双子のシク教徒兄弟が巻き起こす結婚大騒動!?~映画『Mubarakan』

■Mubarakan (監督:アニース・バーズミー 2017年インド映画)

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シク教徒と言えばターバン巻いたあのヤツラである。ハリウッド映画にオモシロ黒人枠があるように、このシク教徒、ボリウッド映画界ではオモシロインド人扱いされているように感じる。 ホントかどうかは別として、映画に出て来るシク教徒といえば単細胞で血の気が荒く、お祭り好きで同胞愛の強い、ヤンチャな連中として登場する。インドの北西部パンジャーブが舞台だとたいていヤツラが現れて(まあシクの拠点だからなんだが)、だいたいなんだか困った大騒動を引き起こす。なんかこー日本で言う「輩」みたいな人たちなんである。いやもちろんフィクションだと思って観てるけどね!

という訳で今日ご紹介するのはシクの皆さんが勢揃いのコメディ映画『Mubarakan』である。主人公は幼い頃両親を亡くした双子の兄弟。二人はそれぞれ親戚の許に預けられすくすくと成長していた。一人はロンドンに住むチャラい青年カラン(アルジュン・カプール)。もう一人はパンジャーブに住む生真面目な青年チャラン(アルジュン・カプール二役)。ある日チャランはカランから見合い話を押し付けられロンドンに赴くが、ふとした行き違いから一族を二分する大騒動が巻き起こってしまう。さてさて一族の運命は!?というもの。

粗筋は大幅に端折って書いたが、さらにチャランと見合い相手ビンクル(アティヤー・シェーッティー)とが恋仲になったにもかかわらず、カランの恋人スィーティー(イリヤナ・デクルーズ)との結婚を決められたり、逆にカランがビンクルとの結婚を決められたり、さらにチャランの元カノ・ナフィーサー(ネーハー・シャルマー)が現れて妙な三角関係になったりと、いろいろややこしい。おまけにカラン/チャランそれぞれの育て親である叔父伯母が壮烈な仲違いを起こし一族の分断の危機が巻き起こり、双子の後見人であるカルタール(アニル・カプール)はなんとかそれを収めようと手を尽くすが何をやっても裏目に出るばかり!?というとことん複雑な人間関係が描かれる。

この作品でまず注目なのは双子の兄弟をアルジュン・カプール一人二役で演じていることだろう。アルジュン・カプール、『2 States』(2014)、『Tevar』(2015)、『Ki & Ka』(2016)などの主演作があるが、それぞれに印象の異なるキャラクターを演じており、さらにこの作品では性格の違う兄弟を演じ分けるなど、今まで気付かなかったがなかなかの演技派俳優だということを認識させられた。オレ意外とこの俳優好きかもなあ。もうひとつの注目はアニル・カプールの怪演ぶりだ。彼の演じるカルタールは「なんでも俺に任せろ!」と兄貴風を吹かすわりには、たいてい頓珍漢でなんの役にも立たない提案ばかり思い付き、最終的に彼がアドバイスするとみんなそっぽを向き始める、というグダグダぶりが何しろ可笑しい。

「双子が主人公となりややこしい展開を見せる」というインド映画は思いついただけでも『Sharmeelee』(1971)や『ジーンズ 世界は2人のために』(1998)、あとネタバレになるから書けないあの大ヒット作などがあるが、これらの作品に存在する「同じ顔の双子が入れ替わることで成り立つエピソード」を、今作『Mubarakan』ではあえて禁じ手にしていることが逆に珍しい(全く無いわけではない)。むしろ『Mubarakan』における双子設定は、「同じ顔してるのにこれだけキャラがかけ離れている」という面白さを醸し出そうとしているからと見るべきなのだろう。そしてそれはアルジュン・カプールの快演により成功していると言っていいだろう。そういやチャラい青年カランはシク教徒なのにもかかわらず髪を切り当然ターバンも巻いておらず、ああ、今はこういうのもアリなんだ、とちょっと思わされた。

