俺とお前は双子の兄弟!? / 映画『Judwaa 2』

■Judwaa 2 (監督:ダヴィド・ダワン 2017年インド映画)

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死んだと思っていた双子の兄は生きていた!?そこから始まるハチャメチャな大騒動を描いたコメディ映画『Judwaa 2』であります。主演はヴァルン・ダワン、ジャクリーン・フェルナンデス、タープスィー・パンヌー。監督はヴァルン・ダワンのお父様ダヴィド・ダワン。この親子で『Main Tera Hero』という作品もありましたな。ちなみに1作目『Judwaa』(1997)はサルマーン・カーン主演で同監督により製作されておりますが、こちらのほうは未見です。

《物語》ムンバイに住むランジーヴ・マルホトラは双子の息子を授かるが、病院にやってきた悪党に息子の一人を誘拐され、警察との捕り物の最中その幼子は死んだものとみなされてしまう。その後マルホトラ家はロンドンに移り住み、残された双子の弟であるプレーム(ヴァルン・ダワン)は大学生にまで成長していた。一方、死んだと思われていた双子の兄は実は生きており、ラージャー(ヴァルン・ダワン:二役)と名付けられたその青年はムンバイでやんちゃ三昧で生活していた。しかしラージャーは地元のギャングとイザコザを起こし、ロンドンに旅立つことになる。さて、ロンドンですれ違い続ける双子二人は、あちこちでおかしな目に遭うことになるのだが!?

はい。インド映画お得意の【一人二役ストーリー】です。インド映画では同じ顔をした二人の人物が登場してしっちゃかめっちゃかになってしまう、あるいは巧妙な犯罪を繰り広げる、という物語があまりにも多く、これだけで【ダブルロール(一人二役)・ジャンル】とでも名付けてしまいたくなるほどですが、お手軽な手法とはいえこれが結構傑作が多いんですね。今回も「またかよ!?」と思いつつ、大いに楽しませてもらいました。

今回ヴァルン・ダワンが一人二役を演じるラージャーとプレームはお約束のように一方がやんちゃな一般庶民、一方がお金持ちのお坊ちゃま、ということになっていて、それだけならよくある設定なんですね。しかし今作では二人にある特殊能力が存在することになっていて、それが物語のハチャメチャ度を高めています。それは、時々二人の行動がシンクロしてしまうことなんですね!例えばラージャが目の前のチンピラを殴りつけると、違う場所にいるプレームもなんだか分からず目の前の人を殴りつけてしまう!?ラージャが可愛い子にキスするとプレームも自動的に目の前にいるオバサマにチューしてしまう!?これでは大騒動にならない訳がありません!

双子に不思議なシンクロニシティがあることはよく言われる事ですが、この物語では行動までがシンクロナイズドしてしまうんです。いくらなんでも全ての行動がなにもかもシンクロしてしまったらまともな生活なんか送れませんが、この物語ではここぞというアクションだけがシンクロしてしまうもんだから都合よすぎ!しかし、だからこそ面白い物語になっているから全然許す!(この辺の"ある時だけシンクロ"は映画で理由付けられていたものを、自分は字幕を見落として分かってないだけなのかもしれません)

ラージャーとプレームはお互いの双子の兄弟が同じ町にいるとは知りませんから、お互いの行動が、彼らを同一人物だと思っている第三者にとって毎回ちぐはぐになってしまい、ここでまた大騒動が巻き起こります。ラージャーにはアリシュカ(ジャクリーン・フェルナンデス)という恋人が、プレームにはサマーラ(タープスィー・パンヌー)という恋人ができるのですが、その時々で態度の違う恋人に怒り心頭、交際の危機にまで発展してしまいます!今作のジャクリーン・フェルナンデスはいつものようにゴージャスで大いに目の保養になりました。一方タープスィー・パンヌーは『Baby』(2015)、『Pink』(2016)、『Naam Shabana』(2017)とオレはシリアス作品ばかり観ていたので、コメディでの演技が新鮮でした。

