびれた……。やっぱりGWで車の移動はNGだなあ、としみじみ思いましたよ。だいたい今回はお昼ご飯食べてる暇もなかったよ!

というわけで帰りついた後はビールビールビール!

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とまあそんな今回のカピバラ紀行でありました!

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「ぬーん」

(おしまい)

いつか中指を立てる日/映画『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル 』

アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル(監督:クレイグ・ガレスピー 2017年アメリカ映画)

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トーニャ・ハーディング・スキャンダル

フィギュアスケート選手、トーニャ・ハーディングのことはリアルタイムで覚えている。

それは1994年、ライバル選手の襲撃に加担した事件と、リルハンメルオリンピック出場時における一騒動の件だ。その一騒動とは演技失敗の直後、これは靴紐のせいだと審判員たちに涙ながらに訴え、演技をやり直させてほしいと訴えたことだ。当時は「ライバル襲撃をするようなビッチのわざとらしい嘘泣きと図々しい再演技要請」という形でマスコミやバラエティの物笑いの種となっていた。TVを見ていたオレも「ガツガツしてこすからい女」と一緒になって嘲笑した。

その後襲撃事件の判決によりフィギュアスケートの道を絶たれたトーニャはプロレス出場を噂されたりプロボクサーに転身するなどしたが、「ダーティーイメージのビッチが堕ちる先のイメージそのまんま」とやはりオレは嘲笑していた。

だからそんなトーニャ・ハーディングのスキャンダル事件が映画化されると知った時は「クソビッチのトーニャが釘バットぶん回しながらクソスキャンダルに突入してゆく様を面白おかしく描いたキワモノ映画」程度のものだと思ってたし、同時に「なんで今更あんなすっかり忘れられたような昔の人を」とも思った。とはいえ、ポスターで見るトーニャ役のマーゴット・ロビーのふてぶてしい面構えはどこか黒々としたワルの魅力に溢れており、それに惹かれて映画を観ようと思ったのだ。

しかし映画が始まってすぐ、オレは自分がすっかり間違っていたことに気付かされた。これはクソビッチのクソスキャンダルを面白おかしく描いた作品なんかでは決してない。そんな作品では全然なかったのだ。

貧困と無知と虐待とDV

物語はトーニャを始めとする家族や当時の関係者のインタビューの形で描かれることになる。そこで明らかになってゆくのは、幼い頃から抜群のスケートの腕を持つトーニャ、そのトーニャを虐待に近い形でしごかせる愛情薄い母親、そんな二人のホワイトトラッシュとも呼ぶべき貧困生活、冷酷な母から逃れる形で始めた結婚生活、しかしその夫の度重なる家庭内暴力、といったものだ。

そんな最低の生活の中、トーニャは自らにできるたったひとつのこと、フィギュアスケートで最高の栄冠を勝ち取る事だけを心の寄る辺として生きてゆくのだ。しかし、彼女を取り巻くクズどもの、貧困と、そこから生まれる無知と、無知が生み出すアンモラルと、アンモラル故の暴力性が、栄冠間近のトーニャを地の奥深くへと引きずり込んでゆくのである。

ホワイトトラッシュに生まれ、そこから這い上がろうとしながらも、貧困ゆえに蒙昧な有象無象に引き摺り降ろされるという地獄。どんなに才能があろうと努力を重ねようと、貧困という名の魑魅魍魎は、どこまでも彼女を離さない。出てくる男は全員救いようのない馬鹿揃いでこれには戦慄させられる。ただ一人の肉親である母は毒親で、利己的で、愛情の欠片すらない。

その結果が「ナンシー・ケリガン襲撃事件」であり、「もう後がない」状態で出場したリルハンメルオリンピックにおけるやむにやまれぬ醜態だった。

すなわちこの物語は、フィギュアスケートだけを頼りに、貧困と無知と虐待とDVに塗れた人生から逃れようとしつつ、決して果たせなかった女性の絶望の物語じゃないか。「じゃあどうしたら」と言ったところで答えなんかどこにも無い。この物語には【愛】すら無い。どこまでも切なく、遣り切れない。この遣り場の無さにオレは映画『スリー・ビルボード』並みの重い衝撃を感じた。打ちのめされる思いだった。