監督はアニース・バーズミー。『Singh is Kinng』(2008)、『Ready』(2011)、『Welcome Back』(2015)などの作品があり、コメディを得意とする監督であるが、実はオレはちょっと苦手でもあった。シチュエーションの面白さよりも会話の応酬で笑いを取るタイプのコメディ作が多いからだ。これはこういった作風が悪いという事ではなく、英語力の貧弱なオレにとっては細かなニュアンスの含まれた字幕を追いそれを理解するのが結構大変で、楽しむ以前に疲弊してしまうのである。つまり全てオレの問題であり、アニース・バーズミー監督作を貶めるつもりは全くない。そういった中でこの『Mubarakan』は「一人二役の双子兄弟」と「シク教一族の喧々諤々の諍い」という分かり易いフラグが先に立っていたので、これまでのどの作品よりも楽しむことができた。それにしても英語字幕すらまともに読めないくせによくもまあ毎回インド映画レビューをシレッとした顔で公開しているオレである。
Mubarakan | Official Trailer | Anil Kapoor | Arjun Kapoor | Ileana D’Cruz | Athiya Shetty 

DCヒーロー勢揃いの映画『ジャスティス・リーグ』だったがオレはガル・ガドット様ばかりに夢中だった!

ジャスティス・リーグ  (監督:ザック・スナイダー 2017年アメリカ映画)

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DCコミックヒーローたちが地球を危機に陥れる悪モンを倒す為に勢揃いしちゃうよ!という「DCエクステンデッド・ユニバース」の新作、『ジャスティス・リーグ』であります。まあお話の流れとしては『マン・オブ・スティール』→『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』→今作、ってな感じになってます。

お話のほうは「世界を破滅に導く訳アリのアイテム」を手中にするため「時空を超えてやってきた悪モンの皆さん」が大暴れし、「それを阻止せんとヒーローな皆さんが集まって頑張っちゃう」というものです。こんな具合のいわゆるマクガフィンを巡るヒーロー活劇の骨子は『トランスフォーマー』や『アベンジャーズ』あたりで既にお馴染み過ぎていて、取り立てて新味のあるものではありません。

だから大雑把にお話だけ取り出すとアベンジャーズの没原稿をゴミ箱から拾ってきて作ってしまったような感じになっちゃうし、そもそも「仲間を見つけて・集めて・協力を要請して・ジャスティスなリーグを結成する」という物語の流れが最初から分かっちゃってるので、そういった予定調和的なお話をどう面白く演出するかというのがこの作品の一つのポイントとなるのでしょう。

で、このジャスティスなリーグの皆さんですが、それぞれに個人的な苦悩なり孤独なりを抱えて世を儚んでいる側面があり、いってしまえば「引き籠りと世捨て人」ばかりの皆さんであったという部分が面白いんですね。例えばこんな感じ:

アクアマン→アトランティスの王位継承者だが人間とのハーフである苦悩から人間の住む小さな漁村に入り浸っている
ワンダーウーマン→アマゾン族のプリンセスだが愛する人を失い心を閉ざして人間界に住んでいた
フラッシュ→内気、オタク、人付き合いが苦手でコミュ障気味
バットマン→幼少時のトラウマから大金持ちの表の顔とは別の暗い衝動にに塗れた裏の顔を持つ
サイボーグ→機械の身体なんて嫌だあああ

こんな具合にいずれも脛に傷持つ身である皆さんばかりで、こういった自身の世界から一個離れた場所にいたいわばアウトローな側面を持つ者たちが、最終的には世界を救う為に共闘し正義の使者となって立ち上がるところが独特と言えるでしょう。また、物語に横溢する独特の暗さは彼らのこういった来歴にあるのでしょう。

とかなんとか言いつつ、オレなんかはずーっとワンダーウーマンの活躍する姿ばかりを惚れ惚れして観てましたけどね!いやーピンの作品『ワンダーウーマン』も好きだったけど、この『ジャスティス・リーグ』のワンダーウーマンもよかったわあ!というかガル・ガドット様がよかったわあ!あの鎖骨とか脇とか尻とか太腿とか!もう地球の危機とかヒーローの結束とかどうでもよくてひたすらガル・ガドット様に邪な視線で釘付けになっていた頭がエロまみれのオレだったわあ!