脇を固めるアヌパム・ケールの演技は安定の楽しさでしたが、あのジャガイモ顔のコメディ俳優、ジョニー・リーヴァルの出演はとても嬉しかったですね。さらに、とんでもないカメオ出演もあるのでお楽しみに。作品では様々なインド映画オマージュが散りばめられており、全部が分かったわけではないんですけれども、個人的には『銃弾の饗宴-ラームとリーラ-』や今話題沸騰の『バーフバリ』ネタが飛び出した時には結構盛り上がりましたよ。

 

『バーフバリ』のアヌシュカ・シェッティ主演による幽霊屋敷ホラー映画『バーガマティ』!

バーガマティ(Bhaagamathie) (監督:G・アショック 2018年インド映画)

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幽霊屋敷に閉じ込められた女性があんな怖い目やこんな怖い目に遭っちゃう!?というインド/テルグ語のホラー映画です。この映画の最も注目すべき点は今全宇宙で話題沸騰中の映画、『バーフバリ』でデーヴァセーナを演じたアヌシュカ・シェッティが主演しているという事でしょう!バーフバリ!バーフバリ!(違う)

物語の主人公となる女性の名はチャンチャラ(アヌシュカ・シェッティ)。恋人殺しの容疑で服役中の彼女はある事情により古びた屋敷に幽閉されます。かつて彼女は大臣秘書をしていましたが、捜査局がこの大臣を失脚させる情報を彼女から引き出す為、秘密裏に人里離れた場所の古屋敷に閉じ込めたのです。しかしこの屋敷は亡霊が徘徊すると噂されている屋敷でもありました。

とまあそんな訳で、朽ちかけた屋敷の中で主人公チャンチャラや警官たちが夜毎恐ろしい怪異と遭遇し続けます。どうやらこの怪異の元凶となるのは、かつてこの屋敷に暮らしていた王妃バーガマティの呪いだった……というのが今作。

なにしろ「幽霊屋敷」モノですから、蜘蛛の巣だらけで埃だらけで多分黴臭くてどこもかしこも薄暗くて、古い時代を感じさせる内装や調度がひたすら重苦しく威圧的で、かつてここに暮らしていたと思われる人間たちの不気味な肖像画があちこちに飾ってあって、なにしろ古屋敷だから扉も廊下もギーギーギーギーと神経逆なでする音を立てて、そんな場所に夜ともなると多分生暖かいと思われる風が吹き込み屋敷全体をさらに軋ませる、という、文章書いているだけでも鬱陶しくなってくる古屋敷に、さらに得体の知れない黒い影が蠢き主人公らを脅かすという訳なんですよ!

その怖がらせ方はというと「チラ見しかさせない謎の存在!」「耳障りな効果音と鳴り響きまくるコワイ音楽!」そして「突然出現して"ワッ!"と吃驚させる何か!」というまあひたすら単純というか古典的というかある意味芸の無い怖がらせ方であるのも確かで、遊園地のお化け屋敷ならまだしもホラー映画を山ほど観ているようなホラー映画通を満足させるような作品では残念ながらないのも確かなんですね。逆に残虐シーンや肉体破壊は殆ど無いし血の量も控え目なのでホラー映画が苦手な人なら安心して観られるという事もできます。

ちょっと思ったのはこの作品、ラジニカーント主演による『チャンドラムキ〜踊る!アメリカ帰りのゴーストバスター』(2005)とよく似ているなあ、ということでしょうかね。『チャンドラムキ』はヴィディヤー・バーラン、アクシャイ・クマール主演のヒンディー映画『Bhool Bhulaiyaa』(2007)でリメイクされており、実の所『チャンドラムキ』自体もマラヤラム映画のリメイク作なんですが、幽霊屋敷が舞台で、この屋敷にいわくのある女の亡霊が出て、さらにその女の亡霊が取り付いちゃう、そして精神分析医が出てきて「いやこれは精神病ですよ!」と言い放っちゃう所も一緒だったなあ。