いつか中指を立てる日

と同時にこの映画は、当時のトーニャを巡る騒動に加担しそれを煽ったマスコミと、訳も知らずに彼女を断罪し嘲笑した一般大衆へも一石を投じている。この作品は物語内で演者が観客に直接語り掛けるいわゆる「第4の壁を破る」形式を時折取るが、この中で主人公トーニャが観客になぜあのように自分を嘲笑したのかを問い掛けて来る場面があるのだ。当時マスコミの流す言説のままに彼女を笑っていたオレはこの時痛切に自分を恥じた。なんとなればオレも加害者の一人だったのだ。

トーニャ・ハーディングは溢れる才能と技術がありながらなぜ評価されなかったのか。競技審査員に嫌われたのか。それは芸術性が低かったからだ。確かにYouTubeで観た彼女の演技は技術こそ確かだったのだろうが無骨極まりないものだった。でも、オレには分かる。貧乏人に、ゲージツになんて、関わってる余裕なんかないんだよ。贅沢品なんだよ。貧乏人は、ガツガツしなきゃ生きていけないんだよ。気を抜いたら、現実に捻り殺されるんだよ。

ポスターの中に立つマーゴット・ロビーのふてぶてしい面構え。それは、このどうしようもなくクズで、決して変えようもない現実への敵意と怨嗟がない交ぜになった表情だったのだろう。そして彼女は戦い、叩き潰される。「アメリカン・ドリーム」という名の耳障りだけはやたらいい虚妄に。この救いの無い物語の教訓はいったいどこにあるんだろう?例え自らの血反吐の海に沈みながらも、「ふざけんじゃねえこのクソタコ!」と中指立てる事だろうか。それは最後のなけなしの意地なのかもしれないけれども、オレもこの現実との負け戦に敗れる時は、そのぐらいのことはしてもいい、と思った。


女子フィギュア史上最もスキャンダラスな事件『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』予告編

氷の炎―トーニャ・ハーディング

氷の炎―トーニャ・ハーディング

  • 作者: アビーヘイト,J.E.ヴェイダー,オレゴニアン新聞社スタッフ,Abby Haight,J.E. Vader,The Staff of The Oregonian,早川麻百合
  • 出版社/メーカー: 近代文芸社
  • 発売日: 1994/04/01
  • メディア: 単行本
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酒映画ベストワンは『地球に落ちてきた男』

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《お酒映画ベストテン》……ではあるが

ブログ『男の魂に火をつけろ!』 の映画ベストテン企画、今回は《お酒映画ベストテン》とのこと。締め切りも間近なので急いで参加させていただきたいと思います。

とはいえ……オレにとって『酒映画』といえばもうこれしかありません。この一作の一点買いでお願いいたします。

1位:地球に落ちてきた男 監督:ニコラス・ローグ 1976年 イギリス映画 酒の種類:ジン

デヴィッド・ボウイ主演のこの作品はオレにとって相当思い入れの深い作品で、かつて『SF映画ベストテン』を選出した時にも第1位にしたほどでした。

ではこの作品がどのように『酒映画』なのかボチボチ紹介してみましょう。

『地球に落ちてきた男』の物語

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ウォルター・テヴィスの同名小説を『赤い影』(1973)のニコラス・ローグが映画化したものが本作となる。
ニューメキシコ。ある日そこに一機の宇宙船が落下する。降り立ったのは人間の姿をした痩せ細った一人の男。男はトーマス・ジェロームニュートンと名乗り、幾つもの高度に進んだ科学的特許を取ることで巨万の富を得る。

実は異星人ニュートンにはある目的があった。彼の故郷の惑星は大旱魃に襲われ水が枯渇していた。ニュートンは水の惑星・地球に訪れここで水を確保した後、莫大な資産で宇宙船を建造し故郷の星に持ち帰ろうとしていたのだ。

しかし彼の存在を怪しんだ政府は彼を監禁し、正体を知るために人体実験を開始する。監禁された部屋の中、孤独と故郷の星に帰れない悲しみから、次第に酒に溺れるようになってゆくニュートン。そんなある日、彼は故郷の星が滅亡した事を知る。 

映画としての『地球に落ちてきた男』 

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この作品はオレのブログで何度か取りあげているので、その時書いたレヴューをここに抜粋しておきます。 

"15歳の時に観て、観終わった後まだ夢を見ているような気分になっているような映画だった。映画館を出た後の現実の光景の白々した光が逆に非現実的だった。

この映画は、「自分の居場所はここではなく、どこか他の場所にあるのかもしれない」ということ、そして「でもだからといって、そこにはもう帰れないのかもしれない、自分は、場違いな場所で生き続けるしかないのかもしれない」というテーマを描いていた。