もうワンダーウーマンしか見ていなかったので「この映画の主役、ワンダーウーマンじゃん……」と勝手に思っていたぐらいだわ!もうこれ『ワンダーウーマン』の続編でいいということに個人的に決定したわ!?(注:個人的なエロバイアスが掛かっているので本当はそういった物語ではありません)そもそも単細胞で向こうっ気の強い男性ヒーロー連中の顔ぶれを見渡して「いやこれ私がまとめてあげなきゃダメじゃん……」とばかりに終始笑顔を絶やさず出しゃばるそぶりも見せず男性ヒーローを裏からやんわり操縦していたワンダーウーマンだったなあ!

とはいえ他のヒーローの皆様もそれぞれに個性的で楽しかった。ざっくりまとめると:

アクアマン→とにかく荒々しくて男臭くて近寄ると多分魚臭そうでウイスキーをラッパ飲みする姿に惚れ惚れした
フラッシュ→彼のコミカルさがいい具合に物語をとっつき易くしていた
バットマン→今回一歩引いた感じで存在感を薄めていたので他の新参ヒーローがよく目立ってくれていた
サイボーグ→他のヒーローみたいに"素"の顔が描かれないので次回サイボーグになる前の顔が見てみたいと思った

あと"例の人"についてはみんな薄々勘付いていると思うけど一応ネタバレ防止の為ここでは書かないことにしときます。以上です。


映画『ジャスティス・リーグ』予告【HD】2017年11月23日(祝・木)公開

 

ゾンビ+狂ったAI+ボーイミーツガール+スペースオペラ=『イルミナエ・ファイル』

■イルミナエ・ファイル / エイミー・カウフマン、ジェイ・クリストフ 

イルミナエ・ファイル

ケイディが恋人エズラと別れた日、宇宙船団により彼らが住む辺境の惑星は侵攻を受けた。星際企業戦争に巻きこまれたのだ。 人々は3隻の宇宙船で脱出をはかるが、最寄りのジャンプステーションまでは半年以上航行する必要がある。いずれ追手の敵戦艦に追いつかれてしまうだろう。さらに、船内に危険なウイルスが蔓延していると判明する。そのうえ、船の人工知能が乗員に危害を加えようとしていた…… メール、チャットや軍の報告書、復元された文書ファイルでつづられた異色SF

SF小説『イルミナエ・ファイル』、まず600ページのレンガ本であることと、価格が4300円もしやがるという点で非常に敷居を高く感じるかもしれない。しかし値段のことはさておき、 内容については相当読み易くあれよあれよという間に最終ページに辿り着いちゃうので安心されたい。何しろこの作品、海外でいう所の「ヤング・アダルト」作品、日本で言うならいわゆる「ラノベ」的な内容なのでスイスイ読めるのである。

なにより内容が分かり易い。植民惑星を蹂躙する多星間企業の軍隊!というところから始まって、ここから逃げ出すことの出来たたった3隻のスペースシップとそれを執拗に追い続ける敵スペースシップという構図がまずある。そして主人公となるのが別れたばかりの10代のカップル。二人は別々のスペースシップに乗ることになり、危機的状況の中で再びお互いへの想いが募ってゆく、という流れがある。そして主人公少女ケイディが若きハッカーで、主人公少年エズラが後に戦闘機パイロットになる、というキャラ設定もコミック・タッチでいい。

物語はさらに展開する。なんと母艦スペースシップのマザーAIが叛乱を起こすのだ!おお『2001年宇宙の旅』(のHAL)!それだけではない!敵の生物兵器に感染した乗員たちが一人また一人と狂った殺人鬼と化し、スペースシップという閉鎖環境の中で生き残った仲間たちを殺戮して歩くのである!理性を喪失し殺戮マシーンとなって集団行動する彼らの姿はまさしくゾンビ!空気感染するその生物兵器により船内は一人また一人とゾンビ化してゆく!人間食ったりはしないけど、ジョージ・A・ロメロスペースオペラ撮ったらさもありなんと思わせる阿鼻叫喚の地獄ぶりだ!