お話自体も尋問の為にわざわざ古屋敷に幽閉するっていうのがどうも不自然に感じて、英語字幕をきちんと追えて無かったこともあって最初は「一体全体何やってるの?」と思えてしまいました。それと、『チャンドラムキ』ややはり同工の幽霊屋敷モノであるタミル語ホラー映画『Pizza』(2012)が、怪異の続く物語に合理的な理由付けをしていたように、この作品でもやはり合理的な理由付けをしていて、この辺のホラーに対するスタンスって意外とインド映画ならではかなあ、とちょっと思いましたね。欧米ホラーってスーパーナチュラルはあくまでスーパーナチュラルで描きますからね。その辺がちょっと面白かったですね。


Bhaagamathie Movie Latest Trailer | Anushka | Unni Mukundan | Thaman S | Ashok G | indiontvnews


髙山龍智 著『反骨のブッダ』を読んだ

■反骨のブッダ――インドによみがえる本来の仏教・日本人が知らなかった仏教の真髄 / 髙山龍智

反骨のブッダ――インドによみがえる本来の仏教・日本人が知らなかった仏教の真髄

オレは全くの無宗教であり、これからも信仰を持つ予定は全くないにもかかわらず、「宗教」それ自体には興味がある。世には仏教・キリスト教イスラム教・ヒンドゥー教他沢山の宗教があるが、世界何10億という多くの、大多数の人々はそれらのどれかを信仰し、生きる糧にしてしており、「世界」や「人間」を考える上で、決して無視することはできないものだと思うからだ。インド映画を観始めた時もまず、「インドの人々の信じるヒンドゥー教というものはいったいどういうものなのだろう?」という部分からとっかかりを得ようと思い、それらの本を幾つか読んだぐらいだ。

この『反骨のブッダ』の著者、髙山龍智さんの名前はツイッターで知った。高山さんは現代インド仏教僧でいらっしゃるが、仏教について、あるいは日常のことについて、いつも豪放磊落かつ諧謔溢れる口調でツイートされており、多くの人気を集めている。インド映画もお好きらしく、なんと最近は現在話題沸騰中のインド映画『バーフバリ』のことばかり呟かれている程だ。きさくで親しみやすく、明るくて楽しい方だ。そして同時にロックンロールな方でもある。ロックンロール的な気風の良さ、粋で鯔背な風通しの良い気概が高山さんにはある。そしてこれら全ては、現代的な宗教者として多くの人に受け入れられる優れた資質を持つ者であることの表れでもある。

実はこんな高山さんを知る前に、オレはツイッターで「アンベードカル博士の言葉_bot」をフォローしていた。ビームラーオ・アンベードカル氏(1891-1956)はインドの最底辺カーストに生まれながらも高い教育を受け、インド独立時に憲法草案作成に参加し「インド憲法の父」とまで呼ばれた人だ。終生カースト制度を徹底糾弾しその廃止を訴え、人々の平等を願った人でもある。後に仏教に改宗しインドにおける仏教復興運動を始めもした。「アンベードカル博士の言葉_bot」は、博士のアグレッシブな言葉で満ちており、インドや仏教を考える上で非常に参考になった。そして後で知ったのだが、このbotの監修を務めたのが高山さんだったのだ。

著書『反骨のブッダ』は、アンベードカル博士の仏教復興運動により再興されたインド仏教を基本にしながら、日本で誤って解釈されている仏法の意味を正し、本来の仏教の神髄をつたえようとするものだ。日本で一般的に仏教として認識されているのは6世紀から16世紀の間に中国から輸入され日本的な解釈を加味したものにすぎない。そして玄奘がインドからもたらし成立したその中国仏教ですら原典の意訳や曲解が少なくないという。高山さんはこれをパーリ語サンスクリット語原典から改めて見直し、本来の仏典の意味を求めようとする。とはいえこの著作は論文ではないので、仏教の基本となる教えを分かりやすく説明するのだ。