「愛してくれている人は本当は君の事なんて何も理解してなくて、そして、本当に愛していた人達は、もうとっくに死んでしまっているのかもしれない」、そして、「つまり、君は一人ぼっちで、孤独で、理解不能な有象無象の中で、一人で生きなくちゃならない」という《孤独》についての物語であり、「音楽を作ってみた。死んでしまったかもしれない家族が、ひょっとして聞いてくれるかもしれないから」という、《表現とは何か》という物語であり、ラスト、「ニュートンさん、飲みすぎですよ」のコメントで終わるこの映画は、《飲酒》についての映画でもあるのだった。

孤独についてこんなに鮮やかに描いた映画を他に知らない。そしてこの頃のボウイは性別を超越した恐るべき美しさを湛えている。とても静かな映画で、観る人を選ぶ映画でもあるが、ボウイの美しさを堪能したいなら一度は鑑賞すべき。また、当初ボウイの主演映画はSF作家ロバート・A・ハインラインの『異星の客』が原作になる筈であった。この小説の主人公もこの当時の異星人としか思えないようなボウイの雰囲気に奇妙にダブっており、ボウイを知る上でのサブテキストとして面白い。"

"酒映画"としての『地球に落ちてきた男』

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これも以前書いた記事からの抜粋です。

村上春樹の小説『風の歌を聴け』の中で、ポール・ニューマン主演で映画化もされたテネシー・ウィリアムズの『熱いトタン屋根の猫』という戯曲の一節が言及されていたのを覚えている。そこで言われていたことは、酒は、ある程度飲むと、頭の中で「カチッ」と音がする、のだという。スイッチの切り替わる音なのだろうと思う。その時、やっと人間らしい気分になるということなのだろう。

社会で生きていく以上、人は何がしかの役割を演じなくてはならない。それは常識的社会人であったり、有能な会社人であったり、よき家庭人であったり、あるいはどこにでもいる学生であったりするのだろう。あるいは決して突出しない中庸さや物分りのよさ、人当たりのいい柔和さなどを兼ね備えた人間であろうとしてしまう。

それはしかし漸うとして見えない社会の要求する「自分」ではあっても、本来持ち合わせている「自分」とはどこかに「ずれ」がある場合が多いのではないか。人はその「ずれ」から立ち戻る為に酒を飲むのではないか。要するに、そんなに真人間の振りばかりしてたら、疲れちまう、って事だよ。

はたまたあるいは、こちらのほうがこの作品のテーマに沿っているのだが、空虚さ、孤独さを埋める為に、あたかも鎮痛剤を服用するように酒を飲むこともあるだろう。生というそれ自体が「死に至る病」であるものから痛みを取り除く為に。

かつてアル中だったスティーヴン・キングは、自身の小説の中でも酒に溺れた人間たちをよく登場させていたが、特に凄い描写だったのは長編『トミーノッカーズ』の中のエピソードだ。主要人物の一人はかつてアル中だったのだが、この男が酒により破滅寸前まで追い詰められた過去の記憶が、本編と全く関係なく50ページあまりも執拗に描かれるのである。その長さと描写の克明さは、登場人物の性格の肉付けをするためというにはあまりにも異常だ。この一章には作者キングのアルコールというもの、そして酒を飲む、という行為への苦さと破滅的な憧憬が詰りまくっていた。アル中小説として読んでも白眉であると思う。

酒を飲む、という事は、ちょっとづつ死んで行く事なのだ。飲酒癖と自殺願望を結び付けて語られる事は多いけれど、逆に見れば、自分の現実をその都度リセットしたい、という人間的な願望なんじゃないのか。どっちにしろ、「自分であること」に強い希求心を持ってる人のほうが酒好きなような気がするな。ただオレは、「酒は物事を解決しない。酒は物事を先送りさせるだけだ」という一言が、酒のある面を説明しているのも確かだと思う。”


The Man Who Fell to Earth, 40th anniversary edition – yours to own October 24th 

地球に落ちて来た男<デラックス・エディション>(完全生産限定盤)

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David Bowie: The Man Who Fell to Earth

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地球に落ちて来た男

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異星の客 (創元SF文庫)

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風の歌を聴け (講談社文庫)

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