という訳でこの『イルミナエ・ファイル』、「ゾンビ+狂ったAI+ボーイミーツガール+スペースオペラ」という、「好きなものだけ並べて書いちゃいました」とすら思わせる、盛り沢山というか無節操な大盤振る舞いのテーマで描かれちゃってるのである。

しかも、なんと、それだけではないのだ。この作品、構成が異様に特徴的なのだ。それは全ての物語が「メール、チャットや軍の報告書、復元された文書ファイル」で構成されており、"地の文章”が全く存在しないのである。ただしそれらファイル類では拾えない情景描写があり、ではそこはどうしているのかというと、なんと今度は狂ったように躍るタイポグラフィで”文章”を"映像化"しているのだ。

「狂ったように躍るタイポグラフィ」ってなんのことかよく分からない人も多いと思うが、アルフレッド・べスターのSF小説『虎よ!虎よ!』で再現された「文字をいろんな形や大きさで紙面のあちこちに自由に配置することで文章それ自体を映像の如く見せるテク」のことを思い出していただきたい。これらタイポグラフィが見開きページから見開きページへと縦横無尽に展開するさまは圧巻の一言だ。

というわけで、やり過ぎというかやりたい放題で書き上げられたこの作品、個々のテーマや方法論に新しさはないとしても組み合わせの妙で面白さを醸し出そうとしており、やっちゃたモン勝ちと言えないことも無いとはいえ、十分野心的であり実験的であることは確実な快作なのだ。これはもう「読む」というよりは「体験する」SF小説だともいえるだろう。確かに4300円の価格は二の足を踏ませるに十分だが、唯一無二の体験であると思えばあながち安いかもしれないじゃないか?というわけだから君も『イルミナエ・ファイル』を購入してオレとイルミナエ・フレンズになろうぜ!(なんだそれ)

イルミナエ・ファイル

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虎よ、虎よ! (ハヤカワ文庫 SF ヘ 1-2)

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ある少年(?)の大冒険活劇~映画『Jagga Jasoos』

■Jagga Jasoos (監督:アヌラーグ・バス 2017年インド映画)

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 『バルフィ!人生に唄えば』の監督による新作映画『Jagga Jasoos』は一言でいうなら「ある少年の大冒険活劇」である。主演は『バルフィ!』にも出演したランビ―ル・カプールと、日本では『チェイス!』他幾つか公開作があるカトリーナ・カイフがヒロインを務めている。カトリーナはちょいお姉さんな役だからいいとして、ランビ―ルが少年役、というのはいろいろ意見もあるだろうが、その辺は置いておこう。

物語の主人公の名はジャッガー(ランビール・カプール)。孤児だった彼はトッティフッティ(サスワター・チャタルジー:実はこの人、『女神は二度微笑む』で不気味な殺し屋役だった人)という男に養子に迎え入れられ、二人は幸せに暮らしていた。海外を飛び回り留守にしがちのトッティは毎年ジャッガーの誕生日にメッセージVHSを送っていたが、その年、トッティからのメッセージは届かず、行方知れずになってしまう。一方、国際的な事件を追うジャーナリストのシュルティ(カトリーナ・カイフ)もトッティを探しに町を訪れていた。ジャッガーとシュルティは意気投合し、トッティ探索の旅に出る。そこで明らかになったのは世界的な武器闇取引の結社の存在だった。トッティはそれを追うスパイだったのだ。

とまあ大雑把にいうとこんなお話なのだが、ある種クライムサスペンスを思わせるテーマであるこの物語を、アヌラーグ・バス監督はコミカルでファンタジックな、あたかもカートゥーンジュブナイルを思わせるような冒険活劇に仕上げているのである。それはまず、ジャッガーのヘアスタイルがバンドデシネ作品『タンタンの冒険』の主人公タンタンを彷彿させるものである部分からも伺えるであろう。『タンタンの冒険』は2011年にスティーブン・スピルバーグ監督により『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』としてCGアニメ映画化されているが、あれと同じように一人の少年が世界を股にかけて冒険を繰り広げるのがこの『Jagga Jasoos』なのだ。

「コミカルでファンタジック」な部分は、まず主人公ジャッガーに集約される。ジャッガーはどもりがひどくまともな会話が出来ない少年なのだが、場面によって突然ミュージカルシーンとなり、ここではジャッガーは自分の思ったことを歌(ラップ?)で伝えることが出来るのだ。インド映画というと兎角「歌と踊り」が取り沙汰されるが、物語にエモーショナルな味付けをする為の場合が多く、逆にこの『Jagga Jasoos』では 「歌と踊り」によって台詞が説明されることから、よりミュージカル的であるといえ、その部分に野心的かつ実験的であることを感じさせられた。そしてこれらミュージカルシーンがどれもコミカルな味付けが成されており、それがとても楽しく、また強烈にカラフルでファンタジックな味わいを醸し出しているのだ。