ここで説明されるキーワードは「無常」「苦」「無我」「僧宝」「慈悲」といった言葉である。これらを高山さんはこう説明する。

 「無常」なげくことではない。変わらない安定より変化することに希望を見いだすこと
「苦」ただ耐えることではない。一部の「楽」のために強いられる大勢の「苦」をなくすこと
「無我」無私、滅私ではない。他ではなく自分に帰依して自由になること
「僧宝」出家者ではない。手を携え互いに尊重し合う、共同体のこと
「慈悲」情けをかけることではない。友愛によって自ら救済されること

これらの説明はオレにとって相当に目から鱗だった。特に「無常」や「苦」といった言葉、さらに「56億7千万年後に衆生を救う弥勒菩薩」の説話から、オレは仏教を諦観についての宗教だとばかり思っていたものだから、この誤解を一刀両断で断ち切っただけでもこの著作は拝読に値した。

しかし、「仏教原典から仏教本来の教義を読み解く」だけなら昨今見かける原始仏教再評価と変わらないものとなってしまう。そうではなく高山さんは、「仏教が生まれなければならなかった当時の時代の人々の苦悩」を推し量り、それを現代に当てはめることで普遍性のある仏典の在り方を指し示そうとする。これは即ち低カーストの人々を救おうとしたアンベードカル博士の方法論であると思う。さらに高山さんはそれが今現在の日本にどうあてはまるのかを模索しようとする。

ひとつだけ思ったのは、人間性全てを否定されるカースト制度を覆す為に生まれた古代仏教から派生し、今なおインドに残るカースト制度を否定すべく興された現代インド仏教が、今の日本社会と日本人にどういった形で受け入れられるべきものなのかということだ。インド料理がカレーの神髄と言われても、慣れ親しんだカレーライス(中国由来の仏教)のほうがいいという人もいるだろう。しかし「そもそもカレーとは何か?」「真のカレーとはどんなものなのか?」に興味を持った人なら、おのずとインド料理へと目を向ける筈なのではないか。こういったカレー=仏教に意識的であろうとする人の為に、この『反骨のブッダ』は親しみやすいテキストになるのではないかと思う(最後変な例えでスマン)。

反骨のブッダ――インドによみがえる本来の仏教・日本人が知らなかった仏教の真髄

反骨のブッダ――インドによみがえる本来の仏教・日本人が知らなかった仏教の真髄

 

 

 

最近読んだ本

最近、というかここ半年ぐらいの間に読んだ本の覚え書き。

■リアリティのダンス / アレハンドロ・ホドロフスキー
リアリティのダンス

リアリティのダンス

 

『エル・トポ』をはじめとする数々のカルト映画を生みだし、今もなお精力的に新作を撮り続ける鬼才アレハンドロ・ホドロフスキーの自伝。映画化もされた『リアリティのダンス』『エンドレス・ポエトリー』の原作でもある。とはいえこの自伝では映画との関わりはほぼ数行しか書かれておらず(多分別の著作に詳しいのだろう)、映画で描かれた青年期以降では、彼のオカルト的精神修行、さらにサイコテラピストとしての道が書き記されることになる。これを読みながら感じたのは、オレはホドロフスキーはオカルティストであり神秘主義者だと思っていたのだが、それは間違いはないとしてもむしろそれらを論理的に看過しこの世界の理の埒外に在るものを貧欲に探求しながらそれらが何故こうであるのかを追及し続けた男であるのだなあということだった。そこにあるのは生半可なスピリチャリズムではなく、彼自身の透徹した洞察力と知性と感受性が、これらの世界を垣間見せることをようやく許しているという事なのだろうと思う。

■無限の書 / G・ウィロー・ウィルソン 
無限の書 (創元海外SF叢書)

無限の書 (創元海外SF叢書)

 