物語の流れそれ自体もコミカルでファンタジックだ。ジャッガーの相方を務めるシュルティがまたドジっ子で、どこかジャッガーと凸凹コンビのようにすら思わせる。悪党どもと追いつ追われつの緊張したアクションシーンも山ほど盛り込まれるけれども、これらのアクションはどこかバスター・キートンのサイレント・コメディを思わせる味わいがあり、緊張の中に可笑し味が籠っているのだ。そして場面場面の美術の美しさはまるで夢の中の出来事のようにすら感じさせてくれる。そしてこれら全ては、アヌラーグ・バス監督の前作『バルフィ!』と非常に多くの共通点を持っている。主人公が会話によるコミュニケーションに困難であるといった部分も一緒だ。

物語の最初の舞台となるのはインドのマニプール州。これ、調べてみたら、インド東部の殆ど飛び地みたいになっている州のことだったんだね。ミャンマーに国境を接していることから、ミャンマーもまたもう一つの舞台となっているぐらいだ。ミャンマーの首長族とか登場してびっくりさせられた。また、こんな飛び地な土地なので、分離独立運動も存在するのらしく、物語で武器商人が暗躍するのはそんな背景があるからなのだろう。

さらに舞台はアフリカへと飛ぶ。ここで登場するケニアの都市モンバサの光景をインド映画で観ることになるなんてある意味びっくりさせられる。アフリカンミュージックでインド俳優が踊るなんてありそうでなかったことじゃないか。さらにキリンやダチョウまで登場し、否応なくアフリカ気分が高まる。インドのカラフルさとアフリカのカラフルさは似ているようでやはり別物で、そういった部分を確かめるのもまた楽しい。面白いのはミャンマー、インド、ケニアは地図で調べると一直線上にあることで、「武器供給ルート」として説得力がある。

ただ、非常に意欲的であり画期的であり野心的であるこの作品、十分よく出来ているにもかかわらず、所々で飽きてきてしまう部分があるのも確かだ。というのは、演出がどうにもクドイのだ。繰り返しのシーンがあり、説明過多なシーンがあり、変化があるように見えて一本調子のシーンがあり、さらに緊張感の高まったシーンでジャッガーにドモられると、気の毒とは思うがちょっとイラッとさせられるのだ。アクションは引用の多用のせいか新味に乏しくさらにスピード感に乏しい。悪党どもは残忍と思わせながら時として愚鈍でキャラがはっきりしない。最大の難は主人公ジャッガーがエキセントリックすぎて今ひとつ感情移入できないという点だ。これらは実は『バルフィ!』にも感じた不満でもあって、多分アヌラーグ・バス監督とはちょっと相性が合わないのではないかという気もする。『ギャングスタ―』は面白かったんだけどなあ。


Jagga Jasoos | Official Trailer | In Cinemas July 14

終わりなき詩、終わりなき芸術~映画『エンドレス・ポエトリー』

■エンドレス・ポエトリー (監督:アレハンドロ・ホドロフスキー 2016年フランス、チリ、日本映画)

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カルト映画監督アレハンドロ・ホドロフスキーの最新作は前作『リアリティのダンス』(2013)の続編となる作品だ。そして前作同様ホドロフスキーの伝記的物語が描かれることになる。

『リアリティのダンス』はホドロフスキーの少年時代を描く作品だった。そこではチリの寂れた炭鉱町トコピージャで生まれたアレハンドロ少年が、持って生まれた強烈な感受性により世界を"幻視"する様が描かれるが、同時に、どこまでも暴力的で抑圧的に振る舞う父親と「映画作品」という"フィクション"の中で"和解"するという、単なる"自伝的作品"の枠を超えた文芸作だった。それはただ"過去"を語るのではなく、時空を超えて"過去"を再構築し、不幸であった少年時代を幸福の中に完結させようと試みる"救済"の物語であり、暴力的であった父親の魂の底にある澱を清浄なるものへと変容させようとする"赦し"の物語でもあったのだ。

そして今作『エンドレス・ポエトリー』では、ホドロフスキー一家がトコピージャからチリの首都サンティアゴへと移転するところから始まる。ここで描かれるのは青年となったアレハンドロの姿だ。彼はここで幼少時からの持ち前のインスピレーションを形にすることができる行為、【芸術】へと目覚めてゆくのだ。抑圧された少年時代を過ごした彼にとって、【芸術】とは何一つ制約が無くどこまでも自由な世界だった。そしてその自由さとは魂と行動との"アナーキーさ"を意味していた。こうして、青年アレハンドロは数々の"アナーキーな"芸術家たちと出会い、さらに"アナーキーな"恋人を見出し、自らも"アナーキーな"芸術家として花開いてゆくのである。

ここでのエピソードをひとつひとつ紹介することはしないが、まあ、なにしろ、とことん型破りで破天荒で奔放で、「芸術は爆発だ」状態のエピソードが次々に語らてゆく。そしてアレハンドロ青年が愛した毒婦ステラのあまりに常識外れのビジュアルと言動・行動には度肝を抜かされること必至だろう。これらはホドロフスキー一流のメタフィクショナルな情景なのかと思われるかもしれないがそうではない。ホドロフスキーの自伝小説『リアリティのダンス』を読むと『エンドレス・ポエトリー』における物語はステラのビジュアルも含め、ほぼ80%ぐらい現実にそうであったらしいのだ。まあ要するに、青年期のアレハンドロと彼の周囲は真実ハチャメチャの限りを尽くしていたということらしいのだ。

もちろんただハチャメチャだったのではなく、これら全てはアレハンドロ青年らの、【芸術性】の発露だった。そして、【詩人】を自称するアレハンドロ青年には、このハチャメチャこそが、彼にとっての【詩】だったのだ。シュルレアリズム文学を語る上で有名な「解剖台の上での、ミシンと雨傘との偶発的な出会い」という言葉があるが、出会うはずの無いモノ同士が組み合わされた時に生まれる新たな意味、現象、象徴、そしてそれらを出会わせるための恣意的な行動=【ハプニング】を、アレハンドロ青年らは目論んでいたのだ。【ハプニング】は50年代末から全世界で巻き起こった芸術運動の一つを指す言葉だが、アレハンドロ青年はそれと知らずにこの【ハプニング】を巻き起こしていたのだと考えられる。

即ち、『リアリティのダンス』がホドロフスキーの「胎動篇」だとすると、この『エンドレス・ポエトリー』は「躍動篇」だということができる。前作において中心的に描かれた父親との軋轢の物語は完結し、ここでは個人としてのアレハンドロがどのように人生と芸術に目覚めてゆくかが描かれるという訳だ。しかし、「父と子の軋轢」というある種普遍性を帯びた前作に比べ、この作品はより個人的であり、同時に「芸術とは何か」という抽象的な物語になっており、実の所”芸術”に興味が無ければ放埓の限りを尽くしたボヘミアンな群像描写に「この人たちナニやってるの?」という感想で終わってしまうきらいもある。とはいえ、それを抜きにすれば次々と表出するマジカルな映像の妙にとことん堪能できる作品だろう。

ホドロフスキー監督も今年で齢88歳、この歳にしてこの切れ味の作品を作り上げること自体驚異という他ないが、『リアリティのダンス』『エンドレス・ポエトリー』と続いたホドロフスキー自伝作品群は3部作になるとも5部作になるとも言われており、これはもうホドロフスキーの人生の集大成であり彼がその活動の中で何を人々に伝えたかったかの総集編となることは間違いないだろう。既に世界唯一無二の鬼才監督であり、オレが心の底から尊敬している数少ない映画監督の一人であるホドロフスキー、次の作品も待ち遠しいけれど、できるだけ長生きして、その深淵たる思索に満ちた人生を全うしてほしいものだ。


「エンドレス・ポエトリー」予告編


88歳鬼才ホドロフスキー監督最新作メッセージ/映画『エンドレス・ポエトリー』ホドロフスキー監督メッセージ映像


『エンドレス・ポエトリー 』アダン・ホドロフスキー インタビュー|"Endless Poetry" Adan Jodorowsky (Actor)

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