イスラム世界を舞台としたサイバーパンク・ファンタジー、世界幻想文学大賞受賞作。めくるめく電脳世界と同時に精霊の跋扈する異世界をも描くことになるのだが、その辺が水と油というか、わかったような分からないような世界というか、 始終腑に落ちない気持ちで最後まで読むことになってしまった。 

■タマスターラー / タニス・リー
タマスターラー (ハヤカワ文庫FT)

タマスターラー (ハヤカワ文庫FT)

 

ファンタジイ界の巨匠タニス・リーによるSFファンタジー集。《インド幻想夜話》と日本副題が付けられているように、物語群の舞台となるのは過去現在未来の時を旅しながら描かれる幻想のインド。ファンタジイには暗いオレだがインドが舞台という事で読んでみることにした。ここに現れるインドは決して現実のインドとは違うのだけれども、例えばアンリ・ルソーが描く数々の熱帯幻想絵画のように、芳醇な想像力を駆使した「もうひとつのインド」を垣間見せているという部分で面白い。過去世を舞台にした中盤までのファンタジイ作品は出色だが、SF色の強くなる後半は若干陳腐になってしまうのが惜しい。 

■ジョイランド / スティーヴン・キング
ジョイランド (文春文庫)

ジョイランド (文春文庫)

 

S・キングが『ミスター・メルセデス』以前に書いていたミステリー作品、例によってちょっぴりホラー風味。寂びれた遊園地を舞台にした甘くほろ苦い青春ストーリーがなかなかによく、ミステリーとしては『ミスター・メルセデス』やその続編よりもオレは好きだったな。青春モノを書かせるとこの人はやっぱり上手い。 

■ワニの町へ来たスパイ / ジャナ・デリオン 
ワニの町へ来たスパイ (創元推理文庫)

ワニの町へ来たスパイ (創元推理文庫)

 

寒い国から……ではなくルイジアナの田舎町というワニの国へ来てしまった敏腕女性スパイのユーモア・ミステリ。己の身分を隠して必死に一般人の振りをしつつも時折そのスキルが顔を覗かせてしまう部分に可笑しさを醸し出そうとしているが、主人公があまりに状況に振り回され過ぎて敏腕スパイにあまり思えない、というかスパイの必然性をあまり感じなかったのが難だが、軽く読み進める事が出来る作品としてはこんなものか。

■夜の夢見の川(12の奇妙な物語) / シオドア・スタージョン、G・K・チェスタトン

オレは《奇妙な味》の作品集というのがとても好きで、時折思い出した頃に購入してぽつぽつ読んでいるのだが、これもそんな一冊。こういったアンソロジーはなにしろ編者の選択眼が問われるが、今作の編者である中村融氏はその腕をいかんなく発揮しており、これまで読んだことある《奇妙な味》アンソロジーの中でも群を抜いて素晴らしかった。読んでいて心をざわめかさせる不安な作品が目白押し。 

■街角の書店(18の奇妙な物語) / フレドリック・ブラウン、シャーリイ・ジャクスン他 
街角の書店 (18の奇妙な物語) (創元推理文庫)

街角の書店 (18の奇妙な物語) (創元推理文庫)

 

こちらも中村融氏による《奇妙な味》 アンソロジーだが、『夜の夢見の川(12の奇妙な物語)』と同様どれも非常に完成度の高い「どことなく嫌な話」が並ぶ。特に文豪で知られるジョン・スタインベックの短編が選出されているところなど流石。これも『夜の夢見の川』と一緒に読みたい一冊。

■書楼弔堂 炎昼 / 京極 夏彦
書楼弔堂 炎昼 (集英社文芸単行本)

書楼弔堂 炎昼 (集英社文芸単行本)

 

明治時代を舞台に様々な時の偉人と1冊の本を巡る奇妙な古書店の物語、続編。今作では語り部を女性にすることで明治時代当時の代わりゆく女性の在り方も露わにすることになる。物語の仕組みは前作と一緒であるが、このシリーズはなにしろ文章が素晴らしい。そして明治という時代を振り返りながら、実は現代に存在する問題にも言及しているのだと思う。

海外コミック2作:『ヘルボーイ・イン・ヘル:死出三途』『ウィッチャー 2:FOX CHILDREN』

ヘルボーイ・イン・ヘル:死出三途 / マイク・ミニョーラ

ヘルボーイ・イン・ヘル:死出三途 (DARK HORSE BOOKS)

血の女王との死闘の果てに命を落としたヘルボーイは、故郷である地獄へと堕ちた。地の底で彼を待つものとは何か、そして、ついに明らかになる彼の誕生の真相とは…。1994年にスタートしたヘルボーイの物語を締めくくる最後のシリーズ「ヘルボーイ・イン・ヘル」第一巻。原作者マイク・ミニョーラが作画に完全復帰した、最新にして最後のシリーズがここに始まる。

 ヘルボーイは死んだ。血の女王に心臓を引き抜かれて。こうして"地獄の子"ヘルボーイの物語は単行本『疾風怒濤』をもって幕を閉じたが、死して自らの故郷・地獄でのヘルボーイの道行きを描いた新シリーズ『ヘルボーイ・イン・ヘル』が始まることになる。そこで繰り広げられるのはヘルボーイが出生の秘密を知るドラマであり、自らの父である地獄の王との再会であり、地獄の覇権を争い兄弟たちと望まぬ闘争を繰り広げることになるヘルボーイの姿である。鬼哭啾啾たる地獄の寒々しい光景とそこに蠢く魑魅魍魎たちの姿もまたこの作品の魅力だ。マイク・ミニョーラが全編に渡り作画を担当したこの作品はヘルボーイ・ワールドの有終の美を飾ることになる優れた作品として完成している。そしてこの『ヘルボーイ・イン・ヘル』シリーズは次巻『ヘルボーイ:誰が為に鐘は鳴る』で大団円を迎える事が予告されている。括目して待て。

ヘルボーイ・イン・ヘル:死出三途 (DARK HORSE BOOKS)

ヘルボーイ・イン・ヘル:死出三途 (DARK HORSE BOOKS)

 
■ウィッチャー 2:FOX CHILDREN / ポール・トビン (著)、ジョー・ケリオ (イラスト)

ウィッチャー 2:FOX CHILDREN (G-NOVELS)

ノヴィグラドへと向かう道中で船に乗ることになったゲラルトだったが、その船旅は一筋縄ではいかなかった。無知な輩が乗っているかと思えば、ならず者や無法者までいる始末。ひときわ危なっかしい連中もいて、一人の同乗者の蛮行によって、ゲラルトたちは絶体絶命の窮地に立たされてしまう。彼らには、復讐心に燃える母狐の魔の手が迫っていた!

全世界累計販売本数2500本突破という傑作RPG『ウィッチャー』シリーズのコミック邦訳版第2巻。実はゲームはまるでプレイしていないにも関わらず前巻を購入、その堅牢に作り上げられた世界観と主人公の魅力に結局ゲーム・ソフトを購入することになってしまったオレである(全然やる暇ないけど)。 そんなわけでこの2巻も非常に楽しみにしていたが、今作でも人智を超えたあやかしの存在に翻弄される人間たちと、孤高の道を行く主人公ゲラルドの妖魔退散の戦いとが描かれてゆく。怪物退治の専門家とはいえゲラルドは決してヒーローではなく、むしろ野生の獣を狩るマタギのように、淡々と自らの生業をこなしてゆく存在である、という部分が面白い。その為に卓越した剣術と魔術を駆使するけれども、これもまた決してオールマイティーではなく、むしろ妖魔への畏怖すら持っているという部分にもユニークさを感じる。

ウィッチャー 2:FOX CHILDREN (G-NOVELS)

ウィッチャー 2:FOX CHILDREN (G-NOVELS)